短編集
□5
1ページ/1ページ
「…………」
寝坊はしてない。
以前やり取りをしたメールを見直して、集合時間は確認した。
そして、オレは決して遅刻していない。
それは自分の手にあるスマートフォンの画面に写る四文字の数字が教えてくれている。
集合時間の10分前。
「………………」
それで、いったいどういうことだ。
俺の視線の先には、待ち合わせである石像の下のベンチに縮こまって座ってる女とそれを囲むように座っている男達。
心なしか、女の顔は蒼白通り越して、死人みてぇ。
それに気づいていない男達は女を口説くだけ。
「なぁ、聞いてる?もう二時間も待ってるっしょ」
「そんな奴ほっといて、俺らと遊びにいかない?」
二時間って、何してんだ、名前。
集合時間、間違えてんじゃねぇよ。
何度も確認しただろうが。
というか、知らない男にナンパされるのが、そんなに顔色悪くなるくらい嫌なら、殴るか蹴りの一つぐらいやればいいだろうが。
拒絶の言葉を吐く素振りさえ見せないところと、この前の情緒不安定さ、見知らぬ男と二人っきりで平気になれるとこから見て、世間知らずなんだろうな。
何を背負ってるのか知らねぇけど。
「悪ぃ。それ、俺の連れなんだわ」
二時間も待たせてしまったことに、罪悪感を覚えた。
決して、俺が悪いわけではなかったけれど。
声をかければ、男達は調子にのった面をこちらに向けた。
こういうとこはアメリカも日本も変わんねぇのか。
めんどくせぇ。
「あ?何、この子待たせ……。ひぃっ」
「い、行こうぜ!」
小心者のくせに、ナンパしてんじゃねぇぞ。
俺の顔を見てか、体格を見てか、いや、凶悪面をしているだろう、今の俺の顔を見てだろう。
男達はへっぴり腰で、逃げていった。
途中、バナナの皮を踏んで滑っていたのには、さすがに呆れたが。
いつの時代のギャグ漫画だよ。
「ぁ、……か、がみきゅん」
「きゅんってなんだ。何で、そこで噛むんだ」
俺の声でわかったのか、名前はその赤い瞳を潤ませて、見上げてくる。
目の前で佇立する俺の存在を認め、急に震えだした。
そんなに、俺、恐い面してるのか……。
「ごみぇんなひゃい」
その謝罪の言葉を聴いて、初めてあった時のことを思い出した。
こいつは俺に対して畏怖の感情を抱かなかった。
そんなやつが、こうやって一緒に出かけるまでに交流を深めて、いまさら、俺を恐がるものなのか……。
目尻に涙を浮かべ、俺を見上げてくる名前。
何かに怯えているようなその姿は、俺を恐れているのではないように感じる。
初めての時となんら変わんない。そのことに、俺は苦笑せざるを得なかった。
「泣くな。行くぞ、名前」
あの日のように、帽子の上から頭を撫でてやれば、軽く鼻をすすって、名前は嬉しそうに笑った。
「…………ぅん!」
いざ、集合場所から離れてみれば、名前と俺の歩くペースの違いに驚いた。
最初は気づけなかったが、一生懸命俺の歩幅と歩調に合わせてついていこうとする。
それが危なっかしくて。
俺は自分の歩くペースを緩め、小さい手を掴んだ。
俺の感覚で歩いていても、危なっかしい名前はいつ転けてしまうかわからないからこそ、こうして繋いでいたほうが安全だろう。
見た目以上にその小ささを実感する。
名前は驚いたように俺を見たが、すぐに嬉しそうに笑った。
初対面で散々泣いていたから、その笑顔が新鮮に感じるのは、今までメールや電話でのやり取りだけだったからだろう。
第一印象ってのは大事だな。
「で、何があったんだ?」
腰を落ち着けたのは、しゃれたスイーツ店。
そこでケーキバイキングを頼んだ俺たちは、それぞれ気に入ったケーキを皿に盛った。
といっても、名前は二個だけ。
後からまた取りにいくらしいが、こんなに小さくて細っこいなら、肉を一緒に食いに行けばよかった。
俺は皿に乗るだけ盛ったから、20以上あるだろうな。
店員や客が凝視していたが、バイキングなんだから文句はねぇだろう。
「突然、あの人たちが声をかけてきて、頭が真っ白になって、フリーズしてました」
フォークをぶっさして、口に含めば、フルーツソースの酸味がクリームと合っていて、フツーに美味かった。
が、名前の返事を聞いて、そのうまさが表情に直結することはなかった。
「…………よくそんなんで、学生やってんな」
俺の呆れた声に、名前は眉尻を下げて、申し訳なさそうだった。
だが、その唇を軽く尖らせていたから、不満もあるのだろう。
「……ごめんなさい。で、でも、あんなの初めてで。どうしていいか、わからなくて」
初めて会った時以上に、多彩な表情は、皿を彩る甘味以上に興味をそそられる。
拗ねることもあるらしい。
人間だから当たり前か。なのに、名前の歳相応な仕草に、表情に、安堵する。
「ああいう時は、嫌がればいいんだよ。それか、一発殴って沈めりゃぁな」
アメリカじゃ、しつこい男に張り手一発食らわせるようなやつもいた。
日本じゃ滅多にいないらしいが。
まあ、俺の知る限りの名前の性格や小柄でいかにも体力なさそうな見た目からしてそんなことはしねぇか。
「急所を蹴ったり?」
フォークで切り分けた小さなケーキの断片を口元に固定し、名前は首を傾げた。
今、こいつ物騒なこと言わなかったか。
思わず、俺のフォークに刺さっていたケーキ一片まるまるがカップの紅茶にダイブしそうになった。
ジョークか。
これが、ジャパニーズジョークなのか……。
「…………おぉ。なら、やれよ」
「……恐かった、から。あ、でも、火神くんが来てくれたとき、すごく安心したよ。ヒーローみたいだね。とても、かっこよかったの」
冗談としてともとっているような返しをしたつもりだったのに、名前は至極真面目に答えた。
俺を絶大に信頼しているかのような表情で。
「……おう」
その眼差しが妙に小っ恥ずかしくて、二片のケーキをフォークで刺して、口に含んだ。
ケーキに高さがあったからか、フォークも持ち手にクリームがついたが、気にしない。
というか、よくそんな恥ずかしいことを平気で言えるよな。
にこにこと笑いながら、ケーキを頬張る名前を眺めながら、聞いてたこっちのほうが恥ずかしく感じる。
「それにしても、ここのケーキ美味しいね。よく来るの?」
「いや、俺も初めてだ。スーパーの福引で、ここのケーキ食べ放題の無料チケットが当たったんだよ」
本当に偶然だった。
最寄りのスーパーで当たったのは3等のチケット。
5等の醤油セットか4等の油セットがよかったってのに。
まあ、食いもんが当たっただけマシか。
「え、自分の分は払うよ!」
「ペアだから、いいんだよ。俺、こんなとこに一緒に来るのはお前ぐらいしかいねぇし」
「…………そ、うなんだ」
何だか名前の顔が赤い気がした。
そんなに美味いってことか。
なら、連れてきて正解だった。
確かに、こういった洒落た店に来るような相手は名前以外にはいなかった。
だけど、あの日以来、メールや電話でやり取りをするたびに、こいつの泣き顔が頭にちらついて離れなかったんだ。
そんなやつが今、こうやって嬉しそうな顔をしてる。
「好きなんだな」
「ふぴゃっ!?」
「ふぴゃ……?おっもしれぇな、名前」
どんな奇声だよ。
思わず吹き出せば、非難するように眉を寄せる名前が目の前にいた。
「な、わ、らわないで……」
それでも、迫力なんてない声に、また、笑いが溢れる。
それを見て、また、名前は拗ねたように唇を尖らせた。
「フルーツ系のケーキ好きなんだな」
「……うん」
悪かった、とは言わずに話を戻せば、僅かに反応が遅れたようなタイミングで答えが返ってきた。
視線をバイキングテーブルに並ぶケーキから名前に移せば、困っているというより、動揺している。
俺、何か変なことをいっただろうか。
まあ、いい。
次はどのケーキを食べようか。
空になった二枚の皿を手に取り、名前を促した。