短編集

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今日は、初めて後ろめたさを感じる、そして、久しぶりの私事での外出になる。



おかしくはない程度の、シンプルな膝丈の白いワンピースに桃色のストール。

朝から緊張のためか、顔色が悪かったため軽く化粧を施した顔を隠すようにつばの広い帽子をやや目深に被ってみた。

多分、これで彼には気づかれないはずだから。

クローゼットの奥にしまいこんでいたハンドバックには十二分に足りるであろう額の現金や彼とのつながりを示すスマートフォンなど。

それをひったくられないように身体に密着させる。



誰にもばれないようにと、部屋を出てきたつもりだったけれど、廊下で鉢合わせてしまった使用人さんがいた。

初老の彼は私が精神的な要因で体調を崩してしまったときも親身になって、世話をしてくれた人。

私の中ではおじいちゃんのような方だけれど、彼はそこまで年はとっていないので、口外できるはずもなく。

穏やかで優しげな眼差しが私に向けられ、彼の落ち着いた声が私の名を呼ぶ。

普段ならばそれは私を落ち着かせてくれただろう。



だけど、今日は事情が事情。

優しい彼は、同時に酷く敏くもある。

つまり、私が何のためにどこに行くのか、この格好や様子だけで勘づくかもしれないのだ。

今まではその勘のよさに助けられたからこそ、程よい距離を保たれ、アウトドロップすることはなかった。

それが、今、仇となりそうになっている。

バッグを握る手が湿る。

彼を見つめることができずに視線を床に落とす。

嘘をつくのは苦手だ。

胸にしこりができて、重く感じて、息をするのが辛くなる。

心なしか視界が滲んできた気がした。

今日は彼と会うのだから、泣いてはまた、迷惑をかけてしまうのに。



……いや、待とう、私。



ここで泣いて、彼のもとへ行けば、その泣いた痕に気づいて、また頭を撫でてくれるとか思ってるの?



いやいやいやいやいやぁ。

なんて、恥ずかしい想像を。



頬が紅潮する。

いくら野性的であっても、そこまで私の顔を彼が凝視するであろうか。



いや、ない。

どこの自己陶酔の自分大好き人間だ。

でも、彼は……。



うわぁぁぁぁ。



心の中で叫んでいると、誰かが笑った雰囲気がした。

ここにいるのは決して私だけではない。

びくびくしながら、恐る恐る視線を上に向ければ、肩を震わせるおじいちゃん的存在。

本当なら仕える相手を見て笑うなんて失礼にあたるらしいけど、私はそんなのが嫌だから、兄や父がいないときには普通に接してくれるよう他の使用人にも伝えている。

ただ、それを実行してくれている人はそんなに多くはない。

その一人である目の前の人は声を必死に押し殺している。

そんなにおかしかったのか。



何が?

……もしかして、私は心の葛藤に合わせて、百面相をしていたのだろうか。

あぁ、なんて、恥ずかしい……!



赤司だからとかじゃなくて、一人の女子として、どうしようもない羞恥にかられる。

彼の前ではもっと気をつけなければ。

こんなに笑われるなんて、よっぽど酷い顔をしていたんだろう。


「すみません。名前様」


「い、いえ……」
 

ひとしきり声を抑えながらも、笑ったらしい使用人がいつもとは違う眼差しも向けてきた。

それは私にとって酷くムズ痒い。

決して心地の悪いものではないもの。

だけど、久しく向けられることは、……違う。

彼がこんな優しい眼差しを向けてくれたじゃないか。

ただ、彼とは何だか違うように思えるのは、年齢ゆえにか、過ごしてきた時間ゆえにか、私が抱いている印象の違いゆえに…………。



うわぁぁぁあ。



彼と私は友達……、なんだよね?

友達とはこんなに胸が苦しくなる存在なんだ。

胸の奥がきゅぅっとなって、少し息苦しいけど、気持ち悪いわけじゃなくて……。


「どちらに向かわれるんですか?」
 

とうとう来たこの質問。

冷水を浴び去られたような感覚に陥った。

だけど、あまりにも彼の眼差しが日だまりのように優しくて。

だからこそ、嘘をつくのが余計に苦しくなった。


「図書館に……」
 

彼はふわりと微笑んで、そうですか、とつぶやいた。

あぁ、気づいている。

それが嘘だと。

だけど、問い詰めないのは何故か。

職務放棄というわけではない。

ただ、私のことを慮ってくれている。

長年、私を見守ってきた使用人という立場、だから……。



なら、彼は、どういう立場ゆえに、私を見つけて、癒してくれたんだろう。



気になった。

どうして、彼はあそこに現れたのか。

どうして、彼はこんなにも私の脳も心も埋め尽くすのか。

どうして、彼はこんなにも優しいのか。

彼の優しさは全ての人に向けられているのか。



だけど、一番訊きたいのは、彼にとっての私の立ち位置。

赤司という私の立場を知らない彼にとって、赤司という立場を隠している私はなんなのか。

赤司という付加価値のない、私は……。



「行ってきます」
 

気になって仕方がない。

やや駆け足になりながら、私は廊下を進んだ。

早く、彼に会いたい。

会って、……それで、聴きたい。

彼の声を。彼の指で紡がれた電子の文字でも、電子音ではなく、彼の優しい声を。


「いってらっしゃいませ、お嬢様」
 

そのことで頭がいっぱいだったから、去っていく私の背中を、孫の成長を楽しむような表情で見ている、おじいちゃん(仮)に気づくことはなかった。

そして、兄が私の外出に気づいたことにも。










「……名前はどこへ行ったんだ?」

「征十郎様。名前様は図書館に行かれるそうですよ」

「図書館……?わかった。僕も部活に行ってくるよ」

「いってらっしゃいませ」

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