夕暮れのキセキ
□持つべきものは君
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「なんなんスか、これ…」
私の顔色を見て、そのメモの異常性を理解した黄瀬くんは、少し震えた低い声だった。
「…わ、かんない……」
「…夕季っち……まさか」
き ら わ れ る
頭の中が冷えきって、気づけば黄瀬くんの手を振り払っていた。
これはストーカーとかそんなんじゃない、そう思ってほしくて、そうしたら自然に立つことができていた。
「あははっ、多分友達がイタズラしたんだよ!びっくりしちゃった!」
「夕季っち、」
「あ、まだ洗濯機回してなかったや。このあとも作業あるのに」
いつも通りの段取りを踏まえて、洗濯機を回す。
黄瀬くんの顔が見れないよ
「じゃあ黄瀬くん、練習頑張ってね!」
最後に出来る限りの笑顔で黄瀬くんを見れば、
(なんで、泣きそうなの?)
そう思えて、自分に張り付けている仮面が剥がれ落ちそうになった。
そうなる前に、黄瀬くんに背を向けた。
気を紛らすために、無理矢理作業内容を確認していた。
(監督のところへ行って、夏休みの合宿の件で相談しよう。
後、そうだ、ドリンクの粉もきれかけてたから、買い出し行こうかな。
洗濯物も洗い終わったら干さなきゃだし、それにそれに)
「夕季っち!」
後ろから黄瀬くんの声がまたしたと思ったら、途端に抱き締められた。
腕がしっかりお腹に回されて、身動きがとれない。
離して
離して
「俺ってそんなに、頼りない……?」
更にきつく抱き締めて、彼の温もりが冷えきった身体に流れ込んできた。
あったかい
気付いたら、
「……ちがうよ……」
涙が流れていた。
やだ、とまんない
視界がだんだんと滲んで見えなくなって、代わりに黄瀬くんの暖かさが身を包んでいく感覚が増していく。
「たすけて……ッ」
黄瀬くんは確かに、しっかりと、「もちろん」と言ってくれて、私は更に涙が溢れた。
「………ストーカー野郎は殺す」
「抑えて抑えて」
言葉だけだと、まるで普段人受けがいい黄瀬くんには見えない。
部活終了後すぐさま黄瀬くんに捕まって、今日は居残らずに、近くの公園でストーカー事件について全部洗いざらい話した。
話が進むたび、黄瀬くんの端正な顔立ちにどんどん皺が寄って、不快感を全面に押し出してる。
「…………夕季っち、ケータイ貸して」
「う、うん」
今も電源を落としているケータイを黄瀬くんに渡すと、彼はすぐさま電源を入れた。
暫くすると、ブブブとバイブレーション。メールの内容を見た黄瀬くんは、更に顔を歪めた。
「………夕季っち、多分、炙り出すことは出来るっスよ」
「え?」
「ストーカー。ま、取り敢えずメルアド変えるっスね」
するとカチカチと手際よく操作する黄瀬くん。え、私のメルアド、黄瀬くんが変えるの?
それにしても、
(そんなアッサリ、見つかるものなの……?)
信じられない。
私なんて、誰が何なのか全く検討つかなかったのに…
「はい、変えたっスよ」
そう清々しそうに、黄瀬くんは久し振りに見た笑顔でケータイの画面を私に突きつけた。
そこはメールアドレス変更完了の画面。
“ryota.love0618@XXX.XXX”
「あーる、わい…え、これ、ちょ!?」
「あ、0618は俺の誕生日っスよ!いやー、やってみたかったんスよね、アドに自分の情報入れるの」
「え、私…友達にアドレス変えましたって送るの、これ!?」
「いいんじゃないスか?」
まぁ、でも折角変えてくれたんだし…暫くは変えずにこのままにしとこう。
恥ずかしいけど……!
「これでストーカー野郎からのメール、来なくなるっスよ」
「……うん、そう、だね」
「…大丈夫っスよ」
一瞬、黄瀬くんの表情が真剣なそれに切り替わって、思わず息を呑んだ。
「だから、もっと俺に、甘えて欲しいんス」
ドクリ、と心臓が跳ねた。
こんな黄瀬くん、知らない。
私が知ってるのは、いつも周りを和ませる、ムードメーカーのような人なのに……
今目の前にいるのは、そう。
あの体育館の居残った時のような、妖艶な雰囲気を纏った、男の子だ。
「…あ、もうこんな時間っスね。帰ろう」
「う、うん」
公園に設置されている寂れた時計に目をやった黄瀬くんは、自然な動作で私の鞄を持つ。
何も持つものが無くなった私に、空いた右手を差し出してきた。
「俺が夕季っちの鞄を持つから、夕季っちは俺の手を持って」
「え、持つって、」
「もー、焦らしちゃ嫌っス!」
私の左手を包むように握った黄瀬くんの手は、大きくて力強くて、男の子特有のそれ。
私とは違う手に、また心臓が跳ねた。
そして同時に、感じたんだ。
黄瀬くんは、本当に男の子なんだって。
「不安だろうから、送るっスよ」
そう言ってくれる黄瀬くんは、本当に優しい。
どうして黄瀬くんが他の人から人気があるのか、分かった気がした。
「うん」と頷いた私の心は、不安なんてものが存在していなかった。
翌日。
驚くことに、今まで私の下駄箱を圧迫していた白い封筒は、一通も見当たらなかった。
信じられなくて、二度見したほど。
「あれ?」
もしかして、黄瀬くん、本当に?
いまだ半信半疑で教室に入り、席を確認すると、本当に何もない。
机にも、その中にも。
「夕季っち!」
「あ、黄瀬くん、おはよう…あの、」
「あ、大丈夫っスよ!」
いの一番に近寄ってきたのは、やはり黄瀬くんだった。いつもと違うのは、いつも以上に笑顔が爽やかなことかな?
私が、例の事件について何か聞こうとしたら、その前に黄瀬くんがそう口に出した。
「ちゃんと解決したっスよ!」
「え…本当に?」
「あー、信じてくれてないっスね!本当っスよ!」
黄瀬くんは優しい。
私の事なのに、自分のことのように親身になって話を聞いてくれた上に、私以上に怒ってくれた。
その優しさだからこそ、色んな人に好かれるんだ。
黄瀬くんの見方が、この日、変わった。
それが、私が黄瀬くんに惹かれていっているということなのは、まだ気付かない。
持つべきものは君
(そういえば黄瀬くん、どうやって…割り出したの?)
(俺の人脈が成せる業っスよ!)