ア イ オ ト 。

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「おかえりなさい」


鮮やかな朱色が、街を染める夕暮れ時。
玄関のドアを片手で支えながら、腰にエプロンをまいた名無しさんが、優しい微笑みで練習から帰宅した俺を迎えてくれた。あまりにも柔らかく穏やかなその光景に、思わず返事を忘れて見入ってしまう。

そんな俺に、「どうしたの?」と問いかけながら大して気にする様子もなく、名無しさんはパタパタとスリッパの音を響かせてキッチンへ戻ってしまった。


そうそう、
昨晩、名無しさんと交わしたメールで、今日の夕食は一緒に食べようという事になったのだ。
名無しさんがこの街に帰ってきたのはつい一週間前の事で、家や仕事の件で毎日バタバタしていた(名前)と、こうして二人きりでゆっくり会うのは今日が初めてという事になる。


キッチンに戻ってしまった名無しさんの代わりに、真っ白で艶やかな毛をした猫が、いつの間にか俺の足下に擦り寄っていた。

その小さな体を、自分と同じ目線まで持ち上げると、柔らかな肉球のついた前足で鼻先をキックされて、思わず笑った。

「久しぶり、ぺぺ。」


リビングからは、グツグツと何かが煮えている音がする。


ーーああ、なんて幸せなのだろう。

今、この瞬間が、本当に幸せでならないのだ。


随分と遅れてリビングに入ってきた俺に、名無しさんは一度目を向けると照れたような表情を浮かべていた。


そんな(名前)を面白く思いながら、グツグツ煮える物の正体を確かめにいく。
蓋を開けると、蒸気がぶわっと立ちこめて、顔全体が一気に湿っぽくなった。

覗き込んだ先にあったのは、鮮やかな黄緑色の葉に包まれたロールキャベツで、キラリと光るコンソメスープがその周りでグツグツと音を立てて煮えている。


「うわっ、うまそ!」

鍋の中を覗き込んでいる俺から蓋を取り上げて、もう一度蓋をし直した(名前)は、困った顔で俺を見ていた。


「まだ開けちゃ駄目!」

そう言った名無しさんが、いつもより大人っぽいと感じるのは何故だろうと思ったら、多分髪の毛を一つに結んでいるからだと思った。
首筋の後毛や、耳に揺れる小さなピアスにさえも妙にドキドキしてしまって、俺はそそくさとキッチンを後にした。
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