深夜。ようやく基地に戻ってきた彼は、隊長室の前で佇んでいた私を見て何かを悟ったのか、曖昧な笑みを浮かべた。私は何も言えなくて、ただ俯く。




「入りなよ。話さなきゃいけないこと、たくさんあるから」




疲労の色を濃く残した顔をしながら、彼は私の横をすり抜けて室内に入っていく。彼はいつも、あんな疲れた顔をして帰ってきていたのだろうか。あんな仕打ちを受けながら、自分の足で、ここに戻ってきていたのだろうか。




「(私は何も…知ろうとしなかったのだな…)」




彼を追って室内に足を踏み入れる。月光を惜しげもなく招き入れている室内は、照明をつけていないというのに十分に明るかった。彼は窓の縁に腰掛けていて、すぐ側には一脚の椅子が置いてあった。多分あそこが、私の席なのだろう。




「座りなよ。立ったまま聞くには、俺の話は長いよ」
「では…失礼します」




私は椅子に腰掛け、彼を見上げた。月光を浴びる彼は、とても美しく、儚かった。いつもの近寄りがたい雰囲気も形を潜め、年相応の少年そのものの空気を纏っていた。




「…観念したのですか?」




私の戯れの言葉に、彼は




「…そうなるかな」




と言ってのけた。




「私が見ていたのは、ご存知だったのですか?」
「こっちの音声はシャットアウトされてたみたいだけど、そっちの音声はそうじゃなかったんだよ。…軽蔑しただろ、俺のこと」
「何を言っているんですか! 軽蔑などしていません!」




小声の呟きに、私は思わず声を荒げて全力で否定した。あまりの声量に驚いたのか、彼は少し肩を跳ねさせた。私はそんな彼に構わず捲くし立てる。




「寧ろ謝るのは私の方です。あなたが抱えている何もかもに気付かず、あなたに歩み寄ることを放棄し、のうのうと隣に立っていた自分自身が憎くてたまらないのです。申し訳ありません隊長。私は、副隊長失格です」
「……気にしなくていいんだよ、そんなこと。近付かせないために、わざとそうしてたんだから」
「しかしっ、チャンスはいくらでもあったんです。けれど私は逃げてばかりいました。己が傷付くことを恐れて、目を背けていたんです。これを愚行と言わず、なんだと言えましょうか!」




例えば、二人で事務作業をしていた時。


例えば、食パンちゃんから封筒を受け取った時。


例えば、初めて人を殺した時。





いつだって、私は逃げてばかりいたのだ。ほんの少しでも勇気を持てていれば、何かが違っていたかもしれないのに。今日のような暴かれ方は、有り得なかったのかもしれないのに。







全ては、私が巻いた種だ。




「申し訳ありません…」
「やだな、謝んないでよ。俺が虚しくなるじゃんか」
「でも…隊長は、ずっと辛い思いをしてきたのに…」
「……辛い、か…そうかもな…」





私は恐る恐る顔を上げた。彼は窓の外を眺めているようだったけれど…真紅の瞳からは、大粒の涙が零れ落ちてきていて。





思わず立ち上がってしまった私だったが、だからと言ってしてやれることが見当たらず、立ち往生してしまう。間抜けな姿を晒す私をチラリと見て、彼は涙を零し続ける。




「辛いよ、本当は…辛くて辛くて、どうにかなりそうだ……でも、そんなこと思ったって、どうしようもない。俺は…アイツに従うしかないんだから…」




くしゃりと顔を歪めた彼を、たった今行動しあぐねていたのが嘘のように、私は躊躇いなく抱き締めた。細くて、華奢な体だった。あれだけの強さを持っているのに、まだまだ幼さを残した体躯。彼はこの身に、全てを背負っていたのだと再認識する。一人で背負うにはあまりに重く、大きなモノ。一体いつから、彼は背負い込んでいたのだろう。




彼を抱き締めたまま、私は言う。




「吐き出してください。全部、全部」
「…っ…」
「話してくれるんでしょう? ずっと私を遠ざけていたあなたが、話してくれる気になったのでしょう? 最後まで聞きますから…だから、話してください。全部全部…私が受け止めますから」
「っ……ハハ…うちの副隊長って、実は格好良かったんだな…」




私の背に腕を回しながら、彼はそう言って笑った。













──彼は全てを話してくれた。





一年前、強くなる為に仲間の元から離れたこと。


修行の甲斐あって、新たな力を得られたこと。


三世様に妹を攫われたこと。


助けたくばボーボボを殺せと言われたこと。


立ち向かったが全く歯が立たなかったこと。


真の隊長格が目覚めるまでの繋ぎとしてネオAブロック隊長に据えられたこと。


真の隊長格が目覚めるに必要である善滅丸の完成に貢献するよう命じられたこと。


今の彼はバブウ様の玩具でしかないということ。


善滅丸の影響で殺意が暴走し始めていること。


それは到底理性で押さえ込めるものではないということ。


いつか、私や隊員達に牙を向けてしまいそうで怖いと。










何もかもを赤裸々に話してくれた彼を、私は終始抱き締めていた。彼も私から離れようとする素振りを見せず、そのままで居てくれた。初めて彼に心から頼りにされているように思えて、私は嬉しかった。しかし、話された内容はあまりに壮絶で、とても十七歳の少年が背負う類のモノではない。





私が盲信していた正義は、所詮瞞しでしかなかったということだ。


…いや、そもそも、マルハーゲ帝国は正義国家ではなかったのだという、当たり前の事実を事実として認識し直したのだった。




「…これから、どうするおつもりですか?」




語り尽くした彼に、私は小さな疑問を投げ掛けた。今までの隘路を全て吐露してくれたのは純粋に嬉しいのだが、如何せん『こうしたい』『ああしたい』という明確な願望は明かされていない。抱くことも諦めているのか、抱かないと自戒しているのか。



ようやく顔を上げた彼は、泣きはらした顔で私を見て、言った。




「変わらないよ。俺はこれからも隊長としてパゲメンを遂行し、善滅丸の実験体を全うし、殺意に呑まれ、いずれ現れるであろうボーボボさんを…殺す。それだけだ」
「それじゃあ、隊長が救われないじゃないですか!」
「救われる? 俺が? ……何言ってるんだよ、リグ」




私の腕をすり抜けて、彼は窓の縁から軽やかに降り立った。そして私を真っ直ぐ見上げて──自嘲するように、言った。




「数え切れない程の人を殺した俺が、救われて良い訳ないじゃないか」




そう宣った彼は、呆ける私を置いて扉へ向かう。




「俺は……救われるべきじゃないんだ」




そんな言葉を残して暗い通路に消えていった彼を、すぐに私は追い掛けた。今まで追い掛けてこなかった分を、補うように。荒々しく扉を押しのけてまで追い掛けてくるとは思っていなかったのか、彼は足を止めて振り返っていた。


逸る気持ちを抑えて、私は告げる。素直な私の思いを。




「救われてはいけない人間なんて居ないんですよ、隊長」
「………」
「自覚してください。あなたはまだ子供なんです。そんな風に達観するには…あまりにも早過ぎる」
「……良いんだよ、俺は」




首を振り、彼は私の言葉を否定する──否、拒絶する。





今まで何度となく見せられた、彼の頑なな心。




「俺が救われなくても、妹が救えるなら…俺は、どうなっても良いよ」
「…妹様は、喜ばれないと思いますよ」
「だろうね。でも、俺はこれ以外のやり方を知らないから」




こうするしかないんだよ──言い捨てて、彼は闇に紛れて消えてしまった。私はもう追い掛けられなかった。結局私は、自分の無力さを露呈させただけで、何一つとして役に立てないのだった。彼の心を救うことも、状況を変えることも、何も…。







バブウ様は、何を思ってあんな光景を見せつけたのだろう。私を落胆させたかったのだろうか。彼がずっと秘めていた事柄を私に見せつけたのは、私がどれだけ無力な人間なのかを自覚させるためだったのだろうか。





もし、そうだと言うのなら──




「知りたくなかった…こんなこと…」




私の悲痛な呟きは、夜の闇に呑み込まれ、やがて消えてしまった。誰に知られることも無いままに。













ボーボボ一味が再び猛威を奮い始めたとの情報が入ったのは、それから一ヶ月後のこと。基地の近くまで奴らが迫ってきた時、彼は私達を連れて奴らに宣戦布告をした。






自分は敵だと。



ボーボボ達を殺すのだと。







小手調べの戦闘を終え、私達は一旦基地へ戻った。そのまま私だけが隊長室に呼び出され、現在、私は彼と二人きりだ。彼は部屋に入るなり机に突っ伏してしまい、沈黙を貫いている。私も何と声を掛ければ良いのか模索したまま、時間ばかりが過ぎていく。






覚悟は決めていたのだろうけど…やはり、キツかったのだろうな…なんて、私は考えていた。ほんの一年前までは、同じ志の下共に戦ってきた仲間なのだから。理由があるとは言え、そのための下積みがあったとは言え、実際に拳を向けるとなると…メンタルが挫けてもおかしくはない。




「あの、隊長…」
「……うん、ごめん…大丈夫…」




全然大丈夫じゃなさそうな声音でそう言って、彼はようやく顔を上げた。泣きそうな表情の彼は、その瞳に溜めた涙を必死に零さないように努めながら、言う。




「俺…これからスパゲッティ学園に向かおうと思う」
「スパゲッティ学園に…ですか?」
「…ボーボボさんは、俺の目を覚まさせようとする。次はきっと、中途半端な戦いは許されない。なら、場所を変えた方がいい」
「…この基地では、ダメなのですか?」
「ダメだよ」




小さく彼は首を振った。




「これは俺の問題だ。巻き込むわけにはいかない」
「ですがっ…」
「…多分、俺は負ける。善滅丸を使ったとしても無意味だろう。ボーボボさんに勝てるなんて、万に一つも思ってない」
「…隊長」
「もう、そう呼ばれることも無くなるのか。せいせいしたような、寂しいような…」
「…何をそんなに弱気になっているんですか」
「感傷だよ、ただのね。…リグ」




彼は立ち上がり、私の前まで足を進めてきた。相変わらず縮まらない私達の身長差。彼は私を見上げて、私は彼を見下げる。もう何度もこのアングルで、彼を見てきた。その強さを目の当たりにしてきた。その中に潜む弱さも、幾度か見たことがある。









長いようで短い期間だった。一年に満たないこの期間に…今、終止符が打たれようとしている。彼の言葉で。ネオAブロック隊長としての彼の──最後の言葉で。




「今までありがとう」





そう言った彼の顔は、この基地に来て初めてであろう、とても綺麗な笑顔だった。ボーボボ達と居たときには多く浮かべていたのだろう、心からの笑み。そして、心からの謝辞。最後に彼は、私に与えてくれた。そしてそのまま深く深く頭を下げる彼を見て、私は胸の中に熱いものが込み上げてくるのが分かり、溢れる涙を止めることが出来なかった。みっともなく涙を流したまま、彼を抱き締めたい衝動を必死で抑えていた。






彼が顔を上げるのと同時に、私は彼の足元に跪いた。それは彼への最大の敬意の表れであると同時に、みっともない泣き顔を隠す為の独り善がりでもあった。きっと彼は私が泣いていることに気付いているだろうけど、気付かないフリをしてくれる。滲む優しさ。頑なに押し隠してきた彼の本性は、ただただ優しさに満ちていた。




「っ…この一年、あなたと共に過ごせたことを、光栄に思います…!」




絞り出した言葉は、情けない程に掠れていた。涙でぼやけた視界の中で、彼の爪先が動いた。無言のまま、彼は私を置き去りにして、部屋を──いや、基地を出て行くのだ。隊長として、最後の戦いに身を投じるために。







再びボーボボ一味と…なるために。






別れの言葉は無かった。私達にそんなものは不必要だったから。彼が出て行って、静寂が訪れた隊長室で、ただただ泣いた。ずっと彼が殺してきた涙を代替わりするように、私はバカみたいに泣き続けた。この年になってこんなに泣くことになるなんて、思ってもいなかった。






















それからすぐ、私は隊を抜けた。彼の傷や闇をずっと目の当たりにしてきた私は、もう帝国に付き従うことに耐えられなくなったのだ。三世様の悪徳政治は止まることを知らず、状況は悪くなる一方だ。ここで隊を抜けるのは自殺行為に等しかったが…もう私は迷わなかった。自分の心に嘘は吐けない。これ以上悪行に手を染めたくなかったのだ。







一人でひっそりと生きながら、私は時折彼のことを思い出す。それは主に何かに挫けそうになった時だったり、見えない壁に行く手を遮られたりした時だ。その時は必ず、自分に言い聞かせる。こんなことで弱音を吐くのは、情けないぞと。










あの日彼に渡した言葉は何よりの本心だ。彼と過ごせて良かった。隊長が彼で良かった。彼と過ごせたから、私は変われた。己の愚かさと向き合えた。立ち止まらない強さを学んだ。







私は彼から多くのものを貰った。でも、私はどうだっただろう。彼は事ある毎に自分を卑下した。こんな自分は救われてはいけないと言っていた。得た強さを正しいことに使えないことを悔いていた。言いなりになるしか無い自分を何より恥じていた。いつも虚勢を張って、無理して一人で立ち上がって、傷を隠して、本音を僅かにしか晒してくれなかった。そんな彼に私は与えてもらってばかりで、一体何をしてあげられたのだろう。不意にそんなことが頭を過ぎることは、決して少なくは無い。








…最後に見せてくれたあの笑顔と、最後に与えてくれたあの言葉。







あれは彼の本心だったのか、社交辞令だったのか…どちらが正解なのだろう。答えを求めても、そんなものは一生得られない。…仮に、言葉は社交辞令であったのだとしても。










あの笑顔だけは──本物であると願いたい。

 












REGRET
(澄み渡る青空に問い掛ける)
(私は彼にとって、なんだったのだろう)





『REGRET』だから『リグ』。安直ですね。はい、というわけで、ここまで読んで下さり、どうもありがとうございました!



隊長時代の話はずーっと書きたいなと思ってたんです。故郷を壊滅させられた経緯もあり、憎悪を抱いていてもおかしくない帝国側に身を投じなきゃいけない…そして仲間を始末しなければ妹を救えない…そん板挟みに遭って、心が折れない人間なんていないと思うのです。



だから、何か支えになる存在が必要でした。それを考えて、すぐ思い至ったのが副隊長という立場。「そうだ、このポジの人をへっくんの欠片程度の心の拠り所にしよう」と決めました。生憎作中では全く拠り所になってませんが← でも、へっくんが抱えていた全てを吐き出せる人物がいるかいないかで結構違います。リグがいたからこそ、ボーボボとの戦いの前に、へっくんはリグに笑顔を見せられたんです。一度何もかもを彼に吐き出したから、少しは仲間意識を抱けたのかもしれません。




今回バカみたいな文章量になってしまって申し訳ないです。でも書きたかった話だから、こうしてアプ出来て良かったとも思っています。誰に評価されなくても、俺はこれからもへっくんを愛でていきたいと思います。読んでくださって本当にありがとうございました!!!!





栞葉 朱那

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ