テニスの王子様

□ラブド バイ ミー
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雨が降ってきた。
俺は傘を差すと、帰り道を歩く。
ぽたりと雨の雫が、髪を伝って頬を流れ落ちる。
少し目を瞑れば、暗闇の世界から様々な音のオーケストラが、不協和音を奏でていた。

「…蒸し暑ぃ」

夏の雨はじめじめして嫌いだ。
身体にまとわりつく雨粒が、俺の身体までどろどろに溶かしてしまいそうだから。
今すぐ服を脱ぎ捨ててしまいたかったが、流石にそれは憚られた。
こんな時に、あいつがいればと思う。
あいつなら、俺の傘を奪い取ってでも差してくれる。
そして、『相合い傘なんて照れるっすね』と笑うあいつを少し小突くんだ。
多分、そっからキスされるんだろう。
甘ったるい雰囲気が身体中を駆け巡った。
ぞわりと背中が痒くなり、俺はそれ以上考えないようにした。
雨はどんどん強くなっていく。
どうやら嵐みたいだ、縁起でもない。
俺は、空いた右側をちらりと見る。
いつの間にか、あいつと相合い傘をするようになってから。
俺の右側はあいつの特等席となっていた。
そう、あいつとの関係の始まりも雨だった。
傘を忘れた俺は、雨が止むまで学校で雨宿りをするつもりだった。
その時、あいつが声をかけてくれた。
『傘、入ります?』と。
あいつの顔は随分緩んでいて、少し前から俺に声をかけるのを狙っていたみたいだった。
くすりと笑うと俺は頷いた。
あん時程、あいつが笑ったことはない。
その笑顔に、俺はオチた。
…それからの付き合いだ。
でも、もうそれも終わりを告げた。







『…ねぇ、先輩…俺、引っ越すんだ』

…それ以上は何も聞いてない。
その言葉の続きを聞きたくなくて、走って逃げて来た。
そしたら…こんなにも。
雨が降っていた。
悲しくて、辛くて、苦くて、痛い筈なのに、雨に濡れてはいけないなんてやけに冷静な自分がいた。
でも不思議と、力が入らない。
涙すら出ない。
きっと、それ程ショックだったのだろう。
少し外に出てみれば、不条理にも雨は俺の身体を冷やしていく。
雨音が俺を嘲笑っているようで、怖い。
俺は耳を塞いだ。
唇は乾き、荒れていた。
お前の唇で癒やしてよ。
俺は、お前がいないと、駄目なんだよ。
ぐっと唇を噛み締めると、血がほんのり滲んだ。
血が、俺の身体と対比して、すごく熱くて。
今ある温もりが消えてしまう。
そう思うと、やっと涙が出てきた。

「…帰ろう」

やっと傘を差すと、今に至る。


…なんで、追い掛けてこないんだよ。
悲しみの次には怒りが沸いてきた。
雨もうっとおしく感じるから、人間というものは不思議だ。
あいつがいなくなったら、俺どうなんのかな。
一人寂しく、死ぬのかな。
…それはないか。
頭をぶんぶんと振ると、急激に頭が痛くなった。
まるで、鉛を頭に乗せられたら気分だ。
それに、寒い。
先程まで蒸し暑かった筈なのに、今では身体の芯から寒さを訴える。

「…っは、くしゅっ」

…間違いなく、風邪だろう。
俺は駆け足で帰路を急ぐ。
これ以上は身体に毒だ。
家に帰って、寝よう。
それで全て、忘れるんだ。
結果が変わる訳じゃないのに、俺は足を進めた。
きっと、こんな風に逃げたいんだ。
自分の気持ちからも、現実からも。
『好きだ』の一言が言えればどんなに楽なんだろう。
『行かないで』と言えれば、どんなに幸せだろう。
でもそれを言える程、可愛らしい人間じゃない。 
もう、子供じゃない。
こんなに自分に素直になれないなら、大人になんかなりたくない…っ。
その言葉は音にならなかった。
身体がだるくて、立っていられなかった。











「…っ先輩!」

地面に倒そうになった、その瞬間。
誰かにふわり、と抱き締められた。

「…ぁ」

「先輩、やっと、追い付いた…っ」

あいつははぁはぁと息を乱しながら俺を見つめる。
また、涙が溢れた。

「…っう、あぁ…んっ…」

赤子のように泣き出す俺にあいつは優しく俺の頭を撫でた。

「ごめんね。でも、ちゃんと聞いて」

あいつは俺の耳にキスを落とすと囁いた。

「引っ越すって言ったけど、俺は反対したんだ。…だから、一人でこの街に残ろうと思う。
そりゃ中二だし、不安な部分は沢山あるけど…絶対先輩のそばから、離れたりしない。約束する。
…だから、泣かないで先輩。」

その言葉の最後が聞こえた時、俺の意識は薄らいだ。

「…う、れ……、い…あ…かや…」

最後の力を振り絞ると、全身から力が抜けた。

「…先輩、ごめんね。俺のせいで。
でもね、俺、そんな先輩だから、好きになったんだ。

…愛してる」
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