短編集
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――火神、大我、くん。
不覚にも、初対面である彼の前で泣き出してしまった。
なんと面倒な女だろうか。
赤司様なら自分の感情さえコントロールできない低脳な存在を放置されて去っていくはずだったのに、彼はあろうことか私が泣き止むまで待っていてくれた。
そして、頭を撫でてくれた。
その手は私のそれよりも大きく、温かく、優しくて、また目頭が熱くなった。
その後は彼に導かれるようにして、ベンチに座り、何故か食べ物の話をしていた。
食べることが好きな彼は、長身で野性的な印象が強いながらも、料理をつくることもできるらしく、久しぶりに声を出して笑った。
そんな私の反応を見て、呆れたように笑う。
あぁ、なんて幸せな時間。
こんな風に笑える日が来るなんて思いもしなかった。
まだ私は笑うことができるだなんて。
だけど、今、ここにいるのは“赤司”ではない私と“赤司”を知らない彼だから。
束の間の時間ならば、せめてこの温もりを堪能させて。
たった一度の奇跡なら。
「もう、こんな時間か……」
公園にある時計を見上げた彼。
その針が示すのは夕刻。
空は徐々に紅に染まっていた。
気づかないうちに時は進んでいたらしい。
いや、気づきたくなかった。
もう少し、話していたかった。
“赤司”であることを忘れていたかった。
楽しい時間はあっという間。
「ありがとう、さようなら」
私は今、笑えてるかな。
軽く目を見開いた彼の様子から、うまくは笑えていないらしい。
頬を伝う雫が、熱い目頭が、滲んでいく視界がその事実を私に伝える。
「火神大我だ」
「……ぇ?」
「俺の名前だよ。お前は?」
少し焦ったような声。
滲んだ視界ではもう、彼がどんな表情をしているのかもわからない。
恐かった。
私が“赤司”だと知れば、彼は私のことをどう思うだろうか。
初対面でありながら、公共の場で泣くという失態。
“赤司”家に恥を上塗りするような行為を。
だけど、一度限りの奇跡を信じたかった。
彼とのこの時間を綺麗な状態で胸にしまいたかった。
“赤司”を忘れられたこの時間を。
「……名前」
苗字を名乗らない私を、君はどう思ったかな?そんな私の懸念を払拭する。
「名前、な。また、会おうぜ」
見た目は激しくも、優しい温もりを与えてくれる“火”のように彼は、私の不安を消し去ってくれる。
「……っ」
再び彼の手が私の頭の上に乗る。なんて優しいのだろうか。
なんていい人なのだろうか。
一度きりと、一度だけと、彼との出会いを奇跡と称し、今回限りで縁を切ろうと私に、次回を与えてくれるなんて。
今日は泣いてばかりだ。
大きな手が私の頭を撫でる度に、地面が黒い斑を描く。
「か、がみくん。ありがと、また、あ、いたい。お、はなし、したい」
嗚咽混じりの言葉。
私の欲望まみれの単語を彼は受け入れてくれる。
「俺もだ。次は、俺がなんか作ってやるから、泣くんじゃねぇぞ」
「うん……!」
優しい温もり、
言葉、
眼差し、
声。
「……あ、そうだ。俺のメアド教えてやるから、メール」
「する!」
「ぶはっ……」
「わ、わらわ、ないでよ」
彼の言葉を遮ってしまったからか、勢いよく声を上げてしまったからか、彼は噴き出してしまった。
目元を拭えば、腹を抱えて笑っている火神くんがいた。
だけど、頭にある片手はそのままで。
振動が頭から伝わってくるからこそ、無性に恥ずかしい。
ひとしきり笑って、落ち着いたのか、また彼の手は私の頭を優しく撫でた。
「怒んなよ。……待ってるからな。メール」
「うん……」
もらったアドレスが私のスマートフォンの画面に現れる。
メールのアプリを開いて、登録したアドレスを入れたのはいいけど、その後の題と本文をどうしようかと悩む。
私が帰宅した後、帰ってきたらしい赤司様は私の部屋を訪れ、何かなかったかと問われ、火神くんのことかと思ったが、否定するとどこか落胆した様子で自室にお戻りになられた。
何があったのだろうか……。
「相談してみようかな……」
題に、唐突ですがお兄さんはいますか?と打ち込んで、本文には私の名前と、兄に関する相談事を。
迷惑かな。
急に相談事なんて。
不安にかられながらも、送信の画面に触れる。
不安だ。
だけど、同時に嬉しくもあった。
孤独しか感じさせないこの自室で、メールのやりとりをする。
誰かとのつながりを感じさせる行為に、私は確かに安堵を覚えていた。