密かな誇り

□第一章〜理由
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「はるうみはるうみはるうみはるうみ」


すいた電車内。

隣の席で、恋人は俺の名字を小声で呟いている。


「なんなんだよ」


俺は呆れて小さくつっこむ。


「だって……みんなの前で、下の名前で呼んじゃマズいだろ?」

「……まぁな」


俺たちは母校の野球部の同窓会に顔を出すため、電車で東京を離れて地元へ向かっていた。


「でも大丈夫だと思うぜ、お前は」

「なんで?」

「お前の中でさえ定着してねぇじゃん。俺を『千景(ちかげ)』って呼ぶこと」

「え〜? そりゃま、出会って八年くらい名字で呼んでたわけだから」

「……気づいてねぇの?」

「なにが?」

「……じゃあいいや」

「なんだよ気になるだろ!」


智哉(ともや)は俺の肩をゆすり、自分の方に顔を向けさせようとする。

俺は目を合わせず、正面を向いたまま吼えた。

「この男はっ、エッチの時しか俺を名前で呼ばない!!」

「わぁ〜っ! 何いってんだ!」


智哉は慌てて俺の口を手で塞ぎ、周りをキョロキョロ見渡す。

この車両には俺達しか乗ってねぇよ。じゃなきゃ叫ぶかバカ。


「……そんなわけないだろ?」


耳を真っ赤にして小声で訴える智哉の手を、俺は口から引き剥がす。


「お前に自覚がねぇだけ。普段は春海、とか春、とかばっかり」

「それは、だから八年も……」


俺は首を左右に振る。


「なぜかヤる時だけは、ほぼ100%『千景』って呼ぶ」


それを聞いた智哉は口を尖らし、頬を紅く染めて再びつぶやき出した。


「ちかげちかげちかげちかげ……」

「あっ、おい」

「定着させてるんだよっ」

「みんなの前で、そう呼ぶ気か!?」

「ちゃんと春海って呼ぶつもり。でも『千景』を定着させてるから、ポロッと言っちゃうかもな」

「……勝手にしろ!」

「する!」


俺は座席の背もたれに、思いっきり体を預けてふて腐れた。

智哉も同様だ。


しばらく黙っていたものの、俺はふと思いついて口を開いた。


「賭けるか」


智哉は顔をこっちに向ける。


「同窓会の間、互いに下の名前で呼んだら、後で何でも言うこと聞くの」

「一回でもアウト?」

「うん。でも両方アウトになる可能性もあるから、そしたら回数の多い方が負け」

「……乗った」


そう答える智哉の顔に笑みが戻る。

俺はあえて悪どい表情をつくり、彼にプレッシャーをかけた。


「言っとくけど俺は自信あるぜ。仕事では『柚木選手』だの『世界チャンプの柚木』だのって呼ぶから、プライベートと切り換えるクセがついてんの」

「うっわ……きったないな〜」


智哉は自らの額に手をあてて嘆き、俺は声を上げて笑った。





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