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□弱者強者狂者
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強者になるな、弱者であれ。
お前は、お前だけは
サシャが泣いている。
巨人の攻撃により死んだ仲間の遺体をきつく抱きしめて慟哭していた。
犠牲になったのは兵士でもない、常軌を逸した戦争など知りもしない一般人だった。兵士の数は限られている。人が人である以上、全てを救おうとするのは傲慢な考えだ。
しかし、サシャは涙する。己の至らなさに強い悔恨を抱いて泣いている。
このような光景を目にするのはもう何度目だろうか。
ジャンは苛立ちと、もう一つ不慣れな感情を覚えた。
ジャン「いつまで泣いてんだよっ」
サシャ「ジャ、ジャンっ…」
ジャン「お前が幾ら泣こうと死んだ人間は生き返らない。それどころか泣いている間に誰かが死んでるかもしんねぇ」
涙に濡れたサシャの顔が引きつった。
こうして悲しみに暮れている間に今も犠牲は増え続けているかもしれぬのは確かだ。兵士には巨人を殺す義務がある。
ジャン「サシャ、お前はなんだ、何者だ?」
サシャ「わたし、は、兵士です....」
ジャン「ならこんなとこでくたばんな」
ジャンの言葉にサシャは犠牲者の遺体をそっと地面に置き、手の甲で涙を拭うと真っ直ぐと前を見据えた。涙は未だ止まってはいないけれど、ジャンはそれを咎めたりはしなかった。
視線で促し、ジャンはサシャを連れて歩き始めた。
最初の頃は一々泣くなと怒鳴っていた。しかし、いつからかそれをしなくなった。
泣きながらでも前に進む事を止めなければそれでいい。
いつしかジャンは、サシャの涙に安堵を覚えるようになっていた。
幾ら戦いを重ねてもサシャは人の死に慣れない。動物の死には昔から関わってきたが、それとこれとじゃ話が違う。
近しい関係にある兵士、ならばまだ分かる。だがサシャの悲しみはそれ以外の者の死にも向けられる。
脆弱な精神だと嘲る事も出来る、しかしそれはとても人間らしい感情なのだ。
兵士が戦いの現場に近い者達ほど短い期間で人の死に慣れていく。
近しい者達の死を悼んでも、壁の外側にいる人間の死に何も感じぬようになっていくのだ。
少しずつ戦場に馴染み、馴染むほどに狂っていく。
それは一種の防衛本能かもしれない。戦いというものは正気を保つものほど辛い思いをするのが現実だ。
狂気に走ったほうが楽なのだ。
マルコが死んでからジャンはその最たるものだろう。
ジャンも自分でそれが分かっている。それどころかこの戦いに関わった誰もが少しずつ歪んでいると認識している。
それがジャンの常識だ。
けれど、サシャはどれだけ経っても順応しない。戦場の空気に酔わされない。
彼女がまだ正気でいる。
瞳から零れ落ちる雫はその証だ。
ジャンが前に捨ててしまった人の心をサシャはまだ持っている。
それはとても眩しく、失い難く。
ジャンはいつの間にかその涙が止まらぬことを望んでいた。
壁外調査が終わり、ジャンとサシャは馬で帰路についた。
その途中、サシャは黙りこくって思い悩んでいるようだった。ジャンはそれに気付きながら声をかけてやりはしなかった。どんな助言もその役目を果たさないと知っているからだ。
ジャンには思う存分考えられるようにサシャを放置してやるしかできない。
馬の蹄が大地を蹴る音と馬車の走る音だけを耳にしたまま二時間くらい経過したろうか、サシャは真っ直ぐにジャンを見つめた。
とても強い眼差しだ。
サシャ「ジャン」
ジャン「なんだよ」
サシャ「私、強くなります」
珍しく張りのある声が、どれだけの覚悟がこの決意表明に込められているか知れるというもの。
サシャの言葉は続く。
サシャ「私、いつも泣いて、その度に皆に、ジャンに、迷惑かけてるから…だから、頑張ります。せめて泣かないように…」
ジャン「......別にいい」
サシャ「え.....?」
ジャンは否定した。その覚悟を踏みにじる様に。
傷つけると承知の上での行動だ。
ジャン「強くなんてなろうとしなくていい」
サシャ「で、でも」
ジャン「お前にはみっともなく泣いてんのがお似合いだ」
サシャはジャンの言葉がよく理解出来なかった。しかし、きつく噛み締める唇に泣くのを耐えた。だが、大きな雨粒が落ちる。
ジャンはその姿を見て、それでいいと思った。
ずっと、ずっと、泣いていればいいのだ。
涙を捨ててくれるなと、我知らず祈った。
強者になどならなくていい。
永久に弱者のままでいい
思い存分泣けばいい。
ジャンは強さとは引換えに人間らしさを忘れてしまった。
サシャにはそれをこの先持っていて欲しいと願った。
お前だけは狂者にならないでくれ。
end.
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