短編

□Look at me with your eyes...
2ページ/4ページ


広い背中が纏う、深緑色の軍服ーーー。
 
まただ、と心の中で呟く。
 
また、大好きな人が戦争に行ってしまう。
 
今度は、クロトさんがーーー。

「…絶対、帰ってきてよね…。」
 
頭の中が悲しみでぐちゃぐちゃになって、出てくるのはそんな子供っぽい言葉だけ。

「当たり前だ。」
 
いつも通りの揺るがない口調は、けれども声の主の表情がわからないため、不安をかき立てるばかり。
 
また、あの時のようにーーー。
 
隣では、ちはなが泣いている。
 
ああ、そうか。この子にとっては初めてのお見送り。
 
昔の自分の姿が重なって、見ていることができなかった。

クロトさんのいなくなった家で、それでも時は緩やかに、残酷に過ぎていく。
 
どれくらいの月日が経ったのだろう。
 
私はあの時と同じように窓辺に立ち、外を眺めている。
 
そうして、いつ帰るかもわからない人を待ち続けている。 
 
雲一つなく晴れ渡った空が、少し憎たらしい。
 
この空の下のどこかにいるはずの人は、どうして私の隣だけに居てはくれないのかとーーそう思う。

「姉様…!!姉様…!!!」
 
慌てた様子のちはなが、ノックもせずに部屋に飛び込んできた。その表情が喜びに満ちているのを見て、甘い期待が胸に広がる。

「兄様が、帰ってきました!」
 
待ち続けた言葉が、部屋いっぱいに響きわたる。
 
弾かれたように立ち上がって、今すぐにでも会いたい。
 
その衝動を、天の邪鬼な自分が止めに入った。

「すぐに行くから…、先に。」
 
そう言ってちはなを先に行かせる。
 
とたとたというちはなの駆けていく音が、だんだんと小さくなっている。
 
帰ってきたーーー。
 
クロトさんは、帰ってきたのだ、と。
 
じんわりと温かい喜びが、胸に広がりあふれていく。
 
けれども一方で。
 
冷静になった頭が、不吉なことばかりを告げる。
 
怪我は、ないのだろうかとか。
 
女の私が知らない戦場は、しかしとても残酷な場所と聞く。
 
彼の心が壊れてしまっていたら?
 
あの笑顔を、もう二度と見られないとしたら?
 
そうした不安の渦で胸が張り裂けそうになる。

「クロトさん…!!」
 
不安を打ち消すようにこぼした名前が、静かな部屋に馴染むことなく漂う。

早く会いたいーーー。
 
早く会って、抱きしめて、その存在を腕いっぱいに感じたい。
 
あの温もりに、あの声に、あの髪に、あの赤褐色に輝く瞳に。
 
触れて、いっぱいに、感じたいーーー。
 
後に当主になるだろう者の帰還に、家の人が全て玄関先に集まってきたらしい。
 
人が多くて、騒がしい。

「クロトさん…?」

背の高い背中が見える。

人をかき分けて、その姿を見ようとする。

あまりのことに、皆我を忘れたようにはしゃいでいる。

深緑色の、その背中。

声に気がついたのか、こちらに振り向こうとする。

紫紺の髪が、ゆらりと揺れる。
 
振り返った顔に輝くのは、翡翠色の左眼ーーー。
 
軍服の似合わない、穏やかな微笑が私に向けられる。

「……白夜、兄様…っ!?」

思わず叫び声をあげそうになるのを、必死でこらえた。

「…ただいま、あまの…。」

私に歩み寄る、甘く優しい声ーーー。
 
けれどもそれは、私の求めていたモノとは違っていた。

「随分と、待たせたね…。」
 
頬に触れようとする白く大きな手を、私は拒絶する。
 
愛おしくて愛おしくて、かつては狂おしいほどに求めていたその手も、今は要らない。
 
私が求めているのはただ一つーーー。

「クロトさんは……何処?」
 
全身を襲う寒気に、声が震えていた。
 
身体ががたがたと震えて、芯を失い崩れそうになる。
 
強い、喪失感。
 
胸を切り裂くように、激情が私の心を蝕む。
 
あの人への慕情が、熱く熱く、私の傷口を焼く。

「姉様、何を言っているのです…?」
 
兄様に抱きついたちはなが、不思議そうな声を出す。

「ちはな、違うの…その人は…。」
 
頭の中に鋭い金属音が響いて、私の声をかき消してしまう。
 
違う…、違う……っ!!!
 
違和感に空っぽのはずの胃の中のモノがせり上がってくる。

「どうしたんですか?姉様…。」
 
ちはなが振り返る。

「ちゃんと、白夜兄様が、帰ってきたじゃないですか…。」
 
ちはなによく似た萌葱色の髪、翡翠色の瞳。

けれども、そこにいたのはちはなではなくて。

幼い日の、自分だったーーー。






「………っ!!!」
 
力の限りあげた、自分の悲鳴で目が覚めた気がした。それが夢の中のものなのか、それとも実際に叫んでいたのかはわからない。
 
嫌な夢を見た。
 
クロトさんが出征して、帰らぬ人になって。
 
代わりに白夜兄様が帰ってくる夢ーーー。
 
乱れた息を落ち着かせながら、夢とわかった今でもこみ上げてくる喪失感に、鳥肌が立つ。
 
いても立っても居られない気持ちのまま、部屋を出る。
 
気がつくと、私は息を切らしながらクロトさんの部屋に来ていた。

「クロトさん……。」
 
時計の音しか聞こえない静かな部屋の中、私は彼の名前を呼ぶ。
 
返事なんてものは、期待していない。

こんな夜もすっかり更けた時間、クロトさんはぐっすりと眠っているに違いない。

それでいい、これからする私の懺悔など、形ばかりの自己満足でしかないのだから。

返事など、求めてはいけない。

一歩、彼の方に近づいた。ぎしり、と床の軋む音がする。

「……ごめん、なさい…。」

震えた声が、辺りの静寂に飲み込まれる。
 
時計の音が一際大きく聞こえた。

「……ノックをするんじゃないのか…?」
 
いつもよりも穏やかなクロトさんの声が、私の胸に突き刺さった。
 
驚きのあまり、息が止まりそうになる。

暗い部屋の中で、赤褐色の瞳が輝いているのが見えた。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ