ありすのお部屋
□花の宴は、恋の濡れ場ちゅう・番外
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◆こちらは番外編です。本編はゴネク新刊(2011年11月)にする予定ですが、こちらは本編後の、番外編です。こちらの番外編も、新刊に含まれる予定です。◆
─────夏だ。
京都に、くそ暑い夏がきた。
俺は簀子縁に腰掛けてジリジリと照りつける、ギラギラとした陽射しを恨めし気に見上げた。
だめだ、暑い。
あんまりにも暑いもんだから、涼しい場所を探して部屋の中をごろごろ転がってみた。
はあ、暑い。
ごろごろ、ごろごろ。
少しでも床の涼しいところを求めて、俺はごろごろ転がる。
この床も暑いし、ここの簀子縁も暑い。
几帳の影も暑いし、脇息だってジリジリと熱い。
ごろごろ、ごろごろ。
暑い……。
暑い、暑い、暑い……。
「あああ、暑い……」
このままでは、溶けてしまいそうだ。
俺は去年さっぱりと切ってしまい、ようやく少しだけ伸びた髪をざっとかき上げて、汗でしっとりとする着物の袖をまくり上げる。
さっきから部屋の中をごろごろしていたもんだから、俺の衣なんか着崩れしまくりだし、髪の毛も小袿もぐしゃぐしゃだ。
……兄貴が見たら、眉を吊り上げて、怒り出しそうだな……。
『虎徹、仮にも大納言家の姫がなんという様だ。まったく、お前には、姫という自覚がないのか?』
なぁんて言いながら、きつい拳いっぱつくらい飛んできそうだ。
こんな格好見られたら、まぁた兄貴の雷が落ちてくるな、まじで。
ああ、こえぇ、こえぇ。
しかもさっきからずっと床をゴロゴロしていたから、無駄に暑くなっちまった。
だったら無駄に動かないほうがいいのだろうが、この暑い中、じっとしてなんかいられない。
俺はジリジリと全てを焦してカッっと照りつけてくる光を、再び恨めし気に睨み上げた。
室内にはムッっとした湿気が立ちこもり、風はそよりとも吹いてくることはなく。
ただ肌にべったりとまとわりつく、暑い空気だけが周囲を取り囲んでいる。
京都の夏の暑さは、伊達じゃない。
特にこの数日の暑さは、異常とも言えるぐらいだ。
宮中なんかじゃこのひどい日照りに、やれ食料難だの、やれ流行病だのと、色々のそういった細かい心配事が多いらしい。
こんなに暑いと、不快指数が死ぬほど跳ね上がり、人の心も殺伐とするのか、都の中もそうそう穏やかというわけにはいかず。
そのため宮中の警護を仰せつかっているバーナビーなんかも、色々と忙しいらしく、最近はなかなか俺のところに通ってこれない。
男が女のところに通ってきて、初めて男女の仲が成立するこの時代、バーナビーが俺のところに通ってこなくなるってのは、真面目に考えると結構まずい問題だ。
この時代、夫婦のつながりっていえば、男が女の家にまめまめしく通ってきて初めて成立するわけで。
───そう、つまり。
俺とバーナビーは、実は今年の春に、男女の契りを交して、晴れて夫婦になったのだ。
ふ、夫婦……。
俺と、バーナビーが。
そして俺は今、バーナビーの人妻なわけで。
こうやって言葉にすると、インパクトでかいな、おい。
つい最近まで、今は亡き友恵の君に操を立てて、清く正しい尼になろうとしていたこの俺が?
しかも今をときめく、若き有能な右近中将バーナビーの人妻。
人生ってのは、何があるかわからないよな。
しかもこの時代、女は旦那の名前で呼ばれたりすることが多いから、俺は右近中将バーナビーの北の方として名前を呼ばれるのだ。
右近中将バーナビーの、北の方。
……北の方って、なんだかなぁ。
とはいえ結婚するまでは、やたら皮肉をいったりして、可愛げがなかったバーナビーだが、結婚したら結婚したらで、なんというか割りとまめまめしい夫だったりして。
まぁ、そういうことではバーナビーとの結婚ってことも、悪くはないかなとも、ちょっと思っていたりもする。
しかもバーナビーは、京都で一、二を争う大貴族の右大臣家の子息で。
しかもゆくゆく将来は、太政大臣まで上りつめるだろうと予測されていて。
帝の信頼も厚い有能極まりない右近中将で、都中の姫君達から『紅き風の君』とかいう呼び名で憧れられていて。
別に俺はバーナビーが右大臣家の息子だからとか、将来有望そうだから、とかで結婚した訳じゃないが、どうやら俺は将来安泰らしい。
俺の将来が安泰ということは、愛娘の楓の将来も安泰なので、まあ、結果としては良かった……というべきなのか。
ただ、どちらかというと俺は、若き有能な右近中将よりも、昔々小さい頃に、俺の後ろにべったりとくっついてきて、可愛らしいバニーのほうが好きだった。
紅葉みたいな小さい手で俺の顔をペタペタと触ってきて『虎徹さん、虎徹さん』って舌ったらずな口調で甘えてきた、お人形さんみたいに可愛いバーナビーの方が好きだった。
かくれんぼなんかすると、いつもバニーを鬼にして、絶対にバニーにわからないような場所に隠れると、最後には『虎徹さん、どこ?』って泣きだしそうな声で、必死に俺を探しているそんな可愛いバーナビーの方がどちらかというと好きなんだけど。
今のバニーは憎ったらしいくらい、急に男っぽくなっちゃって、俺の方が一人でどきどきするからいやなんだ。
───そうなのだ。
バーナビーに見つめられると、すごくすごく苦しくて、じっとしていられなくなるから、いやだ。
例えば静かに月が出ているような、秘めやかな夜。
ふとした瞬間に、バーナビーが俺のことをじっと見つめてくる。
それまで他愛もないことをしゃべっていて、互いに笑いながら、少しだけお酒なんか飲んだりして、双六したりして。
でもどちらからともなく、ふと手が触れ合ったりした瞬間。
空気が、変わるのだ。
それまでは、ほんわりとしていた柔らかな空気なのに、急に湿気を孕んだような、熱っぽいものに空気が変わる。
バーナビーの翡翠の瞳が、霧がかかった月の光のように妖しげな色に変わってゆき。
俺の瞳を、じっと見つめる。
その瞳を見つめていられなくて、横をむくとバーナビーは俺のことをそっと抱きしめてくる。
そうすると悔しいことに、俺はバーナビーに逆らえなくなってしまう。
バーナビーが、俺に口づけてくる。
最初は優しく、そしてだんだんと強く。
熱い舌が絡まって、きつく抱きしめられると俺の体温もどんどんと上がっていって、そして───。
わあああああああ。
な、何を思い出しているんだ、俺は。
やめ、やめやめ。
俺は一人で顔を赤らめて、急に熱くなってしまった体をぎゅっと抱きしめた。
ただでさえ暑いってのに、なにを考えているんだ、俺は。
ドキドキしてきた鼓動を押さえて、俺は全身ですーはーすーはーと二、三度大きく深呼吸をする。
まったく、こんないい天気に何をやってんるんだろうな、俺って。
俺の頭上には、ぽっかりとした綺麗な青い空が広がっている。
先ほどまでの恥ずかしい想像を振り払うように、俺は陽のあたる簀子縁のところへと腰掛けた。
しかし相変わらず、夏の暑さは変わらない。
暑い……。
しかも何にもすることもなくて、退屈なのだが、こんなに暑いと何かしようって気にもならねぇ。
ああ……こんな時くらいバーナビーでもいればいいのに。
……いや、だめだろ、それ。
考えてみれば、バニーがいたらただでさえ暑いのに、ますます暑くなっちまう。
このクソ暑いのに、バニーがそばにいると、やたらベタベタ触ってくるからうっとぉしいことこの上ねぇ。
冬の寒い時なんかだったら、そりゃ、互いの肌の温もりってなのもそんなには悪くはないが。
とにかく、この暑いのにベタベタするのは、ちょっと困りもんだ。
まぁ、バーナビーの肌は割りと冷んやりしてたりするから、気持ちいいかな……とも思うんだけどなぁ。
風がそよともしない日には、俺は嫌なんだ。
いくらバニーが熱い眼差しで見つめてきても、響きのよい声で囁いてきたとしても。
暑い時には、嫌だ。
嫌なんだったら、嫌なんだ!
それなのに、いつもいつもなんだかんだと……その、なんだ、なんかそういう……こっぱずかしいことになっちゃったりして。
そうすると俺の体の熱さなのか、それとも空気の熱さなのか訳がわかんなくなる。
─────。
かァァと、俺の顔が火照った。
うーッ、思いだすとますます暑くなる。
やめ、やめ。
とにかくバーナビーはそんな訳で、ここ数日ここに姿をあらわさないんだけど、俺はどこか物足りないような、淋しいような不思議な気分を味わっている。
さ、淋しいって、べつに───バニーがいなくたって、俺はぜんぜん平気なんだけどな。
毎日毎日暑いし、バーナビーがいるとますます暑くてうっとうしいから、いなきゃせいせいするぜ。
このまま涼しくなるまで姿をあらわさなくって、秋頃くらいにひょっこり姿をあらわしても、俺は淋しくなんてねぇよっ。
はッはははーだ!
俺は腰に手をあてて、一人で乾いた高笑いをブチかます。
ミーン、ミンミン。
……まるで俺の乾いた笑いに呼応するように、蝉の鳴き声が響き渡った。
「……はぁ」
─────ああ、暑い。
さっきから色々とごろごろしたり、考えことばかりしたから、なんかますます暑くなったぜ。
鴨川にでも泳ぎに行きてぇな……。
口煩い兄貴もいねぇし、楓や母ちゃん達も涼しい貴船へと行っている。
泳ぎに行くか。
鴨川、涼しいだろうな。
瓜とかを冷やして鴨川で涼みしたら、涼しいだろうな。
……いいじゃねぇか。
そよそよと流れてゆく、綺麗な鴨川の水辺にぱんぱんに熟した大きな瓜を冷やしておく。
鴨川の澄んだせせらぎの声を聞きながら、素足を川の水に浸す。
きゅんとするくらい冷たい水の中を、ちろちろと光ながら泳ぐ魚を追いかけて俺は川の中を走る。
思い切り遊んだ後は、冷んやりと冷えた真っ赤な瓜に思いきり食らいつく。
水分をたっぷりと含んだ甘くて水々しい瓜は、美味しいだろうな……。
うう……俺は自分の想像に、いてもたってもいられなくなってきた。
ようし、鴨川に行くか!
俺はわくわくしながら、さっそくそれを実行すべく、行動にでようとした。
その時。