とある独善主義者の独白

□番外1
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「…………」

「それでさー、ヘリップがまたバナナの皮で人は滑らないことを実証しようとして、監督に怒られてたんだ」

「それは、間抜けだな」

「だよねー、俺達もなんで止めなかったのかって怒られちゃった」

「災難だったな」

「ねぇねぇ、アレックス。どうしたの?」

「聞いてやるな」

「ふーん。兄貴がそう言うなら」
 

そう言って、俺と同職であり、唯一両の血が同じ弟は無垢な笑みを浮かべた。

その両手には義弟二人、姉、末弟から送られたであろう日本の菓子。

優に二十は超えたのに、こういった仕草は今も昔も変わらない。

そして、部屋の隅で蹲るアレックスとの関係は今と昔では随分変わってきてしまったようだ。

金糸から紅潮した皮膚が覗くあたり、まだ興奮冷めやらずといったところか。

普段から露出狂で、キス魔なんだから、今朝のことなど気にしないようなものなのに……。


「くくっ」

「面白いよねー」

「あぁ、そうだな」
 

実弟の話も聞きながら、頭では別のことを考えている。

しかし、笑ったタイミングは弟の話にあったものだったようだ。

純真無垢と言える弟は家族であり、長年の付き合いでる実兄を疑うはずもなく、俺には到底できない、子供のような満面の笑みを浮かべる。

 








アレックスがああいう状況になったのは、今朝の起床時。

要因としては、互いに気を抜いてしまったということと、弟のアポなしの訪問だった。
 




久しぶりの休暇で、自宅に帰ってきて、熟睡した俺は昨夜、アレックスが来ていたことを忘れていた。

そのため、ベッドの半分を占領している女がいるという事実を夢だと思い込み、温もりを求めて、あろうことかその体躯を抱きしめてしまったのだった。

そして、突然、抱きつかれたアレックスもその腕を俺の背中に回すという始末。

互いに寝ぼけていたらしい。



そういえば、アレックスもバスケットスクールの長期合宿あったとか言っていたか。

だというのに、誰もいなかったはずの部屋に埃一つなかったのは、普段はがさつな女のおかげか。

俺の几帳面かつスパルタな指導のおかげか。

まあ、後者だろうな。



同じ匂いに独占欲が満たされる。

同棲ではなくとも、こうしてたまに同じ時間を過ごす関係を人は何と呼ぶのか。

恐らく、どの形にもはまらないだろう。



友人にしては近すぎる。

恋人にしては言葉が少ない。

セフレにしては身体を交わせたことがない。


不確かな関係。



だが、今は、この関係が互いにとっては好ましいのだろう。

互いのためと、割り切って、失うという現実を先延ばしにして。


「……ん、シキ…………」
 

寝言でまで俺を求めるのか。

擦り寄ってくる様子は猫のようだ。

俺の意識は混濁しているわけではない。

清明でありながら、今ひとつ現実味がないのだ。

そういった感じだ。

それほどに幸福を感じていたとかもしれない。

家族でもない、この女とのつながりを。



都合のいい夢と割り切ってしまえば、こうやって金糸を梳くのも容易いのか。



何の色もひかれていない、自然な血色の桃色の唇。

少しかさついたそれに、彼女らしさを感じる。

手入れをするようになることはあるのだろうか。

それが他人であれば、気持ちのいいものではないな。

決して、アレックスは俺の所有物ではないのに。



魔が差した。



一言で例えるならば、それだけだった。
 

潤ったものではなかったから、触り心地がよかったとは言えなかった。

だが、程よい弾力にか、それが彼女のものだったからか、確かに、俺は満足していた。


「…………」

「…………」

「……三明。何してる」
 

視線を感じて、その方向へ顔を向ければ、機械を掲げた巨体の男。

俺より長身で、筋肉質な体格のせいか、本来なら大きいタイプに部類されるビデオカメラが異様に小ぢんまりしている。


いつからいたのか……。


合鍵は家族に渡している。

だからこそ、実弟がここにいてもおかしくはない。

事前に連絡の一本もいれることぐらい……、いや、ないか。

他の兄弟ならともかく、実弟にそんな気がまわるようなことができるはずもない。

気の向くままにやってきたのだろう。

それにしても、来訪に気づけないほど、疲れていたのか。

それとも、安心していたのか。

……セキュリティ面を向上させたほうがいいのは確かだ。

今度、業者に頼むか。



チームメイト、ざまぁ。



「ホームビデオ撮影ナウ!」

「ん……。シキ?…………っうぉっ!?」
 

早朝に見る分にも十分な爽やかさを含んだ笑顔が、実弟でありながらも、殴りたい衝動にかられた。

実弟である三明の大声、一般のものよりもやや大きいだけで、三明のものとすれば普通なのだが、それによって完全に目が覚めたアレックス。

俺は三明の姿を認識した時点で頭が澄み切っていた。

目の前に俺の顔があったことにではなく、自分達が物理的な意味で絡み合っている現実を目の当たりにしたからか、思わずベッド上で飛び退りやがった。

ベッドから落ちたが、下は絨毯。

大丈夫だろう。

野蛮な女だし。
 


念のため、シーツをアレックスの方へ投げ、俺は寝室の出口に向かった。

確か、アレックスは下半身の下着以外つけていなかったはずだ。

いくら、実弟といえども、俺以外の男に見られるのは虫唾がはしる。


「はぁ……。シャワーを浴びてくる」
 

未だ起動しているであろうカメラの電源を三明の許可なく落とし、その横を通り抜け、シャワー室へと向かう。


「はーい。やかんかけといた方がいい?」
 

その申し出に、俺の足は止まる。

振り返れば、いつ見ても楽しそうな弟の姿。



…………思い出すのは昔の出来事。

姉のためにと俺と三明で料理をしようとした。


そして起きた悲劇。


ガス爆発で、台所がブッ飛んだ。

未だに原因不明だが、それ以来、俺たちは火気や台所に入るのを禁じられている。

現在は、近所の弁当屋やアレックスのつくるバーベキュー、チームメイトからの差し入れぐらい。

さすがに俺は湯ぐらい沸かせるようにはなったが、三明はどうなのか。

結構、このマンションは気に入っているんだが……。


「火力は弱な。アレックス、一応、見といてやってくれ」

「うーあー!!…………え?……あぁ、わかった」
 

明らかにわかっていなさそうだったから、睨みつければ、勢いよく頷いた。

以前、家族とアレックスでバーベキューをした時に、三明が誤って火を使ってしまい、もう少しで山火事になってしまうことを思い出したようだ。

バスケの女神に愛されていても、料理というが化学現象の神には愛されていないらしい。
 




最愛の兄弟のひとりである実弟と、態度や言葉では伝えていないが気に入っているアレックスとの朝であるのに、なぜ、こんなにも疲れたのだろか。甚だ疑問だ。

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