短編集
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何がどうしてこうなったんだろう……。
「ほんとうに、ごめんなさい。火神くん」
「いや、別に二人増えようがかまわねぇよ」
火神君。
優しすぎるというか、無用心というか……、いや、私がそんな批判なんて言える立場じゃないことは百も承知だけど。
なんていうか、ね。
今は、キッチンで火神君がさっき立ち寄ったスーパーで購入した焼きそばづくりのお手伝い中。
食費は出そうと思っていたのに、女に出させる訳にはいかないということで、全額火神君が負担した。
本当に、申し訳ないけど、二人での買い物はし、新婚さんみたいで嬉しかったり、……ここまでくると妄想も甚だしいなぁ。
火神君に会ってから、自重という言葉をどこかに置き忘れてきたかのような自分の思考にあきれてしまう。
そして、びしびしと背中に伝わってくる、赤司様のご友人であり、バスケ部では右腕となる副部長の緑間様からの視線。
今、彼はリビングで、何故か気絶されて、未だ意識を取り戻さない赤司様を介抱している最中。
特に脈も呼吸も異常がないということで、何故か火神君の部屋に上がりこんでいる。
どうせなら、赤司様を連れ帰ってほしかったのに……。
火神君にどれほど迷惑をかければ気が済むのですか、赤司様。
そんなことも言う勇気も、立場でもない私だから、決して口には出さずに、胸中だけで愚痴る。
火神君とキッチンに立ってからずっと突き刺さる視線といつ起きるかわからない赤司様という懸念事項を頭の隅に追いやりながら、私は袋からモヤシを出して、ざるに入れる単純作業を黙々とこなしている。
「それよりも、名前……大丈夫か?」
「へ……?」
人参を切っていた手を休め、軽く手を水で流した火神君の手から私の頬へ、少しひんやりとした感覚が伝わってくる。
何がおきたかよくわからなかったけど、確かにリビングからガタンっという物音がしたのは確かだった。
10cmはないんじゃないかという距離に火神君の顔。
わざわざ腰を曲げてくれているんだとわかったのは、彼が離れてから。
それと同時に、彼の指を離れていき、心細く感じるも、自ら手を伸ばしてつかむことなどできるはずもない。
「すげー、顔青白いぞ。疲れてんだったら、俺の部屋で休んでろ。後で、うどん……は、買い置きがなかったから、粥でいいなら作ってもってくから」
心配げに揺れる彼の眼差しに一人酔っていると、彼の一言に思考停止してしまう。
だけど、再びリビングから物音がして、ハっと我に返った。
「……かがみくんのへや?」
「あぁ、リビング出て、すぐ左だからわかると思う。まぁ、わかんなかったら、もっかい俺んとこ来いよ」
苦笑まじりにそう付け加えた火神君は私の手からモヤシの袋を取り上げて、キッチンを出るように肩を叩かれた。
彼に疚しい気持ちなど一切ないことを知っている。
純粋で本当に優しい人だから。
なのに、私は馬鹿なのか。内心、とても舞い上がっている。
一言、火神君に礼を言い、私は火神君の部屋に向かった。
途中、緑間様からの何とも言えない視線に気づいたけど、緩む頬を掌で隠すことしかできない。
リビングを出て、すぐ左の部屋のドアを開ければ、火神君のにおいが私の肺を侵した。
顔が、いや、身体が熱くなるのかわかる。
病気でもなんでもないのに。
赤司の屋敷よりは狭いけれど、バスケ一筋だという彼らしいストイックな部屋の端にあるベッドから視線が離せない。
休めと言われたから、使ってはいいはずだ。
だけど、自分の中にある疚しい感情と僅かに残った理性が格闘中で。
なんて、最低なんだろうか。
火神君の純粋な好意を……。
結果、勝ったのは疚しい気持ちだった。
「……火神君」
彼のにおいの染み付いたベッドに横たわり、枕に顔を埋めた。
幸せすぎて、明日、地球が終わるのではないかと思ってしまう。
だけど、そんな思考も長くは続かずに、彼のにおいに包まれて私は睡魔に負けた。
私が寝ている間に何が起きたのかなんて、まったく知らずに、平均5時間睡眠の私がなんと12時間も寝てしまうとは思うはずもなく。
どれほどまでに彼のにおいは安心作用があるのだろうか。
不眠症の方は是非とも使ってほしいと思う余裕など、起床したときにはなかった。