短編集

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「……ん、もうこんな時間!?」
 

眼を覚ましたのは、予想以上に遅い時間だった。

いつも以上の熟眠感を得たという事実に顔が熱くなる。

彼の香りが服に染みついているかのようで、……。


「あー、もぅ……!」
 

彼のことを考えるだけで、全身が沸騰するかのような感覚に襲われる。

心臓はいつもより速度をあげ、鼓動を刻む。寝起きだというのに。

いつもとは異なる環境のせいか。

そう結論付けるものの、中々ベッドから抜け出せないのは、眠いというわけでも、寒いというわけでもない。

別の理由。
 


自覚はしているのだ。

散々気づかないふりをしてきたが、それを本人に伝えるのは憚られる。


自分などが、誰かを好きになっていいのか。

矮小なる存在が、あれほどまでに人のいい彼に想いを告げてなどいいものなのか。

十中八九、断られる。その後は……?
 

冷めた目をした赤司様が、脳裏を彩る。

全身の熱を奪われた。


しかし、すぐに浮かんだ、同系色でありながら、全く異なる緋色の眼差しが胸を高鳴らせた。



「好きだよぉ、火神くん……」
 
ゴトンッ……!!

「………………」
 


何かが扉の奥で落ちた音が、名前の耳に届いた。

それと同時に、彼女は硬直する。

決して大きくはなかった呟きだが、落下音がこれほどに響くのであれば、扉の奥にいる人物の鼓膜を震わせなかったとは言い切れないのではないか。

そこまで思い当たり、名前はシーツに全身を覆わせた。


「名前−!!今のは、本当なのか!?こんな男と!?」

「こんな、って何だよ。赤司」

「…………」
 

次の瞬間、扉が開き、現れたのは蒼白で涙目の赤司。

そんな彼に反論はしているものの、目線はあらぬ方で顔を真っ赤にした火神。

そして、廊下には石化した緑間と、ペットボトルに入ったままのスポーツドリンクが転がっていた。


「どうなんだ!?名前!!嘘だといってくれ。どうして、こんな……」

「あなたに、火神くんのことをどうこう言われたくない!!」

「名前……」
 

シーツを剥がしにかかる赤司に、名前は生まれて初めてと言えるほどの大声をあげた。

それに、驚いたのは赤司だけでなく、その後ろで暴挙に出ようとする友人の実兄を止めようとしていた火神もであった。


「彼は、あなたとは比べ物にならないほど、ううん。あなたと比べること自体が間違っているほどに、優しくて、温かくて、……。それで、私にとって一番大切な人なんです」

「……名前」
 

シーツに包まったままで、表情などは垣間見ることなどできるはずもない。

しかし、彼女の声は震えていた。





「ごめんなさい、火神くん。

こんな私が、

最低で、
惨めで、
矮小で、
何のとりえもない、

赤司という名を背負う資格もない弱者が、

あなたみたいないい人を好きになってしまって。


答えはいりません。


忘れてください。

金輪際、接触はしませんから……。

メ、アドも消します。

だから、だ、がら……、わらっ……ていてく、ださい。

バス、ケを、たのし、……んでく、ださい」
 




嗚咽混じりの声。震える白いシーツの塊。


「ふざけんな」
 

怒りに震えた声に名前は身体を竦ませた。

これは、血の繋がった兄のものではない。

好き過ぎで、おかしくなってしまいそうなほどに愛おしい人の声だ。


「泣くなよ。終わらせんなよ。なんで、お前はそんなにめんどくさいんだよ」

「……めんど、く…………」

「うじうじして、めんどくさくて、すぐ泣いて、なのに自分のことはほとんど話さねぇで、逃げて、隠れてばっかのお前に、名前に、おれは笑っていてほしいんだよ!泣いてほしくない。というか、泣くな!」

「……」
 

びくりと白い塊が震えた。

それを認めて、火神の頭は僅かに冷え、声色も普段のものに近づいた。


「俺は馬鹿だから、好きだとか嫌いだとかはわかんねぇけど、お前といて楽しいし、もっと一緒にいたいって思う。メールも続けたいし、お前がつくった飯も食ってみてぇ。それから、また一緒にバスケもしたいし、俺がお前を笑顔にしてやりたい」

「かがみ、くん……」
 

シーツから現れた名前は、火神と初めて会ったときと同じように涙で濡れていた。

しかし、その表情は以前とは異なる。

彼女の瞳から新たな滴が零れ、名前は笑った。

つきものが落ちたような顔で。
 


それを見て、赤司征十郎は瞠目した。

生まれてこのかた見たことのない愛妹の幸せそうな笑顔。

こんな表情にしたのは、紛れもなく自身にとって先日合ったばかりの男。

反論するという考えも、交際を認めないという言葉も彼の頭の中にはなかった。
 


ただただ、実妹の口から出てきた、まるで彼女自身を卑下するような言葉の数々に、芽生えたばかりであろう想いの芽を自らの手で摘み取るような言葉に、赤司征十郎は後悔した。

赤司名前がこういった思考回路を持つようになった責任は自身にあるのだと。


大切だ。

それは、今、最愛の妹が他校の男と抱き合っている姿を目の当たりにさせられていても。


愛おしい。

これは、家族愛。

だからこそ、守りたかった。


この世の全てから。

大人の汚い政略から。


自身は凡人だと諦めていく弱者の嫉妬から。理性のない、本能のままに行動する悪い虫の魔手から。

だというのに、結果はどうだ。
 

赤司名前を笑顔にしたのは、関係も浅い目の前の男だった。

しかし、その関係性は彼女にとって非常に尊いものだろう。
 


役不足。
 


その一言が、赤司征十郎自身が己の胸に突き刺した言の刃だった

。揺らぐ視界。


「赤司……?」
 

驚いたような言葉は火神のものだった。

それにつられるように、名前も実兄の姿を見て、瞠目した。
 

泣いていたのだ。

彼女にとって、実妹にとって、決して精神的に揺らぐことのない超人だと思っていた存在が。

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