りりぃのお部屋

□ぼくのゆめ
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「読んでみろ」

放課後の国語準備室。
もともと小さな空間に資料や教材がぎっしりと詰まった本棚が壁一面を埋め尽くし、隅っこにちょこんと小さな机とパイプ椅子が置いてあるぎゅうぎゅうな印象の部屋。
半分本棚に隠れて開けられない窓からは西陽が射しこんでいて、もう涼しい季節のはずなのにうなじにあたる陽がじりじりと熱いなと思った。
去年の春に新卒で教師としてこの学校に赴任し、今年の春からは担任も持っている虎徹は、パイプ椅子に座りながら日焼けしそうなうなじを撫でた。

「『僕の夢』五年三組、バーナビー・ブルックス・ジュニア」
虎徹と小さな机を挟んで、まだ十一歳にしてはすらりと背の高い金髪の少年が、手にした原稿用紙を得意そうに読み始めた。

「僕の将来の夢は、両親の意思を継いでロボット工学の道に進み、人の役に立つロボットを開発することです」
虎徹からみれば子供のくせに、バーナビーという生徒は少年というよりも青年の年頃を思わせる口ぶりですらすらと読み進める。
うすら寒いものを感じるくらいよどみない口調ではあるが、内容的には手本になるようなもので、虎徹は思わずうんうんと頷いていた。
「ですが、これは夢というよりは将来の職業選択の中、現時点で最も可能性が高いものであるということであって、職業選択は今後の進路や社会環境によって大きく変わるものと思います。そのため、夢という位置づけにするには違和感を覚えます。」
読み上げて、一旦バーナビーは虎徹を見つめ、にっこりとほほ笑んだ。
読み上げた内容とその微笑みに、虎徹の表情が曇り始める。
「僕の夢とはっきり言えるもの、眠ってみる夢ではなく、叶えるためにこれからの行動を設計し実現に向かって行動を起こすもの、僕にとってのそれは、将来虎徹先生を組み敷いてアンアン言わせることにあります。」
小さな静かな部屋の中に、澄んだバーナビーの声が小気味よく響いていた。
「だっ!」
虎徹の口から、妙な声が漏れたがバーナビーは構わず文章を読み進めた。

「まず第一の目標は、十六歳で童貞を虎徹先生に捧げます。希望としてはその時の虎徹先生はバックバージンだと嬉しいので、守りぬいてほしいです。それから、十八歳で大学に進学したら家を出ようと思っているので、虎徹先生と半同棲を始めます。ここで完全同棲にしないのは、まだ僕は親のすねをかじっている身だからです。通い夫という立場でいたいと思います。大学ではロボット工学の道へ進む予定ですが、研究をするとなると博士課程等が必要になってくるので、完全に独立して誰はばかることなく大手を振って虎徹先生と同棲となるまでには、自分の努力が大変重要であると思います。そのため、最初にあげた虎徹先生をあんあん言わせるのは、充実した性生活を送れるようになってからなので、早くて二十四歳からそれ以上になると思います。これが僕の夢でありその夢をかなえるためのタイムスケジュールです。追伸、二十四歳になったら、母校訪問をして体育館倉庫で虎徹先生とやりたいと思います。」

「…………」
バーナビーが元気よく読み終えて顔を上げると、虎徹は目の前の小さな机に突っ伏していた。
「…虎徹先生?」
呼びかけられ、どういう意味でか頬を染めた虎徹が恨めしげな眼だけを上げると、金髪の美少年が可愛らしく小首を傾げてこちらを見ていた。
「おまえなあ…」
一瞬、年相応に可愛らしいなと思ってしまい、虎徹はあわてて頭を振って体を起こす。
「おかしいだろこれ、こういうこと書いたら不味いってくらい、お前みたいな頭のいいやつならわかんだろ」
十一歳の子供に向かっていう台詞ではなかったが、虎徹の頭からは既にそんなことは吹っ飛んでいた。最早こんなものは子供の純粋な思いなどではなく、あきらかな担任教師である自分への嫌がらせだ。
「何がどうおかしいんですか?不味いってどこがです?」
納得いかないといったように綺麗な顔を歪めると、バーナビーは原稿用紙を見つめながらさらに首をかしげて見せた。
「一行目以外のどこもかしこも全部だよっ、つっこむところ多すぎて先生突っ込みきれねえよっ」
ばんばんと虎徹が机を叩くと、バーナビーがおかしそうに笑った。
「つっこまれるのは先生のほうですよ?」
「そういうことじゃねえ!」
ぜいぜいと息を切らしながら、しかし虎徹は冷静になろうと努めて深呼吸をする。
「つーかよ」
考えれてみれば妙な内容だ。自分への嫌がらせよりも、本人のリスクのほうが高いのではないか。そう考えると、やはりこれは子供の拙く可愛らしい(内容は可愛くないが)嫌がらせの産物ということなのだろう。
虎徹は、教師モードを取り戻すと、バーナビーに噛んで含めるように話しかけた。
「俺への嫌がらせにしたって、こんなことを発表すれば自分がおかしな目で見られるんだぞ? だいたい、なんだって俺なんかと……いやもう…もしお前のこれが本心だったとしてもだ、俺は別に同性愛者を差別はしねぇけどよ」
「僕は別に同性愛者ではありませんけど」
「あっそう…って、そうなの?」
「そうですよ」
涼しい顔であっさり告げられ、虎徹は眉をへの字に曲げた。やはり単なる考えなしの嫌がらせだ。
「それに、別にこれは嫌がらせじゃありませんし、もしこれを皆の前で読めと言われたら、これを見ながら全く別のことを言うくらいの知恵はありますから御心配なく」
あっけなく、嫌がらせの線も打ち消され、本人へのリスクすら否定される。
「だからってな…普通、こんなこと書いたら問題ありってなって保護者呼ばれるんだぞ?」
そうだ、皆の前では誤魔化せたって、教師である自分は見てしまっているのだ。保護者に連絡されればそれまでではないか。
「そうでしょうか」
意地悪そうな声がして、虎徹が目の前に立つ少年を見ると、バーナビーは綺麗な顔になんともいえない不穏な表情を浮かべて虎徹を見ていた。
「僕にはむしろ、先生のお立場のほうが不味くなるんじゃないかと思いますけど? 子供とはいえ今までイイコで通してきた僕と、去年新卒で赴任してきたばかりの先生…僕がこんなことを書くようになってしまったのは、先生の影響だと言ったら、僕の保護者や校長先生なんかはどうとらえるでしょうね?」
にっこりと微笑んだその顔が、天使の皮をかぶった悪魔に見えたと言っても、虎徹を責めるものはいなかっただろう。
虎徹は背中に冷たいものを感じた。
「おまえ…俺を脅すつもりかよ」
「そんなつもりは毛頭ありません、これは虎徹先生へのいわばラブレターですし」
「はあ?」
嫌がらせではなく、同性愛者でもなく、公表すれば自分の失態になると脅されたうえで言われたとは思えない、違和感を覚える言葉だ。
「同性愛でもない僕が、真剣にこんなことを考えてしまう程には虎徹先生に惹かれているということをお伝えしたかったんです」
真面目な表情になったバーナビーが、机に乗り出すような勢いで告げると、虎徹は何故か頬が熱くなるのを感じた。
いくら綺麗な顔だとはいえ、相手は子供であり、生徒である。何を動揺しているのかと虎徹は心の中で自分を叱咤した。
そんなことよりもなによりも、なんとか収拾する方法を考えなければならなくて…
この子供に考えを改めさせなければならなくて…
虎徹は目の前に迫る綺麗な顔をちらりと見ると、はあと溜息を吐いた。
「…センセイ、困ってらっしゃいますか?」
バーナビーが上目遣いで口を尖らせた。そういう顔をすると、やけに子供っぽくて可愛らしい。
それすらも計算されつくされているのだろうかと思うと、この子供には何を言っても対抗できない気がしてくる。
しかし…
「困ってるよ、健全な青少年を正しく導けないってなると教師生命に関わるからな」
教師としては、かなわないで終わらせてしまうわけにもいかない。虎徹が大きく息を吐くと、バーナビーが少し困ったように視線をさまよわせた。
「先生が先生じゃなくなられたら困ります…」
「そうかよ、でもお前の作文がこのまんまじゃ、お前の成績も付けられねぇし」
虎徹がバーナビーの手にある作文を示すと、さまよっていたバーナビーの視線が原稿用紙に戻り、再び虎徹を見上げてきた。
「じゃあ…先生が安心するような保護者ウケするものに書き直してもいいですよ? さっきも言ったとおりこれは虎徹先生へのラブレターですから、先生が持っていてくださればいいので」
「…ラブレター云々はおいといてだ、書き直すってんなら先生もそうしてほしいんだけどな」
頬杖をついて幾分投げやりに言うと、バーナビーはにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、教室で書き直してきますので、ちょっと待っててください」
そう言ってくるりと虎徹に背を向け、ドアのほうへ行きかけて・・・何か忘れ物をしたような顔をしていきなり戻ってきた。
狭い部屋で、ドアから窓まで子供の足でも数歩もない。
つかつかと虎徹のいる机まで戻ってきたバーナビーは、さっきと同じ姿勢で頬杖をついたままの虎徹の前までくると、どうしたんだ?というような顔でぱちくりと目を見開いていた虎徹の前に立ち、少しかがんで…

ちゅっ

突き出されていたその唇に、可愛らしくキスをした。

「………だっ!! なにすっ!!」
我に返った虎徹が、何をされたのか理解して身体を起こしたときには、バーナビーは既に部屋の外で、扉を閉めようとしているところだった。
「書き直すご褒美です、ごちそうさまでした」
折り目正しく礼をすると、バーナビーはぱたんと扉を閉めた。
「なっ、なっ……」
残された虎徹は、顔を真っ赤に染めて、手の甲で唇を拭っていた。何か言ってやりたかったのに言葉が出せず、どうしたらいいのかわからない。
落ち着こうと振り向くと、暮れようとしている太陽が空をオレンジ色に染めていた。
かっかする頬が、きっとこの夕陽に負けないくらい赤くなっているのだろうと思うと、思わず両手で頬を押さえてしまう。
「だからっ、相手はガキだってーのっ」
そうだ、子供だ。
犬にキスするような年頃だ。
犬にするような、そんなつもりでしたに決まっている。
だから焦ることはない…

虎徹は、バーナビーが書き直しの作文を持ってくるまでの数分の間、ブツブツと呪文のように自分にそう言い聞かせていた。
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