オーブと君の笑顔
□第1章 娘
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夜遅く、アスランは自宅のリビングでゆったりとソファに座っていた。
穏やかな眼差しをキッチンに立つカガリへ向けている。
忙しい彼女が、料理をする時間は無いけどせめてお茶くらい入れたいと申し出てくれた。
悪戦苦闘しつつ本式のコーヒーを入れているカガリを、アスランは幸せそうに見つめている。
彼女はそろそろとした足取りで、コーヒーを大事そうにアスランの元へと運んで来た。
「ありがとう」
彼の一言に、カガリは微笑む。
「いい豆が手に入ったからアスランに入れてあげたいと思ったんだけどさ、私あまりコーヒー入れたことないし・・・おいしく入れられたかどうかはわからないぞ?」
カガリが入れてくれればインスタントコーヒーだっておいしい。
そんな戯言を語らう時間が無いのを残念に思いながら一口飲んだアスランが答えた。
「おいしいよ、いい香りがする」
明日の朝、早朝から執務があるので彼女はそろそろ帰る時間。
カガリが家に来てくれると時間はあっという間に過ぎてしまう。
少し急いでコーヒーを飲み終えた彼女は、リビングの時計を見て思い出したように立ち上がった。
「あ、そうだ。時計が止まっていたから、ゼンマイを巻いてから帰ろうと思ってたんだ」
カガリ達からアスランへ贈られたアンティーク時計は、時々ゼンマイを巻く必要がある。
少々不便とも思えるその手間をカガリは嬉しそうにかってでくれる。
ゼンマイが切れてもアスランはそのままにしておき、カガリが巻いてくれるのを待つことが多かった。
彼女が時計のほうに歩み寄るとアスランもその傍に立ち、彼女を軽々と抱き上げる。
カガリが子供の頃アスハ家にあったアンティーク時計のゼンマイを巻くとき、彼女はいつも肩車してもらったそうだ。
さすがに大人の女性を肩車するのはどうかと思い、アスランは彼女をたて抱っこする。
お父さんが娘を抱くようにするその様子を、カガリは初めのころ不満げにしていたが、今ではそれが当たり前のように文句ひとつ言わなくなった。
ゼンマイを巻くカガリはなんだか楽しそう。
「この時計ずっと動くといいな。もう壊れたりしないといいけれど・・・」
子供の頃、カガリはこの時計を一度壊してしまったのだ。
「ずっと動くさ。壊れても俺が直すよ」
アスランは笑みを浮かべて、からかうように付け加えた。
「例え誰かさんみたいな、いたずらっ子が壊してもな」
カガリが渋い顔をして、巻き終えたゼンマイの取っ手を時計の中に戻す。
「いたずらっ子が壊すとは限らないだろう?オマエ似の機械マニアの男の子が分解して戻せなくなるとか・・・」
何気なく言ったカガリの小さな未来予想図。
その甘言はアスランの思考を停止させた。
自分で言っておいて照れているカガリが文句を言う。
「アスラン、ぼんやりしてないでもう下ろせよ。ゼンマイは巻き終わったからさ」
アスランがのろのろとカガリをそっと床におろした。
その表情はぎこちなく口元を片手で隠すようにしていて、カガリと視線を合わせようとしない。
アスランを照れさせて黙らせてしまったことに気分良くしたカガリは、帰り支度をしながら軽口を言った。
「お前に似ても機械マニアになるとは限らないか。アスランが子供を肩車してゼンマイ巻かせてあげるの見てみたい。男の子でも、女の子でも」
「・・・ない」
彼女を玄関まで送りながら、アスランがボソッとつぶやいた。
「えっ?」
よく聞こえなかったカガリが靴を履きながら聞き返す。
「肩車なんかさせてくれないよ、甘えるのが下手なんだ・・・俺なんかに似たら」
「ぷっ」
カガリは悶えるように笑いをこらえている。
アスランはきまり悪そうに靴をはき、カードキーを持った。
「下まで送る」
地下駐車場にカガリのSPが車で迎えに来ているのだ。
目じりに笑い涙を浮かべたカガリがやんわり断る。
「いいよ。誰かに見つかったら面倒だろう」
ふたりは一緒に出歩かないようにしていた。
自宅マンションで准将が代表と会っている姿を、報道関係者に撮られないよう気をつけている。
「送る。もう俺たちが付き合っている事は、世間も知っているんだ。マンションの中くらい、いいだろう」
自分たちの子供、そんな幸福な話をしたら、アスランはカガリと離れがたくなったのだ。
譲ろうとしないアスランに、カガリはおとなしく従った。
エレベーターでふたりきり。
下へ降りていく浮遊感を足元に感じながらカガリがアスランの手を握る。
「今度、二人で外へ出かけてみようか?」
驚いたアスランが彼女の手を強く握り返した。
「君さえよければ俺はもちろん・・・あ」
「どうした?」
「いや、なんでもない」
地下駐車場にエレベーターがつき、扉が開く直前。
カガリが自分の手にとっていたアスランの手を引き寄せ、手の甲に唇をよせた。
「へんなアスラン」
地下駐車場への扉が開くと彼女は軽やかに手を振って、SPの車のほうへ走っていった。
瞬きするアスランが立ち尽くしていると、エレベーターの扉が再び閉まる。
(子供の話なんてするからびっくりして、別れ際に玄関でカガリを抱きしめるの忘れた)
彼は自宅の階のボタンを押す。
(・・・とか考えてたら、さらっと彼女のほうからキスするし。俺より余程エスコートが上手い。かなわないな)
上昇していくエレベーターの中でポツリとこぼれたアスランの独り言。
「俺は、カガリ似の感情豊かな女の子がいいな・・・」