貰い物部屋
□頂き物・国弘小説
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厳しい寒さが和らいでくる。
暖かな風が動物や植物や様々なものを起こしながら日の本を駆け抜けた。
麗らかな春は南西の方からやってくる。
桜といえば京の町が有名だが、京がまだぽつりぽつりとしか咲いていないうちに瀬戸内では薄桃色の桜が満開になった。
「元就〜、花見でも行かね・・・」
意気揚揚と元就を誘いにきた元親は『よっ』と手を挙げた形で綺麗に固まった。
「おや、元親君」
「遅かったな、元親」
当たり前のようにそこにいるのは自分が家を出る時に送り出してくれたはずの実の父親で。
「親父・・・、何で俺より早いんだよ」
「俺の実力」
「理由になってねぇよ!」
ぎゃーぎゃーと言い合う国親元親親子をにこにこと見守る弘元の後ろには呆れたようにため息を吐く元就がいた。
「父上が花見に行くというから我は行けんぞ」
そういうわけだと弘元の肩を抱いて歩いていく国親を見送り、元親は盛大に落胆して倒れこむ。
脱力しきった尺取虫のような体勢は明智のダウン時のそれだった。
ちょっと城下に下りれば町の人たちは皆笑顔で弘元に声をかけてくる。
「弘元様ー!」
「御逢引きですか?うちに寄って行って下さいよー!」
そんな彼らに小さく手を振り返す様は殿というより姫だ。
国親は何となく数年前の息子を思い出した。
「すまないね、今日は花見の予定だから」
控えめに言えば若い娘はキャーキャー騒ぎ、若い男も頬を染めた。
実年齢では同年代なのではというようなおじいちゃんおばあちゃんはそれらを微笑ましそうに見つめている。
「アタシもあと60年若かったらねぇ」
「弘元様、町の外れの桜並木が満開だぁ、行ってみさーせなぁ」
行く先々で勧められる桜並木を目指して歩く間、弘元は道行く人に返事を返すのに手一杯になっていた。
少しだけ後ろを歩く国親とはまともに会話は成立していない。
やっと外れが近くなり人気も無くなって来たころ、振り向いた弘元が見たのは眉をひそめる国親の顔だった。
「国親?どうかしましたか?」
「・・・別に。お前が人気者すぎるから妬いてるわけじゃねぇぞ」
そっぽを向く国親の腕に、弘元は笑いながら自らの腕を絡める。
「わかってますよ、貴方が妬いてないことくらい」
「弘元、その返しはなんつーか・・・違くないか?」
「どうしてですか?国親なら、『さすがは俺の弘元』くらい言ってくれるものかと思ってましたが」
本当に不思議そうな顔で、恥じらいもなく言ってのける弘元に国親は歯痒さを感じながらも苦笑した。
「あーもー、まあそうなんだがな?でもやっぱそこはもうちょい不安そうにってーか・・・ま、いいか」
擦り寄ってくる弘元の頭をがしがしと、しかし愛しそうに撫でてから国親はその体を優しく抱き上げた。
「やっぱ花見なんて無理させすぎたかと思ってよ。城を出たらこうやって運んでやろうと思ってたのに、機を逃すし」
後世に言うお姫さま抱っこも弘元は嬉しそうに受け入れる。
首に手を回し、太陽と磯の香りがする髪に頬を寄せた。
「言うほど弱くないですよ。そんなに気にしなくとも、酒ももう止めていますし」
貴方がいれば、酒を飲む必要はないから。
甘い言葉は言わずとも通じる。
成り行きで目が合った二人は、しばらくお互いの顔を見つめ合って後、同時に笑った。
ぶわっと強い風が吹く。
春一番を思わせるその風に乗った桃色の花びらが、何枚も二人の髪に、服に、その身を寄せた。
「うっわ・・・スゲ」
「これは見事な・・・」
同時に口を突いて出たのは感嘆のため息。
花びらを辿って前に目を向ければ、そこには雄大に根を下ろす桜の巨木が誇らしげにたたずんでいた。
幾重にも重なる桜の花はさながら薄紅の霞。
幻想的な空間の中に、二人以外の人間は存在しなかった。
「あんだけ綺麗だって言っといて、何で誰もいねぇんだ?」
「・・・・・・あれ、」
目の前には一本の桜の木。
道中散々勧められたのは町外れの桜並木。
「道を、間違えたようですね」
ぽそっと言う弘元に国親は言葉を無くした。
だから向かっているはずなのに『桜なら町外れの桜並木が』と言われ続けていたのか。
勧めてきた彼らからすれば、ありがとうと答えながら別方向へ歩く弘元はとんだ頑固者に見えたのではなかろうか。
弘元を見ればそんなことは気にも留めずに桜に見入っている。
「(こいつもいい加減天然だよなぁ・・・)」
やれやれと地面に下ろしても、ぴったり寄り添って離れない弘元が愛しい。
「ま、結果往来だな」
「結果往来?」
「この前元親が使ってた。終わり良ければ全て良し、みたいなもんか」
元親は風来坊から聞いたといい、風来坊は独眼竜に教わったと言っていたそうだ。
まあ若者言葉というやつなのだろう。
「元親君はおもしろい言葉を使うんですねぇ」
「お前の倅だって一時期南蛮人に『産殿毛利』とか『宅地さん』とか言われてたじゃねぇか」
元親が信親連れてぶっ潰したようだが。
「宅地さんってなんだ?」
「さぁ・・・?」
息子達より大分国際関係に疎い二人は伊達辺りが聞いたら地団駄を踏んで訂正しそうな会話をゆったりと交わした。
話しながら一歩二歩と近づけばいよいよその木の大きさに圧倒される。
真下に腰を落ち着けて見上げれば空が恋い焦がれて薄紅に染まったようだ。
「恋の相手は野原の蝶か、伸ばす手も無し春の空、流す涙は桜花・・・ってな」
「似合いませんよ」
「・・・ほっとけ」
「そうではなく。悲しい恋を語るのが似合わないというんです」
まだ唇を尖らす国親に弘元は大きめの布袋を取り出す。
城を出るときから大事に抱えていたものだ。
その中からは瓢箪と杯が二人分出てきた。
「酒は止めたんじゃなかったのか」
「残念ながら甘酒です。夏には少し早いですが・・・花見に何もないのもつまらないでしょう」
ほどよく温度の残っている甘酒は、杯に注げば時折吹く冷たい風に微かに湯気をたてる。
軽く乾杯をして口元に運べば暖かさと甘さが何とも言えず心身を癒した。
ふと、悪戯な花びらが弘元の杯に波紋を広げて舞い降りる。
真っ白な中で踊る薄紅は風流で、退けてしまうのがもったいなく思えた。
それを共に見つめる国親の杯にもはらりと華が散る。
「俺も先祖に倣うとするか」
にやりと笑うと、国親はそれを一息に飲み干した。
口から離した杯には白も薄紅も残っていない。
「お前は真似すん・・・なっておい!」
それがかっこよく見えたのか、弘元も花びらごと酒を口に含んでいた。
大きな木の桜だからか、普通のものより花びらも大きい。
予想に外れず、弘元は半分ほど飲んだところでむせこんだ。
「あーほら、言わんこっちゃねぇ。何でも俺の真似すんの止めろ?大丈夫か?」
背中を擦ってやれば咳は直に納まったが、その顔を見て今度は国親が呼吸をおかしくしそうになった。
むせた所為で上気した頬、荒い呼吸。
重ねてそこここに零れてしまった甘酒のとろりとした白はあらぬものを思い起こさせる。
俺もまだ若かったか?
苦笑しながら国親は口元に付いた甘酒を舐めとった。