薄桜鬼(沖千)
□あの日から浮かぶのはいつも決まって
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沖田の目覚めは千鶴のぬくもりと共に始まるのが常だ。
だがその日、いつも傍にある温もりが感じられず沖田はすっきりとしない目覚めを迎える事になった…。
「………ここにもいない」
沖田は傍に居なかった千鶴を求め、着替えもしないまま家中を探し回った。
だがどの部屋にも千鶴の姿が見当たらず、千鶴の気配も無い。
新選組一番組組長をも務めた自分が、最愛の千鶴の気配を見誤る事はない。
となると千鶴はこの家の中にはいないと言う事で…。
沖田は滅多にない千鶴の不在と言う事態に少々焦りを見せた。
あの婚活鬼風間がやはり諦めきれず、千鶴を攫いに来た可能性もある。
それともそこら辺の林で転んで、動けなくなっているかもしれない。
それとも熊や猪などの凶暴な生き物に襲われているかもしれない。
それとも……。
ここまで考えるのは行き過ぎかと思われるかもしれないが、千鶴は偶に沖田の想像を超える事をやらかしてくれるので考えすぎと言う事はないのだ。
沖田は様々な可能性を考えながら、家を飛び出そうとした。
だがその時ふと通り掛った勝手場の机の上に置いてある一枚の紙切れが目に入り、その足を止めた。先程見た時はちらっとしか覗かなかったので気付かなかった。
そして勝手場に入りその紙を手に取ってみた沖田は、深い安堵のため息をついて思わずその場に座り込んだ。
「良かった…」
沖田の手の中にある紙は、千鶴の可愛らしい字で書かれた手紙。
総司さんへ……
食材調達の為に昼過ぎまで留守にします。もし起きられたら、机の上に置いてあるご飯を食べてください。帰ってきたら美味しいお昼ご飯を作りますので楽しみにしていてくださいね。 ……千鶴
そう書かれた手紙を沖田はもう一度読み直し、手紙の隣に置いてあったご飯を見つめた。
それはすでに冷めてしまっており、千鶴がこれを作って家を出てから大分時間が経っている事を示している。
沖田はそれを見て少々むすっとした表情を浮かべて立ちあがると、手早くご飯を風呂敷に包みこみ脇に抱えた。一人で食べるなんて味気ない真似をするつもりはない。
「僕を置いていくなんて酷い事するね、千鶴」
千鶴が家を出たのに気付かなかった自分もあれだが、沖田を置いて一人でこっそり出かけた千鶴の行動がどうにも気に入らない。
前々から一人で何処かに行くな、行くなら自分に一言掛けてからにして欲しい。と散々言い含めており、そして千鶴も分かりましたと言っていた。
まあ書置きを残して行った事は評価しても良いが、それでも約束を破った事は事実。
二人だけで暮らしている里とはいえ、危険が全くない訳ではない。
『何処かに行く時は必ず自分に声を掛けること』
それは千鶴の身を守る為に必要な約束だが、同時に沖田の心を守る為の約束でもあった。
沖田は千鶴が傍に居ないと落ち着かないのだ。
自分の手の届く場所に千鶴が居ないと不安でたまらない。
僅かな時間でも千鶴と離れていたくない、そう強く思う。
今までの沖田からは考えられない事だが、今の沖田にとって千鶴以上に大切なものなど無いのだ。
沖田は千鶴の姿を求め早々に勝手場を抜け、千鶴を探して森に入って行った。
千鶴を見つけたら最初にぎゅっと抱きしめて、おはようの挨拶をしよう。
そして勝手に抜け出した事を叱って口付けをするんだ。
そうすれば千鶴は驚いて申し訳なさそうな顔をしながらも、嬉しそうに笑って沖田を迎えてくれるだろう。
沖田が千鶴の事を考えた時にいつも真っ先に思い浮かぶ、幸せで嬉しそうな最高の笑顔を浮かべて。
沖田は千鶴の笑顔を思い浮かべて、嬉しそうに笑うと足を速めた。
想像したら実物に早く会いたくて堪らなくなった。
そして程なくして千鶴を見つけ出した沖田は、想像していた通りの千鶴の反応と、千鶴のとびっきりの笑顔を見る事が出来た。
沖田の一日の始まりはこの笑顔を見なければ始まらない。
こうしてやっと今日も幸せな一日が始まるのである。
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【あとがき】
千鶴ちゃんの笑った顔を見ないと沖田さんの一日は始まらないと思います。
※このお話は拍手再録です。