その他
□栗花落
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頭から被った襤褸布で視界の殆どを塞いでしまえば相手からだって自分は見えない。
周りの目が気になった。息が苦しくてどうしようもなくて、布を手放せなくなった。頑なすぎる自分を、いつも主は諦めたような、仕様が無いものを見るような目でみていた。
◇
雨が降っていた。現世に連動させた本丸に連日降る雨で、梅雨がきたことを知った。紫陽花が咲いて、濡れた地面は走った連中の靴を汚していく。
はじめにそれを飾ったのは誰だったか。もしかしたら主だったかもしれない。変に顔のかかれたそれは軒先に吊るされていて、雨の降る庭を見下ろしていた。
「これはなんだ」
いつか、どこかで見たことがあるような気がするそれに手を伸ばしたら、偶然通り掛かった短刀に怒られた。付喪神が何に願うのかはさっぱり分からないが、願掛けなのだと言う。
それはすまなかったと謝りながら手を下ろしたら、俺とそれを見比べて、そいつは少しだけ笑った。
「なんだか、似てますよね」
そうだろうか。
◇
主はあまり、雨が好きではないらしい。雨音は不思議と落ち着く自分としては納得いかないが、夢見が悪くなるのだと言う。
「それなら、景趣をこの時季だけでも固定しておけばいいだろう」
困ったような顔で首を横に振る主は、梅雨が苦手だと言う割りにいつも嬉しそうに庭の見える部屋に居座っている。
◇
雨がやまない日が続いている。布も心なしか湿気ている気がして落ち着かない。
軒下に吊るされたそれも随分増えた。顔が少しずつ違うから、もしかしたら本丸総出で作っているのかもしれない。
身体が大きいやつも、手先が不器用なやつも、揃って小さな願掛けのための人形を拵える姿を想像すると平和過ぎて笑ってしまう。
けれど、歴史修正主義者との戦争は未だ終わっていない。出陣する部隊は連日ずぶ濡れで、かえってきてから速攻風呂へと向かうのが日課となっている。
畑が腐らないか心配だと、小さなそれを真似してこっそりと作ったものを連ねておいた。誰にも何も言わなかったのに、主は訳知り顔で頷いていた。
◇
室内干しでは追い付かないと洗濯当番が叫んで、主が何を思ったか手入れ部屋を解放した。生乾きの服を持って来いと言われて何枚か襤褸布を抱えて部屋へ向かえば、同じように首を傾げた刀が何振りもいた。
洗濯当番は主を称えていて、それに気分をよくしたのか大袈裟に主が胸をはる。何となく想像はついていたが、洗濯に態々力を使うのも恰好つかないとは思わないのだろうか。
「よし、全員持ってきたな？ 手入れで一気に元通りだ」
主の目論見は外れて、山積みの洗濯物は乾かなかった。
◇
「なんだか、似てるよね」
首を斬られたそれと俺を見比べて兄弟が言う。
その状態で見比べるのは止めて欲しいと言えば、慌てた様に手放して誤魔化すように笑った。どうして首を落としたのか。何だか泣いているように見えるそれを見下ろしたまま問いかければ、兄弟は不思議そうに言う。
「だってずっと、泣いているから」
◇
悲しそうな顔で庭を眺めていた主が振り返る。一拍置いて笑みを浮かべた男の顔には、随分と皺が増えたように思う。
今日の菓子は何だったか。視線を落とした先にある、厨当番が気合を入れて作ったのだと一目で分かる練きりは鮮やかな花を模していて、食べるのが勿体無い。
「どうやら筆は随分前から止まっていたらしいが、ついでに休憩ぐらいしておけばどうだ。茶も持ってきたぞ」
座ったまま俺を見上げる主が、襤褸布の中を覗こうとしていることは知っていた。長い付き合いだ。案外主が悪戯好きだということは嫌と言うほど学んでいる。
「写しの顔なんぞ見て、楽しいか」
周りの目が恐い。鏡がこわい。そこに映るのが本当に自分であるのかが分からない。でもきっと、俺は確かに山姥切国広なんだろう。
「ああ、たのしい。もっと照れてくれてもいいぞ！」
両手を広げて、大袈裟に言う主に嘘の色はない。ただ一振りの刀として大切にされているのだと、擽ったい想いが勝って布を引き下げたらそれを見た主がまたわらう。
きっと顔は赤くなっていた。もしかしたら、耳まで真っ赤だったのかもしれない。
◇
主が泣きながら、何かに手を伸ばしていた。雨音がうるさくて何を言っているのか聞き取れない。
どうして泣いているのだろう。きっと明日は晴れるのに。
18.6.25