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□頬っぺた
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頬っぺたに傷

う〜ん。威厳というよりはいっそのこと渋みをだすほうが良いかもしれないな。よし、これでいいだろう。完璧だ。

マスタング大佐は、自ら左頬に貼り付けたものを確認すると満足げな笑みを浮かべる。

仄かな哀愁も漂う。例えれば、異国からの風の便りに聞く魅力ある海の男という奴だろうか。魚の骨をイメージした切傷モドキが渋さを醸し出していた。

マスタングは工作に使用した材料と、顔を眺めていた手鏡を机上に放り出した。



その後、入室してきたホークアイ中尉は、変わり果てた上司の姿に驚いた。

「おはようございます。えっ、大佐。ちょっと、どうなさったんですか!」

「心配ない。作り物だ。童顔をカバーする為には向こう傷的なものを付けたした方が心証がよくなるのだよ。中尉」

マスタングはお気に入りの皮張りの椅子に深々と腰掛け、君は知らないだろう、とちょっと反り返って自慢げに言った。

「もう、つまらないことに時間を浪費するなんて困ります!」

事態を素早く把握したホークアイは、渋みのなんたるかが理解出来ないようで、上司をぴしゃりと冷たくあしらう。

爪の先ほどの共感すら、みせる様子のないその姿に、彼女ならばこの渋みを出そうとした涙ぐましい努力を判ってくれる、と心の隅っこで期待していたマスタングは深く打ちひしがれた。

くだらないことに過ぎないと言われてしまった。
彼女が口にする強い否定の言葉は、精神的ダメージとして一番堪える。
いや、眉間に皺を寄せているのは照れ隠しかもしれん。
それに共感出来ないにしろ、それは男女間の見解の違いにすぎないと、マスタングは都合よく解釈することにした。

なにしろコレは、デスクワークが片付かないと執務室に軟禁された午前中。彼が鬱憤ばらしに大半の時間を費やし、精魂込めて錬成した自信作だった。
価値がないはずがない。


「仕方ないですね。触ってもいいですか?」

ホークアイは胸に抱えていた分厚いファイルを置くと、マスタングの傍に近寄りそんなことを聞く。
返答がないことを承諾したと受け取ったのか。
左頬をそっと撫でる。

マスタングは肌に触れた指先にどきりとした。
普段はきっちり三歩遠い距離感をキープしている。彼女からの滅多にない親しみを込めた行動に、胸が高鳴る。

間近に見えた金髪と同色の睫毛が綺麗だ。

そう意識した途端、身体が動いていた。
手を伸ばして、彼女の肩に触れようとした瞬間。

「じっとしていて下さい」

ホークアイは真顔のまま甘い声でささやくと、指の腹を滑らせるようにしてそのまま、マスタングの頬に貼り付いた異物をビリビリと一気に剥がす。

なんたることか。私の渾身の作品が!


「ん!? 君は何をするんだ」

振り払うように慌てて離れてみても、もう遅い。

彼女は可愛い顔をして思い切ったことをするひとだ。油断をしていた。優しく接してくれる裏には何かあるから常に気をつけろ。そう最近、学習したはずだったのに、マスタングは己の下心と迂闊さを悔やむ。

仕事をサボっていたことが逆鱗に触れたのか。


しかも、未開封品を自分が一番に使用したいと思い、新規導入された備品〔強力接着剤・剥が れ ん〕を切傷モドキへ念の為にちょっと塗っていただけに餅のように柔らかい頬は、もの凄いダメージを受けていた。

頬がひりひりと痛む。
それは髭を毟り取られたような感覚だった。

もちろん、いままでにそんなことをされた経験などない。そもそも髭など生やしたことがなかった。
それなのに、身体の一部を持っていかれたような一抹の寂しさがある。
短い間に過ぎないにしろ、共にあったものだからだろう。

いまは、彼女の手のひらの中でぼろ屑になったものを虚ろな目で見つめて、マスタングはそんなことを思っていた。


いまさら終わったことに囚われていても始まらない。少しの侘しさを噛みしめてから、新しい気持ちで現実に戻ろう。
また、別の手を考えればいいことだった。

そうだ。あの手があったな。

「君の言うとおり、野蛮な向こう傷など紳士的な私に似合わないな。これに懲りて、次回は髭を蓄えてみることにしよう」

「どうぞ。私もあり得ないものを見つけ次第。何度でも、毟り取りますからね」

前向きな結論を出したマスタングに対して、ホークアイはにっこりと笑った。
 
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