短編集

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「雑草になりたい……」
 

そう思わざるをえない。

雑草が羨ましくて仕方がない。





「また順位が上がらなかったそうだな」
 

突然、後ろから掛けられた言葉、聞きなれた声。

振り返れば、天才と称すしかないほどの才能に満ち溢れた赤司征十郎様がいらっしゃった。

一瞬、重なった視線。

それに耐え切れなくて、私はすぐに視線をそらした。


「申し訳ありません」
 

例え、校内の、人目の多い廊下であっても、いつものように深く頭を下げて謝った。

この様子を見てだろう、またかよ、とギャラリーから呆れた声も聞こえる。


「いつも謝るだけで、改善しようとしない。こんな不出来な妹がいる俺の負担も考えろ。そんなことも思い当たらない程、お前は無能なのか?」

「大変、申し訳ございません、赤司様」

「……あ、あか」

「私は赤司という苗字を背負う資格もないほど無能な存在にございます。そのために、赤司征十郎様のお手を煩わせてしまって申し訳ありません。このような下賎の者が恐れ多くも赤司様にお時間をとらせてしまい、大変申し訳ありません」
 

それ以上、赤司様は何も仰ることはなく、この場を去られた。

いつものように私のことを呆れられたに違いない。

それでいい。

私なんかのことを気にかけないでほしい。

私と赤司様は立っている位地が違いすぎるのだから。
 

未だに好奇心で私を眺めている生徒の雑踏を抜け、いつものように校内の草むしりに向かった。

軍手はつけない。

軍手なんて、私にはもったいないから。

地面にしゃがみこみ、私は青々しい雑草に手をかける。

少し力をこめて抜けば、いとも容易く、草むしりという行為が成立した。

それを何度も、何度も繰り返していく。

十分ほどすれば、私の周りは雑草の一本もなくなった。

用務員の方に分けてもらったゴミ袋を片手に、草の茂る場所へと移動する。

ほとんど毎日続けていけば、あまり草はないと考えられるものだが、雑草の生命力はすさまじく、いたちごっこのようだった。

けれど、私はそれを求めている。

終わらない、されど、その努力がすぐに結果に現れる行為を。

それは掃き掃除や拭き掃除も同様であるが、私は入学して以来、草むしりを続けている。


雑草が羨ましいから。


抜かれても、抜かれても、土中深くにある根が無事な限り、何度でも土の上に青々しい草を生やす。

いくら抜いても、また生えてくる。

いくら踏まれても、また起き上がってくる。

そんな生命力の強い雑草の逞しさが羨ましくて仕方がない。

人間のようにしがらみに囚われずに、ただ成長することだけに、子孫を繁栄することだけに努めさえすればいい姿が羨ましくて仕方がない。


「雑草になりたい」
 

叶いもしない願望が風に融けて消えた。

その代わりに、妬み故に抜かれていく雑草の山が増えた。

 



いつからだっただろう。

赤司であることが苦痛になったのは。
 

確か、小学生の頃の親族の集まりと称した社交パーティーではなかったか。

あの時代は双子の兄と妹として、私はいつものように兄にべったりくっついていた。

それは学校では親しい友人もいたが、家には母がおらず、父も不在のことが多かった故の寂しさがあったから。

傍にいてほしかった。

独りにしないでほしかった。

ずっと、兄と一緒にいたかった。

あの頃は、本気でそう思っていたし、そうなると信じて疑わなかった。

だけど、それは幼さゆえの慢心。


「名前さんは征十郎くんと仲がいいのね」

「はい……」
 

名前も知らない女の人。

口元だけ笑っているその人が恐かった。

そして、その人の後ろに隠れて、自分を睨んでいる同年代の少女が恐ろしかった。

きっと私の震えは手を繋ぎあっている兄に伝わっていたはず。


「でも、あんまりお兄さんに甘えてばかりではいけないのよ。征十郎くんもこれから御当主としてのお勉強をなさるのだから、あまり邪魔をしてはいけないのよ。貴女自身も優秀で何でもできる征十郎くんと違って、あまり器用に物事をこなせないのだから、そのことを忘れずに、学校で」


「名前、離せ」
 

女の人の言葉を遮るように、兄が私の手を振り払った。

そんなことは初めてで、私は何も出来ずに、その場に尻餅をつくしかなく、自分を見下ろす兄の瞳が、親族の瞳が酷く恐ろしかった。


「軽く手を払っただけだろう。どうして、倒れる必要がある。そんなだから、お前は俺を頼るしかないんだ。いい加減、自分の無能さに気づけ」
 

信頼する兄の言葉に、この時の私はかなりの衝撃を受けた。

その後の兄の言葉は頭に入らず、泣くこともせず、反論することもせず、淡々と語る兄の冷たい表情だけを眺めていた。

そして、一区切りついた後、私は掠れた声で謝罪をし、その場を逃げるようにして去った。

いや、逃げた。

信じたくなかった。

兄が自分を無能だと断じたことを。
 
だけど、それは事実だった。


「あの赤司名前ちゃんはどうせ嫁がなければならないのに、優秀すぎて困るわよね。息子と一緒になってほしいのに」

「そうだな。いくら、双子の優秀な兄には劣るといっても、彼女自身もあまり才能を発揮しすぎるのも困りものだ。いずれ家を出て嫁ぐ身であれば、おしとやかに、夫を支え、男を引き立てる存在でなければならないのに……。中途半端の天才も困り者だな。扱いづらくて仕方がない。天才の征十郎くんも心配しているだろうな。自分よりも劣るべき妹である名前ちゃんが自分を超えないか。もし、超えてしまえば、次期赤司家当主である長男としての面目も立たなくなる」
 

物陰から聞こえた親戚にあたるのかもわからない夫婦の会話。
 
今思えば、この年頃から既に才能を発揮し、有能としか言いようがない兄を彼らは何だと思っていたのだろうと疑問だ。

ただこの人たちの息子が兄の足元にも及ばない低能な殿方だったのだろう。

そして、赤司の本家に取り入りたかった。

そのために、私を嫁にほしがった。

恐らく、私は彼らのもとに嫁ぐことはない。赤司家にとってメリットである婚約しか、父は行わないだろうから。
 

だけど、この時の私はそんな考えなんてなく、ただただ、兄と一緒にいたかった。

大好きな肉親のために、兄の役に立ちたかった。

無能でも、何かできることはあると信じて。

だからこそ、この中途半端で、無能な才能を利用して、兄の引き立て役になった。

嫁ぐまでの間はせめて、大好きな兄のために。

兄が苦しまないようにと。

苦しむのは私だけでいいと。

兄には笑ってほしいと。

その願いは叶わず、兄はこの日から一変して、私に冷たい態度を取るようになった。

私の友好関係、学力、運動能力、礼儀作法全てに兄が介入した。

そして、全て兄のほうが優れていて、引き立てずとも、兄は十分に素晴らしい方だと改めて実感した。

それと同時に、自分の無能さを突きつけられた。

そうだ。

兄はいつだって正しい。

そして、無能な私のためを思ってくださっているのだから、感謝こそすれ恨み言など甚だしい。

以前の優しかった兄を求めるな。

今の兄を受け入れろ。

彼こそ、赤司家の次期当主に相応しい方だ。

それでも、日に日に心に降り積もる兄の言葉は温度を感じることなどできず、徐々に感覚が麻痺してきた。

そんな中、私は学校で行われた調理実習で、教師や離れていった友人からの称賛をもらうほどの出来のマフィンを作った。

無能だと思い込んでいた自分を、そんな自分の作ったものを他人が誉めてくれたことが、この時の私にとっては心の底から嬉しくて、久しぶりに笑った気がしたのは嘘ではないはずだ。

意気揚々と家に帰り、嬉々として兄に食べてもらって、以前の、昔のように頭を撫でてほしかっただけだった。


「こんな不味いものを俺に食べろと?お前は頭だけでなく、味覚までおかしくなったのか?学校で誉めてもらえた?それはお前が赤司だからだ。赤司に恩を売りたいだけのやつらの戯言だ。こんなものを、無能なお前を称賛するやつらの気が知れないな。それに、こんなものを作っている暇があったら、勉学に励め。ただでさえ、お前は要領が悪いんだから。こんな不出来な妹がいる俺への風当たりを考えろ」

「もうしわけありませんでした」
 

きっと多くを望みすぎたせいだろう。

この日の兄と二人だけの夕飯は味を感じなかった。

砂を噛み締めているような感覚。

それでも、食事を急かす兄に、私は無理やり口腔にシェフの作ってくれた料理を押し込み、水で強引に胃に流し込んだ。

途中、何度も食道に逆流しそうになったが、その度に耐えた。

兄の目を汚したくなかった。

兄の気分を害したくなかった。

これ以上、無能だと言われたくなかった。

しかし、悪夢はそれだけに終わらず、日に日に食事の香りさえ感じず、徐々にフォークが触れずに、皿に残される料理の量は増えることになる。

その代わりに、自室で錠剤のサプリメントを取るようにした。

それさえも水で流し込むようにしなければ、身体が受けつけない。

そんな私を兄は非難した。


「どうして食べないんだ。お前のためにわざわざ食事を作ってくれる料理人のことも考えろ。こんな錠剤ばかり飲んで、お前は本当に駄目な人間だな」
 

使用人が用意しただろうリゾットを持って、兄が私の自室にやってきて、サプリメントを踏み砕いた。

自分でも不摂生な食事だという自覚はあった。

それでも身体が受けつけないなら、どうしようもなかった。

それでも、兄は常に正しいから、否定もできない。

嗅覚は湯気が漂う料理の臭いを感知することはなく、その事実と兄の突然の干渉に呆然とするしかなかった。

兄はそんなことに気づいていないようで、私の口にスプーンで掬ったリゾットを持ってきた。


「食べろ。無理やり押し込められたいのか?」
 

殺気とも感じる兄の気迫に私は恐る恐る口に含んだ。

久しぶりに温度のある物質を口腔で感じるとともに、私は口を押さえることになった。

全身を襲う寒気、鳥肌。

そして、吐き気。

気持ちが悪い。

無味のドロドロしたそれが口腔で粘つき、吐き気を催す。


「名前……?」
 

兄の声を聞き、正気に返った私は伸ばされた腕を振り切り、トイレに駆け込んだ。

その後はよく覚えていないが、それ以来、兄や父が食事に誘うことはなく、父には月に数回通院するように勧められた。

現在は、嗅覚も味覚も大分回復し、ゼリー程度なら食べられるようになったが、未だにご飯やパンなどは身体が受けつけない。
 

そう、この出来事から、私は兄のことを兄と呼ばなくなったんだ。

……あれ、昔は何て呼んでいたっけ?

でも、もういいことだ、無能な私にとっては。

私にできることは、赤司様に迷惑をかけないように、兄よりも目立たないように生活すること。

赤司様の名に恥じない程度に頑張ればそれでいい。

赤司様の気遣いで私のもとを訪れる御友人には赤司様と共に過ごす時間を大切にしてほしいとお願いしている。

だから、ここ数日は誰とも喋っていない。

それでいい。

私は誰かに手間を取らせてしまってはいけないほど無能な人間なのだから。

それを分かってもらうために、少々冷たい物言いになってしまうこともあるけれど。

ただ、草むしりを、精神安定剤になっている行為をすることだけは許してほしい。

そうでなければ、本当に気がおかしくなってしまいそうだから。
 
 



今日は調理実習でマフィンを作ったけれど、まだ私の身体が受けつけられるレベルではない。

いつかの出来事のようにいつもは会話さえないクラスメイトから、マフィンを誉められた。

あの日の赤司様の言葉を思い出し、クラスメイトの本心を、下心を知りたくなくて、一言も口を開くことはしなかった。

本当なら、全て処分したくて、あげたかったのだけれど、赤司様に頼まれたのであろう黄瀬様が一つ私の分だと、私のカバンに入れてくださった。

誰も食べることなんてないのに。

赤司様とも格別親しい紫原様が物欲しそうに見ていらっしゃったから、差し上げようとしたのに、いらないと仰られた。

ほら、価値なんてないんだから、処分されるしかないんだから。

これ以上、惨めになりたくなくて。

ただでさえ惨めな存在であるのに、おかしくて笑える。

だけど、愚鈍な私の表情筋は動くことはなく、放課後まで黄瀬様と紫原様の無言の監視を受けて、校内ではマフィンを処分することができなかった。

捨てようとしても、止められて。

本当に彼らは何がしたいのだろうか。

結局この日、精神安定剤である草むしりをする気にすらなれずに、帰路についた。

家までの道のりまで半分をきり、誰もついてきている者がいないのを確認して、私は公園に寄った。

金属で作られた網状の大きなゴミ箱。

そこには様々なものが汚らしい格好で捨てられていて、このマフィンにはぴったりだった。



傲岸不遜なお兄様!
参加させていだたきました素敵企画様です。

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