キリリク&記念小説

□ささいな野望(サイト8周年記念SS)
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自家用車を購入した。


国産の新車。車体の色はダークブルー。

今日は千景を隣に乗せて、温泉旅館に行く。


昨夜、ふと気づいたことがある。

今まで眠っている千景≠ノキスすらしたことがない。

おでこを撫でたり、手にそっと触れたりしたことはあるが、キス以上のことは千景の意思がわかる状態でないと出来なかった。

何故だ。

眠る千景に性的なことをしたいのに、グッと我慢する……ということは何度もあった。

片想いが長かったから、その頃のクセが抜けないのかもしれない。


でも今日こそ、俺は我慢しない。隙あらば千景にキスをする!

目覚めた彼に怒られてもいい。はたかれてもいい。

日常生活から離れて、仕事のスケジュールからも解放されている、この一泊二日。

千景は俺だけのものだから!



「寝ててもいいよ」


俺は車を運転しながら、助手席の千景に言った。


「サンキュ……」


昨日も遅くまで仕事だった千景は疲れているのだろう。ほどなく寝息を立て出した。

最初のチャンスが早々と訪れたかに見えたが、やはり場所が悪い。

外から見えないところに停車するにしても、なかなかそんなベストなタイミングも位置も見つからない。

だいたい安全運転第一だ。この先高速道路にも入るし。


案の定、高速を出て温泉街に辿り着くまで(トイレに行きたくなったら困るだろうから、サービスエリアで一度起こしたけども)千景は爆睡し続けていた。

その間、彼に指一本触れられない俺。


温泉旅館の予約は、千景がとってくれていた。

「柚木智哉」が男と二人で温泉旅館に泊まった証拠のようなものを、記録に残さない方がいい、と千景が主張するのだ。


『なんか犯罪者みたい……』

『ネガティブにとるなよ! 今回は俺の名前で予約とるってだけ! そう思っててくれよっ』


わかった、と返答はしたが、ちょっと気持ちがモヤッとする。

俺たちは、何か予約したり契約したりするとき、いつも少し人目を警戒してなきゃいけないのかな……

まぁいい。どうせ世間に名前を認知されてるのなんてチャンピオンでいる間だけだし、マスコミは千景と同居していることを知ってか知らずか、関心を向けている様子も無い。今だってそこそこ自由だ!

千景に言われたとおり、ポジティブにいこう!


そんなこんなで旅館の駐車場に到着した。地面は舗装されているものの、うっそうとした雑木林と隣接している。

千景を起こそうと、名前を呼びかけて喉元で止めた。サービスエリアと違って全く人通りがない。

――チャンス到来じゃないか?

すやすやと寝息をたてている千景の顔に、自分の顔を近づけた。

ガサガサッ!

助手席の窓ガラスの向こうで、草むらが大きく揺れた。


「わぁっ」

「わっ、何、なんだ!?」


俺の驚く声を受けて、千景は飛び起きてしまった。

草むらから姿をあらわしたのは、一匹のタヌキ。


「……なんだ、タヌキか」

「えっ、タヌキいた!? どこ!?」

「ほら、あれあれ」


俺が指し示した方角を、千景が振り向いて見つめる。

タヌキはしばし立ち止まって左右を見回したかと思うと、全速力で駐車場を駆け抜け、何処かへ消えた。


「うわーははっ、タヌキなんて久しぶりに見たなぁ! なっ、智哉もだろ?」

「うん、東京に来てから見ないよな……」


はしゃぐ千景とは対照的に、俺はタヌキを恨めしく思った。

あーもーいいや!

眠ってようが起きてようが……


「降りねぇの?」


自分のシートベルトを外しながら尋ねる千景。

俺は彼の左肩に手を掛け、こっちに向けられた顔に自分の顔を近づけた。

しかし唇に触れるまであと数センチ、のところで頬を思い切りつねられた。


「イタっっ!! ひどっ!」

「誰かに見られたらどうすんだよっ」

「誰もいないじゃん!」

「……降りるぞ!」


千景はさっさと車を降りた。


あー……こりゃハードルが上がったぞ。

警戒心を植えつけてしまったぞ。

俺は色んな場所で思い切りイチャつく図を想像しまくって来たのに。

千景のバカ!


予約した部屋に入り、手荷物を下ろす。

ガラス戸越しに立派な露天風呂が確認できた。

五、六人でも余裕で浸かれそうだ。


「スゲー……! あ、大浴場もあるんだよなっ」


千景は無邪気に俺と露天風呂を交互に見ながら訊く。


「大浴場は、入らなくていいだろ」

「……そ、そうだな。智哉は有名人だし」

「じゃなくて」


千景が不思議そうに目を丸くして見つめてくるので、思わず目をそらして続きを話す。

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