薄桜鬼(沖千)
□千鶴の一日風紀委員
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毎朝恒例の風紀委員による風紀チェック。
今日も今日とて斉藤による問答無用の服装チェックや、雪村(兄)による理不尽かつ一方的な風紀指導が行われ、生徒達は恐怖に慄きながら校門を潜る。
…筈だった。
「今日は私が風紀委員として、朝の風紀チェックをさせて頂きますのでよろしくお願いします!」
「は……?」
登校してきた生徒達は目の前に広がる光景に、皆一様に口をぽかんと開けた。
風紀委員が仁王立ちしている筈の校門に、何故かこの薄桜学園唯一の紅一点。
皆のアイドル的存在である雪村千鶴が立っていたのだ。
これで驚かないはずがない。
驚いている生徒達に千鶴は少し照れくさそうに微笑むと、手に持っていた風紀委員の閻魔帳を開いた。
「えーっと…、とりあえず皆さんどこでもいいので並んで頂いてよろしいですか?時間は取らせませんので簡単に服装チェックなどをさせてください」
千鶴の言葉に生徒達の間に同様が広がる。
普段剣道部やら兄やら時には先生達の鉄壁のガードで近づくことができない我が校のアイドルが護衛もなしに一人でいるのだ。
生徒達はもう一度きょろきょろと辺りを見回し、彼女の周りをいつも固めている護衛達の姿がないか探した。
だがやはりその姿は見当たらない。
しかし姿が見えないからと言って油断はできない。
剣道部のメンバーがこういったおいしい状況を見逃してくれるとは思えない。
過去に剣道部の目を盗み千鶴が一人の時に近づこうとして、それを剣道部員に目聡く発見されぼこぼこにされた回数は両手両足では足りない。
自分達にだって学習能力の一つや二つあるのだ。
確実に剣道部員達がいない事が分からなければ千鶴に近づくことはできない。
うっかり剣道部員達に見つかろうものなら、自分達に明日はない。
特に先日千鶴の彼氏の座を射止めた沖田の報復は剣道部の誰よりも恐ろしい。
前までも容赦なかったが、最近は以前に輪を掛けて徹底的に叩きのめされる。
情けないと言うなかれ。
全国でも1位の実力を持った剣道部員を相手取り勝てと言うのが土台無理な話なのである。
「あ、あの…雪村さん。何で雪村さんがここに?鬼の風紀委員…もといお兄さんとか剣道部員の方達はいないんですか?」
「薫は今日風邪で寝込んでいるのでお休みなんです。沖田さん達は今日剣道部で他校に遠征試合だそうです」
「そ、そうなんだ…。でも何で雪村さんがお兄さんの代わりに立ってるの?」
「今日は薫が風紀チェックに立つ当番だったんですけど、風邪で寝込んでいるので私が代わりにやってあげる事になりました」
「…よくお兄さんが許したね」
あの妹命!の薫が千鶴にこんな事を頼むとは考えられないのだが…。
生徒達は訝しげな眼差しで千鶴を見つめた。
「…実は薫は最後まで反対してたんですけど、反対を押し切って出てきちゃったんです。いつも薫に助けてもらってばかりなので私もたまには薫の役に立ちたくて」
そう言いながら照れたようにはにかんだ笑みを浮かべる千鶴は文句なしに可愛い。
生徒達は普段剣道部員達に邪魔されあまり見ることのできない千鶴の笑みに、自然と頬が緩んでいくのを感じた。
今日はいい日だ。
朝から千鶴の可愛い微笑を見ることができた。
そして今日は一日邪魔な剣道部員達がいない。
…剣道部員も目の上のたんこぶ状態だった薫も居ないと言うことは、千鶴と思う存分喋ることが出来るという事で。
あわよくば並み居るライバルたちを蹴散らして千鶴の心を掴む事が出来るかも知れない。
これは普段虐げられている(?)彼女居ない暦丸○年の我々に天が与えてくれたチャンスではないだろうか。
生徒達はまたとないチャンスに目の色を変える。
そんな生徒達の様子に気付かない千鶴は、はにかんだ笑みを浮かべながら生徒達に向き直り頭を下げた。
「そんな訳で、今日一日だけになるかもしれませんが私が薫の代わりに風紀チェックをさせて頂きます。初めてなので要領が悪かったり失敗もあると思いますがご協力をお願いします」
「「「勿論ですとも!!」」」
千鶴の言葉に生徒達は揃って力強く頷いた。
その様子に千鶴は嬉しそうに笑い、皆に向かって礼を言った。
「ありがとうございます!…では、皆さん各自風紀委員の前に並んで頂けますか?」
「どの風紀委員さんの所に並べばいいの?」
「あ、誰の前でも大丈夫です」
「ちょ、雪村さんそれは不味…」
千鶴の言葉に他の風紀委員達は慌てて止めようとするが遅かった。
生徒達はこぞって千鶴の前に整列した。
誰一人他の風紀委員の所には並んでいない。
ある意味見事な光景である。
他の風紀委員達はこの光景が予想できていたので、やっぱりかとため息をついただけだったが、千鶴はその光景を見て慌てた。
「あ、あの……他の風紀委員の方の所に行って頂いて大丈夫なんですけど…」
「いやいやいや!俺達は是非雪村さんにチェックしてもらいたい!」
「でも私がチェックする事になると大分時間がかかります。そうすると皆さん授業に間に合わなくなってしまうので…」
「大丈夫!遅刻してもいいからお願いします!!」
「まあまあ皆、雪村さんを困らせたら駄目だよ。大人しく分散し…」
「五月蝿いぞ風紀委員!こんな機会は二度とないかもしれないんだ!絶対に俺達は動かねえ!」
「……駄目だこりゃ」
生徒達のテコでも動かないぞ!と言わんばかりの様子に千鶴は困ったように眉を寄せた。
そんな千鶴を見兼ねて他の風紀委員達が場をとりなそうとするが無駄だった。
生徒達は期待を込めた眼差しで千鶴を見つめている。
こうなって来ると千鶴の身の安全も怪しくなってくる。
千鶴に何かあればここにいる風紀委員はもれなく全員剣道部員達に殺されてしまう。
目の前の生徒達よりも剣道部員の方が怖い。
自分達の身が可愛い風紀委員達は今日の風紀チェックは中止にしようと決めた。
だが、それを口に出そうとした時事態は急変した。
「君達、何してるのかな?」
不機嫌そうなその声と共に現れた、ここに居ない筈の存在。
それまでテコでも動かないといった気迫で千鶴に迫っていた生徒達が一歩下がった。
そして恐る恐る振り向いた。
そこには予想していた通りの人物が、すでに竹刀を片手に持った臨戦上体の状態で立っていた。
その姿を認めた生徒達は声も出せずに固まった。
「沖田先輩!」
千鶴の声に沖田は一度微笑み、そして一転。
怒りを隠そうともせずに千鶴に向かって歩を進める。
沖田の行く手を遮らないように群がっていた生徒達は慌てて道を作った。
人垣が割れて千鶴への一本道が出来上がり、その道を沖田は悠然と歩き千鶴の正面に仁王立ちする。
「……千鶴。僕は君に一人で学校に行かないでって、学校で一人にならないで、って言ったよね」
「…はい。で、でも沖田先輩今日遠征に行くって言ってらっしゃいましたので…って沖田先輩遠征は!?」
「遠征は午後からで良いって言われたんだ。だから驚かせようと思っていつもより早く迎えに行ったら千鶴いないし。玄関で唸ってた薫に事情を聞いて慌てて来てみればこの有様…」
「す、すみません……」
沖田の様子に千鶴は小さく謝罪した。
…これは相当怒っている。
「千鶴が薫の為にした行動だっていうのは分かる。誰かの為に行動できるのは千鶴の美点だとも思うし、そんな所も好きだよ。だけど千鶴には危機感がなさ過ぎる。男は皆ケダモノで、千鶴はこの学校唯一の女の子なんだ。前にも同じこと言ったと思うけどそこら辺自覚してくれないと困る」
「………すみません」
色々と千鶴にも反論したい所はあるが、ここで反論しようものなら沖田に何をされるか分からない。
この前千鶴が沖田を待っている時に男の人に声を掛けられ困っていた時、助けに来てくれた沖田は周りに…声を掛けてきた男の人に見せ付けるかのように千鶴の唇を奪ったのだ。
今回も同じような状態である。
前の時沖田は「千鶴は隙が多すぎる。もっと危機感を持って。今度同じような事したらもっと凄い事するから」と凄く良い笑顔で言っていた。
沖田は有言実行の男だ。やるといったらやる。
今の千鶴に出来る事は出来る限り沖田の怒りを沈め、この場を上手く抜ける為に下手な言い訳をせずただ沖田に謝罪する事だけだった。
だが沖田は甘くなかった。
こんなチャンスを見逃すわけがないのだ。
「分かって貰うためにはやっぱり体に教え込むしかないのかなあ?」
「…へ?」
「前の時にも言ったよね。今度同じような事したらもっと凄い事してあげるって」
にっこりと、それはそれは楽しそうな顔で笑う沖田に千鶴は顔を青褪めさせた。
沖田から距離をとる様に後ずさるが、沖田も一歩近寄ってくるので距離が縮まない。千鶴は密着してくる沖田から少しでも体を離せるように両手を体の前に出して沖田の体を頑張って押した。…あまり効果はなかったが。
「ななななな何をするつもりですか、沖田先輩!」
「んーどうしようか。何して欲しい?」
「何もして欲しくありません!」
「そっか。じゃあ希望もないみたいだし僕の好きな事させてもらうよ」
「ちょ、沖田先輩…やめ……」
迫ってくる沖田の顔。
もう駄目だ、と思い千鶴はぎゅっと目を瞑った。
だが待っても一向に沖田の手も顔も触れてくる気配がない。
恐る恐る目を開けると、沖田と千鶴の間を裂く様に一本の竹刀が突き出されている。その竹刀の先に目を向けると、そこには常よりも不機嫌そうな顔をした斎藤がいた。
「総司、千鶴を困らせるような真似はやめろ」
「邪魔しないでくれるかな。これは僕と千鶴の問題だよ」
「そういう訳にもいかん。千鶴が困っているのを見過ごすなんて事は出来ないし、それよりも今は他にやる事があるだろう」
斎藤の言葉に沖田はため息を吐くと、残念そうに千鶴から体を離した。
千鶴は慌てて沖田から距離を取り、沖田が迫ってきた事で乱れた髪や服装を慌てて直した。
「千鶴、朝から風紀委員の代わりをしてもらって悪かったな。あとは俺と総司が引き受ける。授業が始まるまで保健室で休憩して来るといい。山南さんが暖かい飲み物とお菓子を用意してくれている」
「あまりお役に立てなくて申し訳ありませんでした…」
「いや、その気持ちだけで十分だ。それに不穏分子をこれで一層出来るしな」
「不穏分子?」
「いや、こちらの話だ。忘れてくれ。さあ、山南さんが待ちくたびれてしまう。早く保健室に行くといい」
斎藤の意味不明な言葉に千鶴は首を傾げた。
だが斎藤に急かされ、そして何より沖田から逃げる為に踵を返した。
「で、ではお言葉に甘えて失礼します!」
千鶴は生徒達の視線の痛いこの場から逃げるように保健室に向かって走り出した。
だがその背中に沖田の非情な一言が突き刺さる。
「千鶴ちゃん、今は逃がしてあげるけどさっきの続きはちゃんとするから。焦らされた分も覚悟しておいてね」
最近では聞かなくなった“ちゃん”呼びで、された恐ろしい宣告。
だが今はとりあえずこの場を離れる事が先決。
千鶴はこれから自分の身に降りかかるであろう事態を想像し、体を震わせながら安全地帯に逃げ込んだ。
一方、残された生徒達の恐怖は千鶴の比ではなかった。
沖田も斎藤も竹刀を握り緊めてこちらを見ているのだ。
これで怖がるなと言うほうが無理である。
だがこうしていても仕方がない。
一人の勇気ある生徒が二人に語りかけた。
「あ、あの…お二人とも落ち着いてください」
「落ち着いてるよ?」
「ああ」
「そ、そうですか…。じゃあ俺達はこれで失礼し……」
そう言って横に逸れようとした生徒が一人吹っ飛んだ。
「僕の千鶴に手を出そうとしていた君達を僕が逃がすとても思ってるのかな?甘いよ」
「千鶴には手を出すな、とあれ程言っておいたにも関わらず千鶴に近寄るとは…もっと厳しく体に教え込まなければならないようだな」
立ち塞がる二人に生徒達は顔を引きつらせた。
先程吹き飛ばされた生徒の痛みに唸る声が聞こえる。
あれが数分後の自分達の姿だ。
油断なんてするんじゃなかった。
今更そう後悔しても遅い。
目の前の二人は自分達を叩きのめす事を決めたようで、もうどんな説得も通じないだろう。
「「千鶴に手を出そうとした罪、しっかり受けてもらうよ」」
がたがたと震える生徒達に沖田と斎藤は壮絶な笑みを浮かべて近寄っていく。
そして次の瞬間阿鼻叫喚の地獄絵図が、神聖な学び舎の校庭で繰り広げられる事になる。
こうして雪村千鶴一日風紀委員事件はは多数の怪我人と千鶴にトラウマ(結局沖田にお仕置きされた)を残し、風紀チェックを一度もする事無く終了した。
この一件以降千鶴の風紀委員としての活動が禁止された事は言うまでもない…。
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【あとがき】
剣道部の皆さまは千鶴ちゃんに近づく輩に一欠けらの情けも容赦もかけません。
年中千鶴に近づく輩を撲滅作業中です。