聖域は語る
□第四章
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「な、どうかしました?」
「いや、こっちの話」
「……」
「……ごめ、やっぱ言うわ。気になるよな」
わざわざ箸を置く武田さんを前にして、俺は内心身構えた。
「まだ柚木が世界王者になる前。沖縄で合宿してた時なんだけど」
「あぁ……はい」
嫌でもすぐに思い出せる。
俺は東京(こっち)で角田に再会してしまい、心細さに打ちひしがれてた期間だったから……
「柚木に訊いてみたんだ。高校まで野球ばっかやってた男が、なんでボクシングやろうと思ったの? って」
「……野球は人数が必要だからじゃないですか?」
「まぁな。でも就職先の同僚と草野球やる機会くらいはあったんだと。でも…………つらかった≠チて」
「つらい?」
速まる鼓動が煩わしい。おさまれ。
「野球には想い出が多すぎて」
そのセリフは、何故か俺の耳元では智哉の声で再生された。
危うく右手に持ったままだった箸を落としそうになる。
「ボクシングに出会って、そういうつらさとか忘れさせてもらえたって」
「……」
「後にも先にもその時だけだよ。柚木があんなにぶっちゃけてくれたの。……解放感あったからなぁ。目の前一体が海で」
俺も取材で来てたこと一瞬忘れたよ、と言いながら、武田さんは懐かしげに目を細めた。
しかし次の瞬間、何かに気づいたように慌ててフォローにまわる。
「……ごめん! 一緒に野球やってたお前からすりゃ複雑だよなっ」
俺は右手を顔の前で振り、急いで否定した。
「だ、大丈夫ですよ」
「ただ柚木はすげぇボクシングに感謝してるんだなぁってわかって、嬉しくなっちゃってさ」
頭を掻きながら照れくさそうに話す武田さんを、俺はある感慨を持って見つめた。
そういえば――
この人は、俺と智哉がジムで四年ぶりに再会した瞬間に出くわしている。
十年間、変わらず親友であり続けたふたりではないことを、きっと知ってる。
「……柚木も武田さんだから話したんだと思う。なんか兄貴みたいっすもん」
「へぇ? 兄貴風吹かしてる、の間違いじゃねぇの?」
「あ、そうかなぁ。俺もあいつも兄貴いねぇから実はわかんねぇんす」
てんめぇ、と睨みをきかせながら再び箸をとる武田さんと。
大げさに悪どく笑ってみせる俺は、普段のノリに戻っていた。
ボクシングに感謝してる……
だから智哉がボクシングを汚すわけがない。
楢山をただ殴る手段として利用するわけがない……
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