短編 T
□見慣れぬ彼
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ぽたり、ぽたりと伝い落ちる汗。
髪の先から、顎先から。
流れる汗を拭うこともせず。
ただ我武者羅に、ボールを追う姿。
いつもは飄々とした表情の下に隠した闘争心。
誰よりも激しい勝利への執着心。
詐欺師の仮面の下に潜む、仲間への強い信頼。
『見慣れぬ彼』
どうしても今日中に終わらせなければならない用事があった。
委員会に提出する書類で、別段香乃でなければ作製できない物でもなかったのだが、今日中に仕上げられる者が香乃しかいなかったのだ。
それを作り終え、ようやく帰れると東門に向かう。
テニスコートの脇を通りかかった時、不意に香乃が足を止めた。
「……?」
仁王と付き合うようになった今では聞きなれた音が、香乃の耳を掠めた。
テニスボールが跳ねる音。
そしてボールがラケットに当たる瞬間のインパクト音。
彼氏である仁王を連想させるその音に香乃が反応したのは、当然の結果だった。
だが視線を向けた先の景色に、香乃は驚きに目を見張った。
「……ニオくん?」
そこはテニスコートなのだから、仁王がいても不思議ではない。
だが今は部活も終わっているらしく、仁王の他にテニス部員の姿は見えない。
それなのに彼は一心不乱にボールを追ってるのだ。
壁に打ち付けたボールが跳ね返る。
それをまた打ち返すために走る仁王の全身からは汗が伝っている。