ありすのお部屋

□花埋みの里
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〜其の壱〜

人はうつつで耐えきれぬ哀しみを背負うと、その魂はうつつとまぼろしとの狭間をさ迷い、やがては『鬼』と呼ばれる、人ならざるものへと変化する。
そんな哀しい鬼達が寄り添うように集い、そして魂の永き浄化を待つという里が、この世のどこかにあるという。

誰か、知らないか。

桜の中に人ならざる哀しき異形のもの達が、ひっそりと隠れ住み。
淡雪のような花びらに埋もれながら、その魂が清らかに浄化するまで、彼らはそこで永き時を過ごすという。
くれないの桜が、散る里。
哀しき魂の、集う里。
花埋みの里、を───。


******


桜が、散っていた。

    
くれないの、花びら。
微かに血の色を帯びるそれに染められる、妖かしの木。
そこから花びらが、はらりはらりと零れ落ち、風に舞いながら虚空をさ迷う。
零れる、零れる、くれないの花。
薄暗がりの空一面に舞い上がり、艶やかに煙るくれないの霞。
うっすらと紫色の衣をまとったような月だけが、天空に輝く夜。
ただ、息を飲む程美しい桜の群れが、どこまでもどこまでも続いていた。
くれないの満開の花を咲かせた、桜の森。
それがはらはらと降り落ちる、微かな音以外、何もなく。
ただ静かに、淡雪にも似たそれが降り落ちてゆくだけの。
もの狂おしく、哀しげに。
全てを覆いつくす、くれないの花。
あとから、あとから切りもなく。
全てを埋め尽くす、くれないの色。
冷んやりと柔らかく、静かに積もった花の褥に、哀しみも、苦しみも、恨みも、全て埋め尽くしてしまう、花びらの乱舞が降り落ちる。
くれないに、染まる。
くれないに、染められてゆく。
零れる、零れる、くれないの。
舞い散る、舞い散る、くれないの。
花に、埋められる。
花に、埋もれる……。



その小さな子供は、酷く虚ろな目をしていた。
翡翠の色をした澄んだ瞳は、この世界を映すことがなく。
白い木綿の粗末な着物から剥出しになった、白雪のような柔らかな肌は、温かみを失ったように青冷め、生気がない。
どこまでも続く桜の群れの中でも、一際大きな桜の木の根元で、ぼんやりと膝をかかえ、ただ降り落ちてゆく、くれないのそれを見つめていた。 

はらり、はらり。

淡い花びらが、子供の上に音もなく降り落ちてゆく。
あとから、あとから、きりもなく。
黄金に輝く髪に、ほっそりした肩に。
飽くことなく、花は降り落ちる。

「……」

大きな瞳は、虚ろだった。
その瞳には、何も映らない。
何も、映さない。
降り落ちる柔らかな花びらは、ゆっくりと子供を埋めてゆく。
静かに、優しく。
小さな、小さな子供の体を、そっと、そっと。
哀しげに降り落ち、微かな音をたてながら、子供の体を埋めてゆく。
子供は膝をかかえ、それをぼんやりと眺めるだけで。
その瞳は、何も映さない。
この世界の、何も……。



カサリ。
いつの間に、現われたのか。
くれないの花びらを、ゆっくりと踏みしめて、すっきりとした白い狩衣姿の男が、子供の側へと近付いた。
瑞々しい端正な顔立ちに、落ち着いた雰囲気を漂わせ。
光の加減によっては金色にも見える、琥珀色の瞳を揺らし。
花に埋もれながら膝を抱える子供を、深い眼差しで静かに見下ろす。 
「……」
子供は、彼を虚ろに見上げる。
だが、子供の瞳は彼を映さない。
その翡翠の瞳には、何も映らない。
虚ろな瞳でぼんやりと彼を見上げ、そうして再び何もなかったように、降り落ちる花へと視線を向けた。
子供の髪に、華奢な肩に、花が降り落ちる。 
それはまるで、今にも消えていきそうな儚なさだった。
青白い肌が闇に透き通り、手の平にのせた淡雪が、あわあわと消えゆくかのように。
ただ、花に埋もれ、地に帰る。
そんなか細く、頼りなげな姿であった。
男は、黙って子供を見下ろしている。
はらり、はらり。
花びらは二人の間に止むことなく、降り落ちてゆく。
静かに、優しく、そして、哀しげに。
桜は、散ってゆく……。
しばし子供を見つめていた彼の表情に、ふと迷うような色が浮かび、何かを思うように顔を上げる。
闇に浮かぶ月を見て、彼は瞳を閉じた。
「……」
やがて瞳を開け、彼は深い眼差しで子供を見下ろして。
ゆっくりと腰を落とし、花の褥に片膝をつくと、子供の髪にかかった花びらを、長い指で優しく払い、さらさらとした黄金の髪をゆっくりと撫ですいた。
ゆっくり、ゆっくり。
泣きたくなるくらい、ゆっくりと。
子供は再び、虚ろな瞳でぼんやりと彼を見上げる。
何も映さない、翡翠の瞳。
動くことのない、柔らかな口唇。
柔らかく髪を撫ですいていた手を、ゆっくりと頬に滑らせて、彼は子供の瞳を見つめた。
『……俺と一緒に、来るか?』
そう、一言だけ。
微かな痛みをともなう、そんな色を滲ませて、彼は静かに問い掛けると、子供の瞳に一瞬だけ。
彼の姿が映る。
端正な顔だちと、穏やかな琥珀色の瞳をもつ彼の姿を。
ほんの一瞬だけ翡翠の瞳に映すと、再びもとの虚ろな瞳に戻る。
彼は頬に滑らせていた指を離し、子供の白い額へと人差し指を滑らせ、何かを刻みつけた。
『……』
口唇から低い韻律が男の口から漏れると、子供の額に軌跡がふわりと青白く光り。
それが消えると同時に、男の瞳に痛ましい翳りが浮かぶ。
もう一度、子供の額を指先で優しくなぞった。
そして虚ろに彼を見上げる子供に、静かに微笑んでみせ、小さなその体を抱き上げる。
ぼんやりとした瞳のまま、子供は彼の首に紅葉のような手をそっと回した。
『……行くぞ』
優しく呟き、彼は子供を抱き上げ、桜の花の中を歩き始める。



二人の上に、くれないの花が降り落ちてゆく。
零れる、零れる、くれないの。
舞い散る、舞い散る、くれないの花。
花は、降り止まない。
何もかも、全てを埋め尽くそうとするように。 
哀しみも、苦しみも、憎しみも全て。
くれないで、埋めつくそうとするように。
降り止むことなく、舞い続ける……。  



******



陰陽師。
空と大地の龍を読み、星を観、人の相を観る彼ら陰陽師とは、朝廷から重きを置かれる、官僚占術師のことである。
人の吉凶を占うだけではなく、時には国家の浮沈さえも占う彼らの力は計りしれない。
呪咀により人を呪殺することも、幻術を使い人を惑わすことも自在で、眼に見えない妖かしの力を支配する技術を持っていた。
その代表として、『式神』と呼ばれる、強大な呪力によって動かすことのできる使役神があげられる。
そのほとんどは『鬼神力』と呼ばれる妖力を持った異形の精霊であるが、これらの『神霊』と呼ばれる、この世ならざるもの達を陰陽師達は操るのだ。
ただ、それらの『式神』を操ることのできる陰陽師は、類い稀な霊力を必要とされる為、これらを使役するのは、秀でた能力を持つ優秀な陰陽師に限られた。
そうした様々な能力を持つ、内裏に出仕する陰陽師の中でも、飛び抜けた能力を持つ陰陽師、と噂される人物がいる。
若き、稀代の陰陽師。
虎徹の名を知るものは、彼をこう呼んだ。
性格は少々荒っぽいながらも、礼節を知り、清廉にして風雅を愛する人柄で、今上の覚えもめでたく。
末は陰陽頭にさえなるであろう、との評判も高い。
そう噂される彼は、しかし、宮中での権力にも名声にもまったく執着を見せず。
都のはずれである、丑寅の方角に屋敷を構え、人目を忍ぶようにひっそりと暮らしていたのであった。
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