短編集

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久しぶりの日本。

しかし、俺の渇きはなお酷くなるばかり。

弱いチーム。レベルの低いプレイ。

これほどまでに、日本のバスケは弱かったのか。

呆れて物も言えなかった。

それと同時に、既に転校届けを出していた父を恨んだ。

一人残されたことにではなく、このバスケのレベルが低い日本に残したことに。

アメリカでのプレイはパワーもスピードも
あって、その最後まで勝ち負けがわからないスリルがあったからこそ、俺はバスケに熱中できた。

そこに、兄との諍いがあったとしても、バスケの中に俺は存在意義を見出していた。

なのに、呆れるほど弱いやつらばかり。

ましてや、俺の容姿を見て、それだけで判断して、怯える者も少なくなかった。

それは、部活内やクラス内だけではなかった。

ただ、上級生に喧嘩を売られて問題を起こすことがなかったことがせめてもの救いというしか他ない。

くだらない喧嘩で、面倒を被ることなど反吐が出る。
 


今日の練習は実力テストのせいで、休み。

弱いくせに練習しなくてどうするんだ。

しかし、俺の意見を聞き入れる者はおらず、学生は勉強が本分だからと逃げる者ばかり。

自分の弱さを受け入れ、練習に励むわけでもない。

ただ、和気あいあいとお遊びのバスケをしているだけの連中。

腰抜けしかいない。

ここには。
 


いつもよりも早い帰宅に、俺は最寄りのコートへと向かった。

勉強などする気にはなれず、持参したボールでシュート練習でもしようかと、コートへ抜ける公園へと入る。

遊具が備え付けられた公園で、遊ぶ子供達はいなかった。

しかし、女がいた。

小柄な女。

しかし、日本人の基準で考えれば標準なのだろう、その女は自分のカバンからある物を取り出した。

女は俺の存在に気づかずに、俺に比べれば小さな手に握られたものを、公園の備え付けのゴミ箱の上に掲げる。
 

ただ、何となくだった。

とっさの行動に、女だけでなく、俺も驚いている。

俺の手には女が捨てようとしていた、ラッピングされたマフィン。

赤い瞳は驚いたように瞠はられて、俺の方を見ている。

そこに、常日頃向けられる恐怖はなく、ただ純粋に驚愕の色のみ浮かんでいた。


「いらねぇのか、これ」

「え、ぁ……、その…………」
 

驚きのあまりにか言葉にならない女。

本来なら、その優柔不断な態度に腹を立てていただろう。

なのに、この時、俺は怒るでもなく、責め立てるわけでもなく、ただ待った。

女が言葉を紡ぐのを。

女の考えを。

女の想いを。


「……美味しくないから。それ、捨てないといけないの」
 

体感した時間は恐ろしく長い。

それでも、女の返答を待っていた自分を意外に思う。

いや、体感しただけでなく、時間は過ぎていた。

約10分間。

女が返答にかかった時間だ。

普通の問いであったのに、女の要した時間は倍などではない。


「自分で食ったのか?」
 

マフィンに視線を向ければ、こんがりと焼けたプレーンの焼き菓子は食欲をそそる。

特に見た目も崩れてはおらず、菓子屋に売っていてもおかしくはなさそうだ。

しかし、女は不安そうにマフィンを見つめる。

そこには絶対的な自信、いや、想いも見えた。

それは不味いものだという、否定的な、されど絶対的な概念がその赤い瞳には宿っていた。


「美味しくないよ」
 

その想いに反映するかのように、女の口からは、強調するかのような先ほどと同じ言葉が紡がれる。



まるで、自分に言い聞かせているかのような、俺に言い聞かせているような。



どちらとも取れる声色に、俺は従う気は起きなかった。

その言葉を信じる気はなかった。

それは、きっと、この見ず知らずの女と名前だけのチームメイトの共通点と相違点を見つけたから。
 

マフィンを開ければ、女は再び瞠目する。

それを横目で見たが、俺は手にしたそれに齧り付く。

その存在を主張するわけではないが、確かに存在する控えめな砂糖の甘味は、まるで、目の前の女のよう。

一口齧り、咀嚼し、嚥下する。


「うめーじゃんか」
 

意図的でなく、不随意に俺の表情筋は動いた。

それは久しぶりに、笑みをつくる。

それを見て、女は何を思ったのかは知らない。

しかし、確実に、女の中にあった否定的な概念が揺らいだ気がした。


「嘘……。お世辞はいいよ」

「うめーもんをうめーって言わねぇでどうすんだよ」
 

二口目を口に含む俺に、女は閉口した。

その瞳は俺を映したまま、誰かを見ていた。

その誰かは知らないが、気分のいいものではなかった。

まるで、怯えたようなその表情は俺の気に食わないもので。

いつものように、舌打ちでもすればよかったのに、俺はそうしなかった。
 




何を血迷ったか、俺は女に目線を合わせるようにしゃがみこみ、告げた。


「うめぇよ。また、作ってくれねぇか?」
 

そこで、確かに何かが壊れた気がした。

だが、それは万年赤点である俺にとっては珍しく正解でもあった。
 

女は泣き出した。声は押し殺して泣いた。

しかしながら、その口からは確かに謝恩の言葉が紡がれていたことを俺は知っている。

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