短編集

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目が覚めれば、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

見慣れぬ景色と人物に、見慣れたチームメイト。

ここがどこで、何がどうなったのかと記憶を辿れば、俺の愛しい愛しい名前の前で不覚にも倒れてしまったことを思い出した。



そうだ。

そして、その隣にいた忌まわしき腹話術師である火神という男は、なぜか、緑間と無言で焼きそばを食べている。

互いに眉間に皺を寄せながら、食卓を男二人で囲むというのは何とも言えないな。

視線を巡らせても、名前の姿はない。



とうに帰宅したのか。

なら、いい。野蛮な男に襲われるなどあってはならないとだから。


「気づいたのか、赤司」
 

何ともいえない重い空気の食事が余程苦痛だったのだろう。

安堵の色を宿した瞳が眼鏡越しに向けられた。

ソファから身体を起こせば、不機嫌そうに火神が俺を見てくる。


「食うか?」

「いや、水をくれないか?」

「ちょっと待ってろ」
 

そう言って、火神はキッチンに向かい、冷蔵庫から見たこともないメーカーのミネラルウォーターをグラスに注いでくれた。

顔に似合わず、手際がいい。

生活観をあまり感じられないこの部屋はおそらく火神のものだろう。

一人暮らしをしているのか……。

もし、あのまま名前がこの部屋に連れ込まれたらと思うと気が気じゃない。


「ほらよ」

「あぁ、すまない」
 

手渡された冷水で喉を潤すと、空になったグラスを火神が受け取り、もう一杯いるか訊かれたが、それよりも先に知りたいことがあったため、断った。

一般常識はもっているものの、名前との友人関係をもつには好ましくない人間のはずだ。

名前との偽りの仲を見せ付けるために、腹話術で俺を謀るなど言語道断。


「火神、だったな」

「あぁ、赤司だったよな。火神大我だ」

「赤司征十郎だ。……率直に訊くが、お前は名前の何だ?他校の生徒だろう。どうやって、名前と知り合った」
 

間髪いれずにそう尋ねれば、火神は眉を顰めた。

なぜ、見ず知らずの男にそんな顔をされなければならない。

俺のほうが妥当だろう。

可愛い可愛い名前にこんないかにも頭がすっからかんそうな顔の男が友人だなんて。

火神は一つため息をついてから、口を開いた。


「三ヶ月くらい前に、公園であったんだよ。手作りのマフィンをゴミ箱に捨てようとしてて、それをもらった。その後、少し話しただけだ」
 


三ヶ月……。

マフィン…………。


それは、調理実習でつくったという。



「マフィン……?お前がもらったのか!?俺の名前お手製のマフィンを……!!あれは俺のだったんだぞ!?」
 

そう、あれは確かに俺の胃に収まるべきだったものだ。

それをこいつが邪魔をしたせいで……!



我を忘れて、火神に掴み掛かれば、冷めた緋色の瞳が向けられた。


「……お前が名前に嫌われてる理由がわかった気がする」

「な、んだと……」
 

俺が、名前にき、きら……。

いや、聞き間違いだ。

俺の名前が、そんなまさか…………。


「実際にお前のことを嫌いだって言ったわけじゃねぇけど、お前の話になると、すげー辛そうだったし、今日ストバスのコートでお前に会ったとき、マジで怯えてたぞ。それに、初めて会ったとき、あいつは泣いてた。お前が原因なんじゃねーのか」

「…………う、うそだ」

「は……!?」

「む、昔は、征にぃって言って俺の後をついてきた名前が俺のことを嫌うなんて、天地がひっくり返ってもありえ」

「いや、だから、ひっくり返る前に嫌われてるって言ってんだろ。それに、それ、昔の話だろ。今はどうなんだよ。お前とまともに話したりしないって言ってたぞ。それに、兄貴なのに、妹に苗字に様づけってどうなんだよ。すげー距離感じるし、赤の他人っぽくねぇか?それに、今日、初めて名前が赤司っていう苗字だって知った。嫌だったんじゃねぇか?よくわかんねぇけど。赤司って苗字が」

「…………」
 

言葉を遮られた上に、胸が痛い。

なぜなら、火神の言うことは図星だったからだ。

赤司様って、なんだ。

名前も赤司だぞ。

なのに、様づけで、苗字呼びってどうなんだって、思ってはいたが……。

訂正してほしいの一言が口からでなかった。

兄と呼んでほしいと頼めなかった。

名前もそんな素振りを見せなかった。

むしろ、避けられて……。

本当に、俺は名前に嫌われているのか?

初対面の男のくせに、名前の泣き顔を見たなんて……。



いつから、俺は名前の泣き顔を見ていないんだ。



笑った顔は?

怒った顔は?

困った顔は?

嬉しそうな顔は?



脳裏に浮かぶのはどれも幼いころの名前しかない。


ただ唯一は、ここに来る前の火神と1on1をしていた時の楽しそうな表情だけだ。



なぜか、視界が滲んできた。

これは、夢なのか?

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