※死ねた注意


※下→上


※ある意味ハッピーエンド
















ぼくの名前はクダリ。ぼくはノボリが好き。兄弟っていう枠を凌駕した、恋愛対象という意味で。それは小さい頃からで、自我が芽生えた頃には、ぼくはもうノボリが大好きだった。他の女の子に目移りした事なんて無い。男なんて以ての外。ぼくが好きなのはノボリだけ。昔も今もこれからも、ぼくはノボリだけを愛してる。







でも、この想いはきっとノボリを困らせる。…ううん、もしかしたら、打ち明けたが最後、気持ち悪がられて、嫌がられて、その末兄弟の縁も切られちゃって、一緒に居る事すら出来なくなるかもしれない。そんなのヤダ。ぼくはノボリと一緒に居たい。ノボリと一緒に居られなくなっちゃったら、きっとぼくは生きていけない。








たとえこの想いが許されないものであっても、ノボリと離れたくなんかない。報われたいなんて大それたこと言わない。ぼくが気持ちを打ち明けない限り、ぼくとノボリは双子の兄弟のまま。二両編成のギアステーションのサブウェイマスターでいられる。だったらそれに甘んじよう。この想いを打ち明けることが過ちだと言うならば、今の幸せを存分に噛み締めよう。多くは求めない。どんなに小さな幸せであっても、ぼくは心から歓喜しよう。















──だから、ぼくからノボリを取らないで。










──ほしかった。




















その日、珍しくノボリだけが残業で、ぼくは一人で先に家に帰ってた。本当は終わるまでノボリを待ってるつもりだったけど、それをノボリは良しとしなかった。




「すぐにわたくしも帰りますよ。だから先に帰って、お風呂の準備をしていて下さいまし」




季節は十二月初め。ノボリ、きっと体震わせて帰ってくる。ぼくより寒がりなノボリは冬が苦手。寒い日はお風呂が大好きになる。それを誰よりも知ってるぼくは、帰宅したら言われた通りお風呂の準備をした。そのついでにぼくもお風呂に入ってしまって、飼い主を待つ犬みたいにノボリを待ってた。ノボリがいつ帰ってきてもすぐ温かいお風呂に入れるように、お湯の温度を一定に保ちながら待ってた。大好きなノボリの為なら、どんな面倒事でもキチンとするよ。でもぼくご飯作れないから、何か買ってくるべきだったかなーとちょっと後悔。ノボリが何か買ってくるかな。温かいものがいいな。








そんなこと考えながらぼくはソワソワしつつ待ってたけど、それは全部全部無駄だった。ぼくの心は、突如掛かってきた、普段は滅多に鳴らないライブキャスターからの着信で、ズタズタに引き裂かれることになる。






『──白ボスっ! 黒ボスがっ…!!』







掛けてきたのはクラウド。彼には珍しく慌てた、切羽詰った声。そのままで伝えてくれた内容はあまりに信じ難くて、受け入れ難くて、気付けばぼくは話の途中にも関わらずライブキャスターを放り出していた。



こんな時でも制服に着替えるぼく。相当混乱してたんだろうなと思う。ノボリと色違いの制服を身に纏って、ノボリと一緒に長年通い続けたギアステーションまでの道程を全力で駆けた。




「(ノボリ、ノボリ、ノボリ…!!)」





頭の中はノボリでいっぱい。それ以外の事なんて考えられない。決して短くはない道程を、ぼくは一度も止まらず駆け抜けた。冬の寒さなんて微塵も感じなかった。ギアステーションの前には救急車とパトカーが並んでいた。その前に屯す野次馬を押し退けて、ぼくは地下に入った。地下に続く階段が、こんな時ばかり長く長く感じて、気が変になりそうだった。額から汗が流れる。目に入ったそれを乱暴に拭いながら、ぼくはクラウドが教えてくれたシングルトレインのホームに駆け込んだ。









シングルトレインのホームには、駅員達が全員居た。何かを取り囲むようにして棒立ちになっている。少し離れた所にジュンサーさんと見知らぬ男が居るのが見えた。でもぼくにはそんなことよりも大事なものがあった。





「ノボリっ…!!!!」





駅員達に囲まれていたのは、ノボリだった。目は伏せられていて、ちゃんと息してるのかも分からない。救急隊員達が必死に心臓マッサージをしている。走行中のトレインに巻き込まれたのだとクラウドは言ってた。真っ赤に染まったノボリの体。どれだけの出血量だったのか想像に難くない。黒いコートすらも赤くなっていて、事故の衝撃を彷彿とさせる。ぼくは駅員達を押し退けてノボリに近付こうとしたけど、途中で止められた。止めたのはクラウドだった。





「あかん! 落ち着け白ボス!」
「離して、離してクラウド! ノボリがっ、ノボリがぁ!!」
「今処置をしとる! やから今は近づくんやない!」
「いやだッ!! ノボリ、ノボリィッ!!」





──ぼくは無力だ。ノボリが苦しんでるのに、出来ることなんて何も無い。伸ばした手はノボリに届かない。知らず溢れてきた涙はとても冷たかった。あぁ、この涙がノボリの為に使えたら良かったのに。溢れてしまった分のノボリの血になって、一つになれたら良かったのに。そうすればきっとぼくはノボリを助けてあげられる。そうすればきっとノボリは…。










突然、場が静かになった。救急隊員達が忙しない動きを止めたからだ。その目は暗い。ずっと心臓マッサージを施していた男の救急隊員が、小さく首を振ったのが分かった。ねぇ、どうしたの? どうして止めちゃうの? まだノボリ生きてる。まだ痛がってる。苦しんでる。だからお願い。早く助けてあげて。ノボリ。ぼくのノボリを。ぼくの最愛の人を。お願い、お願い…。





男の救急隊員が涙に濡れる僕に近づいて来て、深く頭を下げた。ねぇ、それはどういう意味なの? 分かんないよ。ぼくよりもノボリの所に行ってよ。助けを求めてるのはぼくじゃないのに。お願い、ノボリを、ノボリをたすけ──





「御家族様ですよね? どうかお側に」




その一言が、全てを物語っていた。クラウドの手が緩まる。ぼくは形振り構わずノボリに縋り付いた。





「ノボリ! しっかりしてノボリ! ノボ──」







握った手は冷たかった。肌がいつもより一層白かった。血の気なんてすっかり無くなってる。唇が青い。まだ乾ききっていない血だけが、暖かかった。





「……ノボリ?」




呼び掛けてもノボリは返事をしてくれない。目を開けてくれない。脈を取ってみたけど、何も無かった。口に手を当てて見たけど、吐息は感じられなかった。揺さぶってみたけど、何も言ってくれなかった。




「ねぇ、ノボリ? どうしたのノボリ? ねぇ、こんなとこで寝ちゃダメだよ。ねぇノボリ。ねぇ、ねぇってば…」





何度も何度もノボリの体を揺さぶりながら、何度も何度もノボリの名前を呼んだ。誰かが啜り泣く声が聞こえる。自分の声がだんだん上擦っていくのが分かる。あぁ、嫌だ、認識させないで。ぼくはまだ信じたくない。現実を突き付けないで。





──ノボリが、もう…なんて。






「もうやめてくださいクダリさん」





揺さぶる手を誰かに掴まれた。掴んだのはカズマサだった。涙と鼻水でグチャグチャになった顔で、それでも真っ直ぐにぼくを見据えていた。こんな真剣なカズマサ、初めて見た。どうしたのカズマサ? ぼく、ノボリ起こすので忙しいんだ。君の相手は後でするから、だから今はぼくの好きにさせ──





「もうノボリさんを、休ませてあげましょうよ…」





カズマサが泣きながらそう言う。ノボリの手を取って、ぼくの手の平へ。カズマサの泣き声が耳に痛い。握ったノボリの手はやっぱり冷たくて…握り返してくれることも、無くて。






『どうしたんですか? クダリ』





そんなノボリの声が聞こえたような気がした。でも、それは幻聴。目の前のノボリはそんなこと言ってくれない。冷たいまま。目を閉じたまま。ピクリとも動かない、暖かさを欠いた体。血の匂いが、今更鼻腔を嫌になるぐらい刺激してくる。






それは紛れもない──濃厚な死の匂いだった。




「ノボリ…」






視界がボヤける。次から次からへと涙が零れてくる。嗚咽が抑えられない。ぼくは白いコートが汚れるのも構わず、ノボリの体を抱き起こして、力一杯抱き締めた。ダラリと弛緩した体。大好きだったノボリの体温も、体臭も、何も感じない。分かるのは、生きているとは思えない冷たさと、血の匂いだけだ。










──あぁ、そうか。そうなんだね。






── 君は死んだんだね、ノボリ。







──ぼくを置いて、逝ってしまったんだね。






「ノボリ───っ!!!!」







ギアステーションに、ぼくの慟哭が響き渡った。恥も外聞も無く泣きじゃくるぼくを、止めようとする人はもう居なかった。周りの人達も、ぼくを見て同じように泣いていたことだろう。ぼくは声が枯れるまで、涙が枯れてしまうまで、ノボリを抱き締めて泣いた。 心が酷く痛かった。片割れを失った痛みは、想像を絶するものだった。






こうしてぼくは、想いを告げられないまま、大切な半身と、永久の別れを迎えた。

























点検運行のために走っているトレインがある線路に、酔っ払った男が飛び降り、そのまま線路を走り回ったらしい。容赦なく近付いてくるトレイン。男を助けようとノボリも線路に飛び降り、男を助ける時にトレインに接触、そのまま体を巻き込まれたのだという。ぼくのノボリは、文字にしてみればなんとも呆気ない不幸な事故で、決して長くはない生涯を閉じることになったのだ。









ノボリの通夜で、その男が妻らしき女の人と共にやって来た。泣きながら何度も謝られ、最終的には二人揃って土下座をしてた。ぼくはそれを見ても何も感じなかった。ただずっと、ノボリの遺影ばかり眺めていた。ちなみにその男は、同じく通夜に参列してくれていたトウコが思いっきり殴り飛ばしていた。いつもはトウコの歯止め役であるトウヤすら、それを止めることなく見届けてた。









棺の中で眠るノボリはとても綺麗で、今にも起き上がってきそうだった。でも、触れた頬は冷たくて、嫌でもノボリの死を実感させられた。もうノボリは還ってこないのだと、思い知らされた。とっくに枯れたと思ってた涙は、意外にもまだぼくの中に残っていたみたい。死化粧を施されたノボリに、ぼくの涙の雨が降り注いだ。









最後の対面の時、ぼくはノボリにキスをした。誰に見られていようと構わなかった。ずっと焦がれていたノボリとのキス。こんな形で叶うなんて思ってもいなかった。最初で最後のキスは、冷たい死の味だった。あぁ、なんて虚しいんだろう。ぼくが焦がれていたノボリとのキスは、こんなのじゃなかったのに。












サブウェイマスターの片割れ・ノボリが死んだというニュースは、ライモンシティに留まらずイッシュ地方全域に知れ渡り、たくさんの人がギアステーションに設置された献花台に花などを供えていった。高く積まれた花やお供物で、ノボリがどれだけたくさんの人に好かれていたのかよく分かった。ぼくの知らない所で、ノボリはモテモテだったんだ。好きな人がたくさんの人に好かれてるっていうのは、なかなかに嬉しいものだ。







でもそんなの…ノボリがいなくっちゃ、その喜びを噛み締めることすらも出来ない。





「ノボリ…」





いつも二人でご飯を食べてたテーブル。いつもノボリが座っていた場所に、ノボリの写真を置く。数少ない、ノボリが笑ってる写真。他人が見分けられないぐらい似てたぼくらだけど、笑った顔はますますそっくりだった。それでも、ぼくにはノボリとぼくの違いを見付けられる。目元の緩み方とか、口角の上げ方とか…本当に些細な違いだけど。







これからもずっとずっと、その笑顔を見せてもらえると思ってたのに。




「なんで居なくなっちゃうのさ、ノボリ…」





ノボリを見送ってから、もう何度一人でこうして泣いただろう。どれだけ泣いても、ぼくの涙は枯れることを知らない。ノボリを亡くしたあの日、もう二度と泣けないんじゃないかってくらいぼくは泣いたのに。ギアステーションの皆はぼくが落ち着くまで待ってると言ってくれた。その言葉に情けなくも甘えて、ノボリと暮らしてきたこの部屋で、バカみたいにノボリの写真を眺めて泣く日々を過ごしている。








ノボリ…ノボリの嘘つき…。




『すぐにわたくしも帰りますよ』





ノボリはそう言って、帰るぼくを見送ってくれたのに。





「帰って来なかったじゃんか…」







ノボリに嘘をつかれるのは今回が初めてじゃない。何回か、ノボリはぼくに嘘をついたことがある。風邪引いてるのに大丈夫って言ったりとか、怪我してるのに隠してたりとか、お客さんから理不尽ないちゃもんつけられて殴られても、それは自分が至らなかったからだと言い張ったり…そんな、小さな嘘。







でも、今回の嘘はあまりにも残酷だった。




「ノボリ…ねぇノボリ…」





ノボリと二人で過ごしてきたこの家は、ぼく一人には広すぎる。寂しいよ。至る所に残るノボリの痕跡。ノボリが使ってたお箸や食器、半分まで読まれた文庫本、ポケモン達のブラシやフード、ぼくと色違いのスリッパ、ノボリが使ってた香水の匂いも残ってて…何もかも全てが寂しさを助長させる。ぼくを追い詰める。寂しくて寂しくて、もうぼくは──





「怒らないでよね、ノボリ…」





ぼくは立ち上がり、ノボリの写真と、キッチンから包丁を持ち出して、お風呂場に向かった。もう、限界だった。ぼくの頭にはノボリのことしか無かった。ノボリのところにイキタイ…ただそれだけだった。






ソファに置いてきたモンスターボールがカタカタと揺れている。ポケモン達がぼくの行動を察知してなんとか止めようとしてるんだろう。でもごめんね、君達はそこにいて。ボールはノボリが死んだ日、開閉ボタンを壊した。君達は自力でそこから出られない。こんなご主人でごめんね。でも、酷な事を言うけど、君達じゃノボリの代わりにはなれないんだ。








ぼくにとってのノボリは、ノボリだけ──











お風呂場の扉を開ける。湯船にはあの日ノボリの為に溜めてたお湯が水となって今もそこにある。ノボリの為に溜めたお風呂だったのに、無意味になっちゃって、片付ける気にもなれなくて、今日までずっとそのままにしてた。ぼくはノボリの写真を淵に置いて、ペタリと床に座った。床は冷たかったけど、ぼくの心に比べれば暖かい方だ。




「今からそっち行くね、ノボリ」





袖を捲り上げて、手首を露出させる。ノボリの写真を見ながら、包丁を手首に当てがう。笑顔のノボリがぼくを見守ってくれてる。恐怖なんて微塵も感じなかった。ノボリがいつも料理作る時に使ってた包丁。すっごく切れ味良さそう。これならきっと、ぼくのことノボリの所に導いてくれる。確証なんて無いけど、不思議と強くそう思えた。








「ぼく、ノボリ一人にしたくない。一人にもされたくない。だから、同じ所に行く。それならずっと一緒に居れる。これすっごく良いアイディアでしょ?」







あの日ぼくの元に帰って来れなかったノボリの代わりに、ぼくがノボリの所に帰るよ。待たせちゃってごめんね。ぼくも寂しかったけど、ノボリだって寂しかったよね? ごめんね、謝るからさ。だから、またノボリに会えたら、言いたいことがあるんだ。






「ちゃんと聞いてね、ノボリ」







そしてぼくは、手首に当てがった包丁をひと思いに引いた。





















――――
別れも、嘘もさらって
ナイトメア/SLEEPER

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