短編集
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どうしてだ。なぜ、名前は……。
「名前の溢れんばかりの愛情のこもったマフィンを僕にくれなかったんだ……!」
帝光男子バスケットボール部一軍専用の部室で、悶々と悩むのは、普段チームの指揮をとる赤司征十郎。
いつぞやのようにベンチにて膝をブツブツと呟くこと既に20分は経過していた。
他の面々は帰宅しているか、着替え終わって帰るタイミングをなくしてしまった赤司と同学年のレギュラーという状態だった。
部室に嫌嫌ながらも残っているメンバーは内心帰りたいという欲求で満たされてはいるのだが、ベンチに蹲る赤司の視線がちらちらと彼らに向けられているからだった。
「……黒子。この前頼んでいた新書のことなんだが」
赤司と目線を合わせぬように近くにいた黒子に声をかけた緑間の意図を読み取ったのか、幻の6人目は赤い瞳からは見えないように親指を立てた。
「あぁ……。後3日程で貸し出しできますよ」
嫌な沈黙がその原因ではない人物に打ち破られたことに違和感を持ちながらも、青峰も口を開いた。
それは腹いせとも言える内容。
「黄瀬ぇ。お前、今日、俺との1on1で負けたんだから、帰りにアイス奢れよ」
「何で!?自分で買えばいいじゃないっスか」
当然の如く断ろうとする黄瀬であったが、当の本人は耳に指を入れて外耳を掘っている始末。
負けた後に強制されるというのは理不尽ではないのか。
ジト目で青峰を睨む黄瀬であったが、対して効果はない。
「黄瀬ちーん。俺の分もね」
折れかけた黄瀬に紫原も便乗する。
彼とは1on1をした覚えも何もないのだ。
なぜ、自分だけがこんな可哀想な目に合ってるのか。
そういった意味も込めて、黄瀬は紫原に吠えた。
「いや、何で紫原っちまで!」
「黙れ、駄犬……」
「ひぃっ……!」
今日は厄日なのか。
おは朝占いでふたご座は12位だったのか。
黄瀬は紫原に向かって言ったはずだったのに、現在、赤司に睨まれているという始末。
ましてや、腰が抜けた黄瀬の頬すれすれの空間を何かが掠めた。
5対の瞳が恐る恐る黄瀬の後ろに存在するロッカーに目をやれば、鉄製のそれに何故か突き刺さっているという消しゴム。
何故だ。
どんな化学変化だ。
もうやだ。
個性豊か、見た目も彩り豊かな5人の気持ちが一つとなった瞬間であった。
「……帰りましょうか、緑間君」
「そうだな」
普段はそれほど話す機会もなく、お互いに苦手だと公言している黒子の言葉に緑間は首がもげるのではないかという程の勢いで首肯する。
そして、二人の足は部室のドアへと。
「待て、テツ。一緒に帰ろうぜ」
「みどちーん。俺もー」
未だに動けずにいる黄瀬とも、その眼光を真正面から受ければ心臓停止するのではと考えてしまうほどの殺気を纏う赤司とも目を合わせないように、黒子と緑間の後を追おうとする青峰と紫原。
「ちょっ、酷いっスよ!!待って、置いてかないで!!」
「おい!」
「女々しいよ。黄瀬ちん」
そんな薄情な二人の足をそれぞれ左右の手で掴み、文字通り縋り付く現役モデル。
イケメンもへったくれもないその姿は滑稽というよりも、不憫という他ない。
しかし、同情するよりも自分の身が可愛い二人は遠慮なくその手を振り払おうとする。
「全員、待て」
空間が停止したかのような錯覚に陥った五人。
それほどに赤司の声は地を這うように低く、おぞましいものであった。
「…………何なのだよ」
勇気を出したのは赤司とも比較的に仲が良いと呼べる緑間。
しかし、その表情は嫌嫌ながら声をかけたことがありありと分かるようなもの。
ある種、軽蔑の眼差しとも呼べるそれを受けながら、赤司はそれを気にせず自分の主張を掲げた。
「お前たち、薄情じゃないのか?チームメイトが嘆き悲しんでいるというのに、慰めの言葉の一つぐらいかけようとは思わないのか」
「ドンマイです。さようなら」
「まぁ、諦めろ」
「人間潔さも大事なのだよ」
「期待するだけ無駄じゃないの?」
赤司の言葉に即答した黒子、青峰、緑間、紫原。
どれも罵詈雑言とまではいかないまでも、決して赤司を慰めようという言葉ではなかった。
その中で一人、真面目に赤司のためにと無い知恵を派手な頭からひねり出そうとしている黄瀬。
「えーと……、俺が訊いてくるってのはど」
「黙れ、駄犬……」
「なんで!?俺が一番マシなのに!」
最後までその言葉を紡がせることなく、血も涙もなく、却下した赤司征十郎。
未だに腰を抜かしたままの黄瀬の瞳に溜まった水は決壊寸前だった。
「お前たちには血も涙もないのか!?」
「実の妹に対して血も涙もない人に言われたくありません」
「俺も」
「右に同じく」
「だよねー」
実の妹だけでなく、チームメイトにも血も涙もない赤司はその事実をチームメイト4人に突きつけられ、顔をひきつらせた。
そして、今度は口を開かずにいて、赤司の機嫌を損ねないようにと元々空っぽの頭から無難な考えを導き出した黄瀬。
「…………」
「黙れ、駄犬……」
「俺、何も喋って……。すみません!!」
しかし、黄瀬は安定の黄瀬の扱いしかされない存在であった。
沈黙を貫いたにも関わらず本日三度目の台詞を赤司に紡がれ、とうとう彼の黄色の双眸からは雫が溢れる。
そのことも誰にも触れられることもなく、慰めの言葉をかけられることもなく、黄瀬は赤司のように膝を抱えた。
「…………名前」
呆けたようにベンチの上で膝をかかえた赤司。
そんな二人を見て、残りの四人は視線を交わし、日頃の特訓で鍛えた瞬発力で部室から出た。