その他


□宿花
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「痛くないよ、怖くないよ、大丈夫。だいじょうぶだから」

 怖い事など無いと、囁くような幼い声。耳元でするそれが誰のものかも分からずに、ただ微睡みに身を委ねて耳だけを傾けた。

「守るから。ボクが、絶対に」

 動くことが億劫で、今迄何をしていたのかすら霞みがかったように思い出せない。上も下も分からないままの頭が、それでも呑み込む声は慈愛と覚悟に満ちている。

 足音がする。僅かな振動。潜めた息と、土の臭い。一体どこにいるのか、彼は誰なのか。

 薄目をあけた視界に、眩い色が目に入る。擽ったいそれと、暖かい体温。生きているものが、身動ぎしたことで驚いたように振り返る。視界が悪い。寒くて、それから、少しだけ寂しい。

「折れないで」

 おいていかないで。

 泣いてるみたいな声に頷いて、またその背中に身を預けた。彼は誰だったろう。此処は、何処だったか。

 私は、誰だろうか。


 □□


 桜が落ち着いた頃に見えたのは、大して背丈の変わらない女の子と、手を振り上げる男の姿だった。何が起きたかも分からないうちに殴られて、冷たい床に横たわったまま混乱する頭をどうにか働かせた。その間男に何か言われていた気もするけれど、憶えていないからどうせ大したことでは無いのだろう。

「だいじょうぶ?」

 大きな足音を立てて出て行った男を見送って暫く、呆けたままの自分へ手を伸ばした女の子―――否、刀剣男士・乱藤四郎に立ち上がらせて貰って、漸く現実を呑み込んだ。

「はじめまして」

 痛みを耐えるような顔の彼曰く、私は二振り目らしい。宜しくな。自然と口から出た口調は少し粗雑で、でもそれに目を細めた彼の表情を見ては何も言えなかった。

 繋いだ手は小さい。自分も変わらないだろうと苦笑いして、まだ痛みの残る頬に手をやった。


「あのね、前の薬研に、ボクはいっぱい助けられたんだ。彼は折れちゃったけど…ああ、ごめん。こんな話はするべきじゃなかった」

 内緒話をするように身を寄せ合って告げられた言葉に乱の顔を見れば、大切な思い出を話すような顔をしていた。日々仲間はただの鉄屑に成り果てて、戻ってくることすら稀だから珍しい話でも無い。ただ二振り目の自分に良くしてくれる程度には仲が良かっただろうことを察せて複雑な気持ちを抱いた。

 男――主は頻繁に癇癪を起こす。気に食わないことがあるとすぐに手を挙げるから、いつも誰かしらが青痣を携える羽目になる。苛立ったままの采配で折れた仲間も少なくない。

 負の連鎖だ。それでも滞りなく本丸は回っているのだから、頭が可笑しいとしか言えない。


「逃げよう。もうこんな場所に居たって、ダメだ。いち兄も折れた。主は今日も怒鳴ってる」

 ひとり、執務室の奥部屋で、泣いている主を見たことがある。きっと気付いている刀剣男士は他にもいるけれど、止められないまま、戻れない場所まで来てしまった。

「何処へ逃げるってんだ。当てはあるんか」

 いつもの装束に本体一つ。私物なんて持っていなかいから身軽なまま、戦場へと飛び出した。当ては無かった。練度は高くても二振りじゃ大した場所へ行けないことは分かっていた。それでも乱が、限界だったから。

 どうしようもなく弱い人だった。主はただ、それだけだった。

「折れるときは、一緒がいい」

 置いてきた仲間のことを頭の隅から追い出して、森を進んだ。そうか。願う様な、囁くような、小さな呟きを拾い上げて繋いだ手はやっぱり大して変わらない。


 □□


 しくじった、と思った時には短刀の軽い身体なんて吹っ飛ばされていた。どうにか地面に衝突する前に受け身をとっても、叩きつけられた衝撃は大きく、息が詰まった。

「薬研!」

 乱の悲鳴のような声が聞こえる。砂の入った目が痛い。膝も、頭も、何もかも怪我だらけだ。それでも立ち上がるための足がある。まだ折れれない。まだ、行き着く当てを見つけていない。

「こっちは問題ない! 目の前の敵に集中しろ!」

 血の臭い。強い日差しに、目が霞む。握り締めた刀はもう随分と手入れを受けていないから刃毀れし始めている。乱だってそう。でも易々死ぬなんて選択肢を選ぶつもりもない。

 足掻いて、足掻いて。骨を踏み砕いて、駆け寄ってきた乱に寄り掛かった。どちらが先に折れるのか。練度の差を考えれば明らかに私が先だろうことは予想がついても、口にはしなかった。

「折れないから、そんな顔するなよ。折角綺麗な顔が、涙でぐちゃぐちゃだ」

「だって、薬研、ぼろぼろじゃん。頭から血だって出てる。どう見ても重傷だよ」

「それは乱も一緒だろ。良くて中傷ってところか」

 霞む視界と、土の臭い。それから乱の体温。すぐ傍に誰かがいる。それだけで、酷く安心する。

 ごめん。逃げ出す時にもう言わないと約束した言葉を告げようとした口を塞いで、わらった。到底笑える現状じゃないことは理解していたけれど、今私たちはとても自由だったから。

 青い空が眩しい。腫れた目は実のところ殆ど機能していない。それでも眩しい髪色を追いかけて、当てもなく戦場を漂うことに後悔はない。本当に。


「置いて行かないよ。絶対に」

 背中に担がれて意識が飛ぶまでの間、夢を見た。私じゃない薬研藤四郎に話し掛ける、乱の夢だった。





19.2.10
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