07/18の日記

22:52
「ポチ拾いました」の冒頭
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<ポチ拾いました>【サンプル】


 なんでいつもこうなるんだろう。
 水月浩一はみじめな気持ちでいっぱいだった。寝ても覚めてもトシのことばかり考えてしまう。
 二週間前、そう二週間前だ。
 トシがいつまで経っても自宅を一度も見せてくれないから問い詰めたら、実は奥さんと子供がいると言われた。一気にどん底に叩き落とされた。二年間本気でつき合って将来は一緒に暮らそうと約束までしていたのに、全部嘘だった。
 これで、三人目だった。
 今まで二人の男とつき合ったが、二人とも世間体を理由に水月を捨てた。
 トシは違うと思っていた。大好きだった。トシが駄目ならこの先一生恋愛なんかしないと思っていたのに、そのトシが駄目だったのだ。
 その時、ぴんぽーんと平和なドアチャイムが鳴り、この嫌な現実に引き戻された。
 多分、トシだ。
 水月はベッドの上で丸まって耳を押さえた。別れを告げて以来、トシはしつこく家に来ては、やり直そうと迫る。最初は玄関で話ぐらいはしていたが、今は無視している。奥さんと別れるつもりのない男と話す気なんかない。
 ぴんぽーん、と二度目のチャイムが鳴った。どうやらトシではないらしい。トシなら二度目を押す前に玄関前で怒鳴り始める。
 どうせセールスだろうと思いながらも起き上がり、玄関口のカメラを確認しようとしたが、その前にドア越しに声が響いてきた。
「すみません。骨髄バンクのことでお話があって伺いました」
 骨髄バンク?
 その単語には心当たりがあった。先月、十月末に水月は骨髄バンクの登録をしている。トシが一緒にしようと言うから、デート感覚でトシと献血ルームに出向いたのだ。
 しかし骨髄バンクの人がなんの用だろう。
 何か変だなと思いながらも、とりあえずチェーンをつけたままドアを開けた。
 雨のせいで昼間なのに外は薄暗く、そんな灰色に濡れた空を背景に、黒い背広の男が立っていた。
「突然お邪魔して申し訳ありません。水月浩一さんはいらっしゃいますか」
「僕ですけど」
 男は一瞬、言葉を詰まらせた。多分、水月が女のように見えたのだろう。元から女っぽい顔の上にトシの好みに合わせて髪を伸ばしているので、時々女に間違われる。
 大きな目に長い睫毛、全体的にやわらかな輪郭。この顔をトシに誉められると嬉しかったが、今では自分の顔を見るだけで陰鬱な気分になる。
「失礼しました。水月さん、先日骨髄バンクから送られてきた書類は見ていただけましたか」
 書類?
 少し考えて思い当たるものがあった。あの忌まわしい二週間前、トシと大ゲンカをして家に帰ったら郵便受けに大きな封筒が入っていて、引き抜いたら骨髄バンクの文字が見えた。
 トシとのデートをまざまざと思い出し、即刻マガジンラックに叩き込んだ。もちろんそれから読んでいない。
「お読みになっていないのですか」
 ええ、と答えると男は興奮気味に言った。
「今すぐ目を通していただけませんか。貴方の骨髄を必要としている患者がいるのです。どうか骨髄提供にご協力ください」
 突然のことで、これには面食らった。ドナー登録をした途端、いきなり当たりを引いたらしい。
 だが、確かに人の生死に関わる話ではあるが、骨髄バンクの人が直接家に押しかけたりするだろうか? 何か変だ。
「すみませんけど、あなた誰ですか」
 不躾に尋ねると、男は名乗っていなかったことに気づいたらしく、懐から名刺を取り出して水月に手渡した。
「二乃島と申します。私の婚約者が貴方の骨髄を必要としています。どうか、彼女を助けてください」
 一瞬あっけにとられた。
 骨髄の売買防止やプライバシー保護のため、患者とドナーの情報は互いに知らされることがないというのは基本中の基本だ。ドナーの名前や住所が患者側に知られることなど、絶対にありえない。
 なんなんだ、この男。気持ち悪い。
「水月さん?」
 男に声をかけられ、とっさに言い放った。
「自分の骨髄をどうしようが僕の勝手です。帰ってください!」
 男の返事を待つことなく、水月は問答無用でドアを閉めた。そのまま部屋に戻ったが骨髄バンクのことはさすがに気になり、とりあえずマガジンラックから封筒を探し出すと、ベッドに寝転がって中の書類に目を通した。
 書類はドナー登録完了のお知らせ、などではなく、ある患者と白血球の型が一致したので詳しい検査を受けてほしい、という内容だった。男の言う通り骨髄提供の依頼だ。
 書類を読んでいくと、骨髄提供の負担は結構大きい。骨髄移植までの過程を「コーディネート」と言うらしいが、そのコーディネートが完了するまでの日数は、一番早いコースでも約八十日。その間、病院に何度か足を運ぶことになり、移植時には三泊四日の入院が必要になる。正直面倒くさい。
 水月は書類をばさっと床に投げた。
 そもそも面倒くさいとか言う以前に、あんな変な男に関わる気はない。こんな厄介なことになるならドナー登録なんかするんじゃなかったと思いながら、水月は布団をひっかぶった。
 目が覚めた時には三時間が経っていた。
 せっかくの休みだったのに用事は何も片づいていない。せめて買い物だけは済ませようとだるい体で起き上がり、下だけ細身のジーンズにはき替えた。
 鏡の前で茶色く染めた髪をとかし、乾燥防止にいつものリップを塗る。唇がほんのり桜色に染まるタイプで、これもトシの好みだ。そう思うと途端にムカついてきてリップをゴミ箱に投げ捨て、いらいらしながら玄関を開けた。
 雨を背に、男はまだそこに立っていた。
 ぎょっとして固まっていると、男がぺこりと頭を下げてきた。
「先ほどは大変失礼をいたしました。充分な説明もせずこちらの都合ばかり口にしてしまい、本当に申し訳ありません」
 ずいぶんとしおらしく謝ってくる。水月はまじまじと男を見上げた。
 大柄な男だ。身長は百八十以上、体つきもがっしりしている。水月は百六十二で小柄なのだが、水月と比べると実に一・五倍は体積がありそうだ。だけど威圧や脅威は感じない。どちらかと言うと、おとなしい大型犬を思わせる男である。
「ずっとここにいたんですか?」
「はい。ここで頭を冷やしておりました」
 雨はしとしとと降り続いている。
 今年はわりと暖かい秋だったが、この一週間ほどでぐっと冷え込み、今日は雨のせいで一段と寒かった。見ると、男の唇は青く変色していた。
 三時間ここに突っ立って頭を冷やしたのか体の芯まで冷えきったのかは知らないが、このまま放置したら翌日には肺炎か何かで行き倒れていそうである。水月は諦めてドアを大きく開けた。
「どうぞ中へ。話を伺いますよ」



 男を部屋に上げた後、とりあえず熱いお茶を一杯飲ませてから一通り話を聞いた。
 まずはさっきの名刺を見ながら男の基本的な情報を確認。男の名前は二乃島義和。水月より一歳年下の二十五歳。職業は公務員で役所に勤めているとのこと。一人暮らしで東京に在住。住所はここから電車で三十分程度の距離だ。
 次に、どうやってドナーの情報を突き止めたのかを聞いた。一番気になるところだ。
 男の説明によると、ドナーのデータを運用するシステムがあり、そのシステムの保守会社の社員を買収して調べさせたそうだ。れっきとした犯罪である。経緯を語る男の表情には犯罪を犯す覚悟がにじみ出ていて、その真剣な顔を見ながら水月はぼんやり思っていた。
 この男の声、好きだな。低めで落ち着いてて。顔も結構好みだ。大きくはないけど黒目がちの目で、じっとこちらを見ながら話すのが誠実そうでいい。
 切々と婚約者の病状を訴え始めた男を見ながら、水月はだんだん暗い気分になってきた。
 いいよなぁ、その婚約者。白血病で入院してるって言っても、治ればこの男と結婚できるわけだし。誰にも寄り添ってもらえない僕に比べたら、別に不幸じゃないよな。
 そんな考えが次から次へと浮かんできて、ますます自分が嫌になる。
 そのうち男は大方話し終わったのか、居住まいを正して頭を下げてきた。
「お金はいくらでも払います。どうか貴方の骨髄を提供してください」
「お金なんかいらないよ。そんなのもらったら僕まで犯罪者になるじゃないか」
 不機嫌に答えると男は動揺した顔を見せたが、水月は構わずそっぽを向いてローテーブルに肘をついた。
 どうせこちらに拒否権なんてない。ここまで話を聞いて見捨てるなんてできるわけがないのだ。自分が招き入れたのだから仕方ないが、それにしたってムカつく。
 なんで僕が人の恋路の手助けなんかしなきゃなんないんだ、と思う。しかも無償でだ。この男がサービスしてくれるとか言うなら話は別だが、そんなことしてくれるわけ……。
「私にできることなら、どんなことでもいたします。ですから、どうか彼女を助けてください!」
 せっぱ詰まった声に驚いてそちらを見ると、男は床に手をついて土下座していた。水月はテーブルに肘をついたまま、声もかけずにしばらくその姿を見ていた。
 こういうのを、魔が差した、と言うのだろうか。
 土下座する男の頭を見下ろしながら、暗い欲望が湧き上がるのを感じていた。
 じゃあ、やってもらおうか。
 水月は男の前に座り、顔を上げさせた。
 まずは髪だ。
 前髪は上げてきたようだが、下ろしている方が好みだ。水月は無造作に男の黒い髪に指を入れ、前髪をすいた。男は少し驚いた顔をしたが水月はからかうように笑みを浮かべ、男のネクタイに指をかけた。
 急ぐでもなくゆっくりと、男に見せつけるようにネクタイの結び目をほどいていく。男が戸惑うような表情を浮かべるのが初々しい。
 ネクタイを取り去った後は、背広の上着を肩から滑り落とした。白いワイシャツに手を這わせたところで、男はたまらず水月の手首をつかんできた。
「み、水月さん……?」
 水月はくすっと笑った。
「僕はね、ゲイなんだよ。わかる? 男が好きな男ってわけ。僕を満足させてくれるなら移植の件、考えないこともないけど?」
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