Novel

□永遠の子どもたち
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 エイイチは昼食をともにした日からミハイルと、そして当然のようにジョナサンとも他の生徒たちよりも近い存在となった。というのも、あれだけ不機嫌さを全快にして舌を打っていたジョナサンが、翌日からエイイチの席を確保し始めたからだ。あれでいて世話焼きなんだと、ミハイルが楽しそうに微笑んでいたのをエイイチはよく覚えている。ミハイルの向かいの席はジョナサンの席であったというのに、ジョナサンはミハイルのすぐ隣にどっかりと腰を下ろすようになり、ミハイルの向かいの席をその鋭い眼光を持ってしてエイイチが来るまで死守するのである。ふらりと食堂を訪れたエイイチはまたもや、おい、と強く呼び止められておっかなびっくりに席についた。ミハイルも始めは何の話も聞いていなかったのかぱちぱちと瞬いていたが、長年の付き合いで相棒の行動を理解したらしく、エイイチに教えてくれた。自分の席を奪われるのであれば、奪った相手の座る席を決めておけば問題ないと、そう考えたのだろうと。席を毎度変えるのは面倒だと、ジョナサンは鼻を鳴らしていた。エイイチの席を確保すること自体は、彼の中で面倒なことと数えられないらしかった。
 そうして毎日昼食をともにするようになれば、自然と他の生徒よりも二人と親しくなる。偶然によってもたらされたきっかけは、スクールでのエイイチの生活を変えることとなったのだ。
 もとよりミハイルという寮長は生徒に甘い。そしてジョナサンは厳しい。まさに飴と鞭を体現したかのような存在であった。そんな二人と距離が近づいたのだから、当然訓練時にはとりわけエイイチに指示が飛ぶ。簡単な話、エイイチを使い走りにしやすいのだ。ミハイルは他の生徒の訓練相手にエイイチを指名し、互いに上手く訓練をこなせれば自分のことのように喜んでは褒めちぎった。反対にジョナサンは実技訓練の見本としてエイイチを自分の相手に指名しては生徒の前でこてんぱんにする。気を抜くな、たるんでいるからそうなるのだ、と生徒の気を引き締めるためのある種の見せしめのようなものだ。ただそんな厳しいジョナサンが、それでも生徒から信頼され慕われているのは、その行動が一貫していて矛盾が存在していないからであった。エイイチに厳しく接するも、成功すればもちろん褒めてくれるし、失敗したら改善点を的確に指示してくれる。エイイチに無理をさせすぎず、限界ぎりぎりのところまで能力の扱い方を高め、指導してくれるからこそ、ジョナサンが訓練した生徒は着実に自身の能力を成長させているのだ。この点で言えば、天才肌で平均というものを知らないミハイルの方が、生徒にとっては鬼と映る場合もある。あの人は訓練どうこうではなく感性でやっている、と長けた超人的な能力の操り方は生徒がミハイルを畏怖するには十分すぎるものであった。
 ミハイルと、ジョナサンという見事な指導者に手厚く訓練を受けたおかげで、めきめきとエイイチはその能力を伸ばしていった。新入生たちがその真新しいネームプレートを捨て、一年、と馴染んで呼ばれるようになった頃には、エイイチはすっかり一年の中の中心人物となり、あれよあれよという間に学年長を務めることになっていた。
 寮の消灯時間には、寮長と学年長とが交代制で部屋を巡り就寝を呼びかけるのだが、寮の生活にも慣れてくれば親しい友人もできて話が尽きず、訓練にも体が慣れてきて体力が余りなかなか寝付かない者も増えてくる。体が成長しないとなると、心の成長を促すことは難しい。永遠の子どもたちはその止まった時を謳歌するように子どもらしく振舞う者が多かった。そんな生徒たちにとっては、やはり親は恋しいものだ。それを知ってか知らずか、寮長たちはまるでその代理のようでもあった。ミハイルが母で、ジョナサンが父。消灯時間になっても騒ぎ立てていた生徒はミハイルによってベッドで布団をかけられ、額におやすみのキスを落とされるのである。そうすると不思議なことに、誰もが安らかに眠りについた。対してジョナサンはベッドから出ている者は容赦なく掴んで強制的にベッドに叩き落とす。ジョナサンが消灯番の時は、どの部屋もしんと静まりかえっていた。
 学年長としてエイイチもミハイル、ジョナサンに続き消灯番をするが、同じ学年というだけあってエイイチの言葉に耳を貸す者はほとんどいなかった。それどころか親しい間柄であるために就寝前の喧騒に巻き込もうとしてくる。寮長が両親ならば、学年長であるお前はその子どもだなとからかわれたことが、強ち間違いではないなとエイイチ本人もその威厳のなさに苦笑を浮かべるしかなかった。
 生徒たちから尊敬される寮長という存在に一番近い生徒であると、エイイチは羨ましがられていた。しかしエイイチは、口にしたことこそないが就寝するまで部屋で楽しく友人と過ごして、寝付きが悪ければミハイルからおやすみのキスを、悪さが見つかればジョナサンから鉄槌を受けるそんな生徒たちが少し羨ましかった。良い子だね、と頭を撫でられる代わりに、良い夢をと祈りを込めた母のキスが一度も自身に訪れないことを、寂しいとも感じていたのだ。
 しかしあの日、ミハイルは聖母のようなたおやかな笑みでエイイチの額に愛しいキスを落とした。おやすみなさい、と告げた口が詮索を拒んでいるようで唐突なキスにエイイチは何も言えなかったが、ひどく幸福な夜であった。祝福を受けたような心地で眠りについたエイイチは、その真夜中、けたたましく鳴り響く警報によって胸をぎゅっと痛めつけて起き上がることとなった。




 真夜中に突如泣き声を上げた緊急警報は、スクールからの脱走者がいるのだという知らせであった。特定はできないが、施設内部から逃げ出すのであれば生徒で間違いはない。スクールで生きる生徒たちは特殊な能力を持つために、世間から疎まれていた者がほとんどだ。異能は恐れられ、居場所を失う。だからこそスクールの空に高い天井を作り、そして周囲には壁を作って外界との接触を断っているのだ。閉じ込められているのではなく、他の人々を刺激し、また病気を持つ者の集まりであることを必要以上に恐れられないように自ら閉じこもっているのである。スクールはもともと、無人の小さな島に建設されている。それをさらに固く閉じているからこそ、生徒たちは平穏な日々を過ごすことが出来ているのである。
 確かに、普通の子どもとまったく同じ生活をすることはできないが、エイイチはスクールでの生活を不満に思ったことはなかった。スクールに来てまだ日が浅いならホームシックにも納得がいくが、皆ここでの生活に馴染楽しんでいる最中の出来事であったために、生徒たちは訝しげな表情を浮かべていた。どうしてここから逃げ出す必要があるのだろうか、と。
 警報によって起こされた生徒たちはそれぞれ学年ごとに決まった集会場所に集められた。エイイチは学年長として一年の点呼をし、全員がその場にいることを確認した。しかしそれを報告しようにもミハイルとジョナサンの姿がそこにはなかった。恐らく先生の指示を煽ってからこちらに向かっているのだろうと、警報後に校内放送があった通りエイイチは集会場所で生徒たちを待機させた。真夜中ではあるが、生徒たちはジョナサンに厳しく鍛えられたおかげで緊張感を持って各自待機している。
 まもなくしてジョナサンが現れた。険しい顔つきはより皺を深くして、人でも殺せそうな様子だと冗談でなく生徒はたじろいだ。ジョナサンは先生の部屋がある校舎の方から飛んでくると、地に足を着けずに上空から生徒に指示を出した。

「一年は脱走者の捜索を命じられた。部屋割で班を作り、各班で行動しろ。脱走者を発見した者はすぐに俺かこいつに連絡をしろ」

 ジョナサンは自分とエイイチを指差して、いいな、と生徒たちに厳しい声で問うた。生徒たちは揃い声で大きく返事を返し、それぞれ班に別れ始める。

「エイイチ、お前は俺と来い。随時指示を与える」

 呼び掛けられたエイイチは、はい、と返事をして自身もジョナサンと同じ位置までふわりと浮き上がった。それから、気になっていたことを躊躇いがちに尋ねる。

「あの、ミハイル寮長は……」

 エイイチの問いに、ジョナサンはふいと視線を逸らし、遠い壁と天井の境を睨み付けながら「あいつはもう脱走者を追っている」と静かに答えた。ミハイルは先生と生徒のどちらからも絶対の信頼を置かれている優秀な能力の使い手であり、恐らくミハイルが脱走者を追っているのであれば捕まるのは時間の問題であろう。それだというのに、何故ジョナサンは険しい表情を崩さないのだろうかと、エイイチは胸騒ぎを覚えた。追求する前に、下から班分けが完了しいつでも捜索に出動が可能であると声がかけられる。ジョナサンはエイイチを置いて一歩分生徒たちの方へと宙で踏み出した。

「スクールからの脱走者が出たとなれば、スクールと、そして我らが先生の名に傷がつき、謂われなき疑念をかけられるやもしれない。全員、今日までの訓練の成果を十分に活かし、必ず脱走者を見つけ出せ」

 ジョナサンの鼓舞に沸き立つ生徒たちは、掛け声とともに脱走者の捜索へと散っていった。訓練の賜物で、今は皆高い飛行能力を持つ。二名の腕利き寮長と、二十名ほどの優秀な生徒たちにかかればたった一人の脱走者を見つけ出すことなど造作もないだろう。
 しかし、エイイチは言い知れない胸の靄を払うことができずにいた。行くぞ、というジョナサンの声に背を突かれてエイイチは空を昇った。
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