そばにいられるだけでいいのに


□第三章〜事件
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快晴の行楽日和。

俺達は約束どおり海を見に行った。

電車を使って県境を超え、一時間ほどで着く近場の海だ。


「次の試合、決まったよ」


柚木が電車の一両目の乗降口近くの壁に寄りかかり、向かいに立っている俺に告げた。


「いつ?」

「二ヵ月後。八月末頃。日本タイトルマッチだよ」

「マジ!? やったな」


日本ライト級タイトルマッチ。これに勝てば柚木は日本ライト級王者だ。


「データ見てるとさ、ライト級で身長178って高いよな……減量大変だろ?」

「う〜ん……まあ。でも今回は少し楽かも」

「え、なんで?」

「計量までに3キロ落とせばいいから。前の試合の時なんて7キロ落としたんだよ。それに比べりゃ……」

「そうなんだぁ。何で今回それしか体重増えてねえんだろうな?」


俺が不思議に思っていると、柚木は首を傾けて微笑んだ。


「あまり食事が喉を通らない。……恋してるから」


それを聞いて、俺はグッと息を呑んだ。

いや待て待て。乗客がいるし、女の子の話してるってことで……

「っか〜! ぬけぬけとぉ! 若いっていいねぇ!」

「君も若いでしょ」

「俺は恋愛で食欲が無くなるなんてこたぁないね。男は仕事が第一だろ」

「そうかもしれないけどさ……」


柚木は共感を得られなくて少し不服そうだ。

俺もだよ、なんて言えねえだろ。電車内で甘い雰囲気作ってどうすんだよ。


「じゃ春海は、恋したら何が変わる?」


……うわ、突っ込んで来たね……。


「何も変わんねぇって! ガールズトークかよ! ……あっ、海が近い! ほら」


俺は柚木の二の腕を叩き、窓の外を向かせる。


「ほんとだぁ」


日に照らされて結構キレイだね、と言って、柚木は俺に顔だけ向き直って笑った。

……キレイな笑顔だ。

思わず見惚れた。

……好きな人と見る景色って何でもキレイに見えるな……。


海を見るフリをして、俺は柚木の横顔もしっかり視野に入れていた。










ふたりして海岸に降り立つ。

足腰の鍛錬になるからと、柚木を砂浜でのキャッチボールに誘った。

もちろんグラブとボールも俺が持参している。

本当は、思い出を共有したいのが何よりの理由だ。

今は、柚木と二人三脚で同じ目標に向かっている安西さんをはじめ、ボクシングジムの仲間達がいる。

絆の深さでは負けたくなくて、俺は高校時代の習慣に固執してるのだろう。


ボールを投げ合いながら尋ねた。


「砂浜で走ったりとか、すんの?」

「阿波野さんとの合宿トレーニングで、走ったことある!」

「きつい? やっぱ」

「マジきつい!」

「俺とも走って!」

「それはやだ! 大昔の青春ドラマじゃないんだから!」


それもそうだ。笑って手元が狂いがちになる。

そのうちに俺はとんでもない暴投をしてしまった。

砂浜と道路を隔てる堤防の方までボールは飛んでいく。


「ちょっとぉ! どこ投げてんだよ!」

「あはは! おら行け!」

「絶対わざとだろ〜!」


柚木が走ってボールを捕りに行く。

俺は膝に手をついて、彼の後ろ姿を見つめた。


もっと、もっと、あいつと強く繋がることは出来ないのだろうか?



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