薄桜鬼(沖千)

□睡眠安定剤
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―最近眠ろうと思っても眠る事が出来なくなった。

(………疲れたな)

千鶴は大量の洗濯物を取り込みながら、ため息を吐いて空を見上げた。

空はすでに茜色に染まり、辺りのものを赤く染め上げている。

今日は土方からの手紙を届ける為、外に出たので洗濯物を取り込むのが遅れてしまった。 通常時であれば誰か別の隊士が気を利かせ取り込んでくれたりもするが、今の隊士にそんな余裕はなかった。

先日千鶴を狙ってやってきた鬼…風間による被害の処理。

そして同日に起こった油小路の変で起こった伊東の暗殺、そして平助の羅刹化。

更に日々の巡察業務。

それらの処理で隊士達は昼も夜もなく、睡眠と食事の時間を除きずっと働き通しなのだ。

猫の手も借りたいようなこの状況で、雑用に手を出すような隊士はいない。

その為千鶴も最初は部屋で大人しくしていたが、現在は土方に許可を貰い雑務を一人で担っている。



雑用といっても幅が広く、千鶴は休憩する暇もなく働き詰めだ。

だが今の千鶴にはその方が都合が良かった。

仕事をしていた方が気がまぎれるのだ。

どうせ布団に入った所で色々考えてしまって眠る事など出来はしない。

平助の事も勿論気になるが、それ以上に気になる人間が千鶴にはいた。

自分の所為で変若水を飲み、羅刹となってしまった沖田の事だ…。

沖田は変若水の効果で苦しんでいるのか、未だに部屋から出てくる気配がない。

沖田の部屋に行こうと思っても訪室を土方から固く禁じられており、沖田の状況が分からないまま数日が経っているのだ。

千鶴は空を見上げながら沖田の事を思い描いた。

自分の所為で…自分が沖田に微かな恋情を抱いたばかりに、沖田は羅刹となった。

千鶴は沖田が変若水を飲んだ時の事を思い出し、苦しげに俯きかの人の名を呟いた。



「沖田さん……」



「呼んだ?」

千鶴の呟きに全く予期していなかった返事が返って来た。

千鶴は驚いて顔を上げて振り向いた。

するとそこにはいつもの…労咳にかかる前と同じ姿同じ笑顔で自分を見つめる沖田がいた。

「………っ!」

「久しぶり、千鶴ちゃん」

「……沖田さんっ!」

千鶴は沖田の顔を認めると、手に持っていた洗濯物を放りだし沖田に駆け寄った。

「もう起きても良いんですか!?どこか痛くないですか?変な所は?」

「んー別に痛いところもないし変な所もないから大丈夫。寝てばかりなのも飽きたしね。労咳も治っているようだし今の所は問題ない、かな」

「よ、良かった……」

千鶴は沖田の言葉とその以前と変わらない姿に、へなへなとその場に座り込んだ。そしてみるみるうちに今まで必死に堪えていた涙腺が崩壊した。

自分の行動や想いが許されるとは欠片も思っていないが、沖田の姿を見て心の底から安心したのだ。

思わず泣きだしてしまった千鶴に、沖田は苦笑しながら屈み千鶴の頭を優しく撫ぜた。

「そんなに心配してくれたんだ?」

「あ、当たり前です!」

「そう。ありがとう」

ぽろぽろととめどなく溢れて来る涙。

止めようと思っても止まらないそれに、沖田は困ったなあ、と言いながら千鶴を抱き寄せると千鶴の顔を自身の胸に押し付ける。

「僕は泣いてる子を慰めるのは苦手なんだけど…」

「す、すみませ…」

「仕方ないから、少しの間だけ僕の胸貸してあげるよ」

だから早く泣きやんでよ、そう呟く沖田のいつになく優しい態度に千鶴は何も答える事が出来ずただ泣き続けた。

自分を包む沖田のぬくもりが、彼が生きている事を伝えてくれる。

それが堪らなく嬉しかった。



その後沖田は千鶴が泣きやむまで…辺りが暗くなってしまうまで千鶴の傍にいてくれた。

自分の罪を忘れた訳ではないけれど、沖田の優しさに少しだけ救われた気がした…。



だが沖田が目覚めたからと言って、千鶴が眠れるようになった訳ではなかった。

沖田が目覚めた事で多少気が緩んだのか、その日千鶴は繕い物をしている間に睡魔が訪れた。

このまま続けては危ない、と千鶴は仮眠をとるつもりで布団に入ったが一刻もしないうちに飛び起きた。

罪の意識に苛まれたままの千鶴は、前と同じように悪夢に魘されたのだ。

沖田が羅刹になって狂い、そして死んでいく夢を。

(やっぱり駄目だ……眠る事なんて出来ない)

千鶴は震える体を抱きしめ、そっと布団から出ると途中かけになっている繕い物の続きをする為に火を灯した。

これで眠る事が出来なくなって数日目。

体は悲鳴を上げているが、不吉な夢を見るよりも起きていた方が断然ましだ。



千鶴はこの日も殆ど眠る事無く朝を迎えた…。



*  *  *



そして翌朝。

隠しきれなくなってきた疲労と目の下の隈が皆にばれてしまわないように、注意を払いながら千鶴はいつも通りの生活を送った。

だがやはり幹部の中でも気配に聡い人間は千鶴の様子に気づき、気遣わしげな表情で自分を見ていた。 だが千鶴はその視線に気付かないふりをして雑務に励み、そのまま夜を迎えた。



いつもならこのまま就寝する筈の千鶴だが、今日は違った。

夕食の準備中に沖田にある頼みごとをされたのだ。

曰く「悪いんだけど今日のご飯千鶴ちゃん僕の部屋まで持ってきて」との事だった。

しかも「千鶴が寝る前」と言う時間の指定付で。

沖田の頼みを千鶴が断る筈もなく、今千鶴は沖田の部屋の前にご飯を手に持って立っているのだ。 しかし千鶴は部屋の前で立ちつくしたまま次の行動が起こせずにいた。

簡単に了承してしまったけれど、こんな夜遅くに男性の部屋に行くのは少々気恥かしい。

千鶴は沖田の部屋の前で暫く悩んでいたが、意を決して声を掛けた。

「沖田さん、千鶴です。お食事をお持ちしました」

「ありがとう、入っていいよ」

沖田の言葉に千鶴は「失礼します」と一言断って障子を開けた。

部屋の中の沖田はまだ寝巻のままの姿で千鶴を出迎えた。

「あ、すみません!時間早かったですか?」

「ううん、平気。僕隊務の復帰はまだ先だからめんどうで着替えてないだけ。今は体をしっかり休めて体調を万全にしろだってさ。もう元気になったのに酷いよね」

「そうですか」

土方が聞いたら自業自得だ馬鹿!と怒りそうな言葉に千鶴はふふっと笑みを零して沖田の近くに腰を下ろした。

沖田らしいその様子に安心した。

「ではこちらを食べて栄養をつけて早く元気になってください。そうすれば予定より早く復帰できるかもしれませんよ」

「そうだね。早く元気になって近藤さんの為に働かなきゃ」

沖田の言葉に千鶴は少し悲しそうに微笑んだ。

沖田が元気になるのは嬉しいが、これ以上危ない事をしてほしくはなかった。

でもそんな事を言える筈もない。

自分に出来るのは沖田を出来る限り支える事だけだ。

「では私はこれで失礼します。食べ終わったお膳はそのままにしておいてください。また明日片付けに伺います」

「ねえ、千鶴ちゃん」

それでは、と腰を上げた千鶴を引き留める様に呼ばれた自分の名前。

千鶴はそれになんでしょう?と振り向こうとしたが、その前に沖田に手を引かれその場に腰を下ろす事になった。

不思議そうに沖田を見つめる千鶴に、沖田は少し怒った様子で千鶴にとって聞かれたくない…ある質問を投げかけて来た。

「君、最近眠れてる?」

「何で突然そんな事聞かれるんですか?」

「良いから正直に質問に答えて。嘘ついたらお仕置きするから」

千鶴は沖田の問い掛けに困った様に眉を寄せた。

沖田が何故このような事を聞いて来たのか分からないが、答えない訳にはいかないだろう。

じっと自分を見つめて来る沖田の視線から逃れる様に、違和感を感じさせないように視線を逸らしつつ千鶴は口を開いた。

「……ちゃんと眠れてます、よ」

病み上がりの沖田に心配を掛ける訳にはいかないし、なによりこれは自分の問題だ。

だから千鶴は嘘を吐いた。

沖田が自分の事を殊更気にかける訳がないし気付かれる事はないだろう、と。

だが千鶴の予想に反し、沖田は苛立たしげに呟いた。

「嘘付き」

「え…?」

「隠せるとでも思ってる訳?」

「何の事、ですか?」

沖田は千鶴の眼の下を指差した。

「目の下の隈…それに肌もぼろぼろだし、そんな状態で寝てるって言われて納得出来るとでも思ってるの?」

「…たまたま昨日眠れなかっただけです」

「………あのね、千鶴ちゃん。僕はそんなちゃちな嘘に騙されてあげる程鈍い訳じゃないんだよ」

「嘘じゃないです。本当です」

頑なに言い張る千鶴に沖田はため息を吐くと、千鶴の手を突然強く引っ張った。

予想外の行動に千鶴はされるがままに沖田に引き寄せられた。

千鶴は衝撃を予想して目を瞑ったが、痛みはいつまで経っても訪れず、代わりに千鶴が感じたのは少々骨ばっている…暖かく柔らかい感触だった。

恐る恐る目を開けると怒った様に自分を見下ろす沖田と目があった。

「…え?」

慌てて視線を下に向けると、そこには沖田の胡坐を組んだ足がある。

横を見ると自分の伸びた足。

と言う事は…自分は今…沖田に膝枕なるものをされている状態……のようだ。

「おおおおお沖田さん何を!」

「はいはい、大人しくしててね」

慌てて起き上ろうとする千鶴を沖田はなんなく押さえこんでくる。

体格も力も段違いに違う沖田に押さえこまれたら千鶴が抵抗できる筈もない。

千鶴は暫くの間往生際悪くじたばたと暴れたが、次第に暴れる体力もなくなり大人しくなった。寝不足の体に激しい運動は辛かった。

「……沖田さん放してくれませんか」

「嘘ついたらお仕置きするよって言ったでしょ?だから嫌」

「………これじゃあ沖田さんがゆっくり休めません」

「今の僕は夜の方が活動時間だから休む必要はないよ。昼に寝ればいいだけだし」

「…………っ」

沖田の言葉に千鶴ははっとしたように息をのんだ。

そして小さく震える声で謝罪を繰り返した。

沖田がこんな事になってしまった原因は自分だ。変われるのものなら変わりたいが、それは不可能なのだ。千鶴にはもう沖田に謝る事しかできなかった。

「…やっぱり千鶴ちゃんが気に病んでるのはそこなんだ」

「ご、ごめんなさ…」

「別に君が気にする必要なんてないんだよ。変若水を飲んだのは僕の意思だし、飲んだお陰でこうして歩く事も千鶴ちゃんをまたからかう事も出来るようになったんだ。まあ昼間の活動が出来なくなったのは少し不便だけど…」

「ごめんなさ…」

「謝らなくて良いってば。昼間活動できないのは不便だけどお陰で楽しい事もあるしね」

「……楽しい事、ですか?」

「うん、そう」

沖田はそう言うと千鶴の頬に流れた涙を掬い、手近にあった布団を引き寄せた。

そして布団を千鶴に被せると楽しそうに笑った。

「君と活動時間が違うからこそ、こうして君の寝顔をたっぷり見られるんだからね」

「はい!?」

布団に包まれて更に身動きの出来なくなった千鶴は、唯一動かせる首を回して沖田の顔を覗き見た。沖田は楽しそうに笑って千鶴を見下ろしている。

「君が眠れない原因は僕にあるみたいだからね。責任もって僕が君の安眠を提供してあげる」

「いいいいい良いです!いらないです!子供じゃないんですから一人で眠れます!」

「遠慮なんてしなくて良いよ、僕今日暇だし。それにこうなった原因は千鶴ちゃんなんだから諦めなさい」

「わ、私が原因ですか!?」

「うん。だって千鶴ちゃん嘘吐くんだもん。僕はちゃんと忠告したよ、嘘ついたらお仕置きするって」

「嘘吐いてないですって!私眠れています!」

「残念ながら証拠はあるんだよね。昨日僕が夜中手水に行った時に千鶴ちゃんの部屋から魘される声とか聞こえたんだ。それからこっそり暫く様子を見てたけど、君ずっと起きてたでしょう」

「……う…」

「はい、千鶴ちゃんの負け。大人しく僕の膝枕で眠りなさい」

「でも…」

「これが嫌ならもっと凄い方法でお仕置きして寝かせてあげてもいいけど?」

そう言うと沖田さんはにやりと笑い、意味ありげに千鶴の頬を撫ぜた。

千鶴だって一応年頃の女の子だ。沖田の言っている意味が分からないような子供ではない。

あらぬ妄想をしてしまった千鶴は、顔を青やら赤に染めながら慌てて布団にもぐりこんだ。

「けけけけ結構です!沖田さんの膝枕とっても寝心地良さそうなのでこのまま寝ます!お休みなさい!!」

頭まで布団を被った千鶴に、頭上で沖田が苦笑する気配がする。

そのまままたからかわれるかと思い、千鶴は布団の中で身構えたが予想に反し沖田は何もしてこなかった。

逆に優しい手つきで眠りを促す様に千鶴の体をぽんぽん叩き、千鶴にだけ聞こえるような小さな声で囁いた。



「お休み、千鶴ちゃん。…良い夢を」



千鶴はその優しい声に促されるかのように目を閉じた。

沖田の匂いと暖かさに包まれて、千鶴はかつてない程の安心感を覚えた。

この日、沖田に守られて眠りについた千鶴はやっと悪夢にうなされる事無く穏やかな眠りにつく事ができた。





沖田の温もりは千鶴にとって最大の睡眠安定剤だった…。



それ以降千鶴が悪夢に魘される事はなくなったが、別の問題が浮上する事になった。

今度は沖田が千鶴に膝枕を強請る様になったのだ。

自分がやって貰った手前断る事が出来ず、おろおろする千鶴をからかう沖田の姿が日常化するのはもう少し先の話。



―*―*―*―*―*―*―*―*―*―



【あとがき】



沖田さんの膝枕は最高だと思います。

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