聖域は語る

□第五章
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一人暮らしの頃より、一回り大きい湯船に肩まで浸かる。

フチに背中を預けないのは、智哉が浸かるスペースを意識してのことだ。

智哉は頭を洗いながら、俺に話しかけた。


「ちょうど阿波野さんもジムにいてさ。安西さんが騒ぐから、俺の引退話、知られちゃって」

「そっ、そうなんだ……」

「そしたら俺より先に辞めんなよ≠チて冗談ぽく言われた」

「えっ……」

「そんとき俺、これだけは言わなきゃと思って、引退しても仲良くしてくださいって頼んだ」

「そ、そうか! よかった……」


ふたりが仲直りできたこと自体は素直に喜べる。でも、智哉が引退しようと思ったキッカケを阿波野さんが知ったら……

俺のことは軽蔑するかもしれないな……

頑張ります≠チて、あの人の前で宣言したのに。

それは、智哉に中途半端な段階で現役引退させた上で成り立つ頑張り≠セったのかって……


「千景のおかげかも」

「え?」

「千景の本音が聞けて、引退を考えたから、阿波野さんにちゃんと今の気持ち伝えようと思えたのかも。耳が赤いってツッコまれたけどね」


俺のおかげ≠チて……

胸がキシキシと痛む。

やっぱり智哉は阿波野さんのことがスゲェ好きだ。

なのに俺が、そんな二人の道を違わせる時期を早めちまおうとしてる――

俺のせい≠ナ。

悪いことしてるようにしか思えねぇよ……



智哉は案の定、俺が空けたスペースに身を沈めると、背後から俺を抱きすくめた。

そんなすぐに密着してくると思ってなかったので、心臓が飛び跳ねる。


「からだ、こわばってる? ……裸でくっつくこと自体、久しぶりだね」

「そ、そうだったかな……ちょっ」

「ん?」

「背中に、硬いの当たってる……」

「ああ、ごめん。久しぶりだからね」

「こ、ここではしねぇぞ……のぼせる」

「ここでは……ね」


チュッと俺の首筋に口づけ、腕をほどく彼。


「なんでほどくんだよっ」


俺は彼の方に振り向き、正面から抱きついた。


「だ、だってここでしたくなっちゃうから……」


困惑する彼の声が耳の上で聞こえる。

律儀なヤツだ。呆れるくらい。

くっついてたい。理屈じゃなく。

つい先日、お前の全てをくれと訴えた俺だぞ。そんくらい解かれよ天然でくの坊!

訴えを後悔しておきながら、そんなワガママが胸中で叫びをあげる。

俺は智哉の背中に腕をきつく絡ませ、からだを密着させた。


このひとときだけなんだ――

俺がこいつを独占できるのは。



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