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□大好きな君が消えた日
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「なまえとだったら、よかったのにな」




藤真は時に残酷だ。私にある一定の信頼を寄せてくれてはいる。けどそれはつまり私達の間にある一定の線引きをしているということなのだ。絶対に揺るがない、否私には動かすことのできないもので。
別れた女の子のことはもういいのかとかこんな終わり方で良かったのかとか、そんなことを聞く権利すら藤真は私から奪い去って行く。
つい先日に別れたい別れたいと女々しく相談してきた時のことなんて無かったかのような態度だ。
けどぼろぼろに疲れきった私は何も言えずに、藤真の言葉を咀嚼して何回も瞬きして。そうして拳を握りしめて。静かに頷くのだ。すると藤真は本当に綺麗に笑ってくれるから。




「……藤真がいいならそれでもよかったかもね」
「急に、何言ってんだよ。変な奴」




冗談で流そうとでもしているのだろうか。流せるとでも思っているのだろうか。私の気持ちはそんなに軽いものじゃない。
どんな思いで藤真の相談を聞いてきたか。胸が張り裂けそうで、本当に死んじゃうんじゃないかってくらい悲しかったのに。
わかってくれなくてもいい。ただそばに居てくれるだけでいい、だなんていい子ぶったことは到底思えるような状態じゃなかった。




「……こんな質の悪い嘘なんかつかないよ私」




わかってるでしょ?と付け足すとそれでようやく、藤真ははっとしたような顔をして静かに俯いた。気づいてしまったんだろう。
恋愛とかそう言うのじゃなくてもいいかな。そんなくだらない事を信じ込んでいた私はここにはもういない。
その歪んだ感情は私の本当の思いを殺そうといつもいつも手を伸ばして。それに抗おうとする意思ごとずるりと飲み込んでしまっていたのに。今は、違った。
藤真は私のなんなんだろう。私は藤真の、なんなんだろう。じっとその口元を凝視していれば、それは怖いくらいに美しく笑みを描いて私をずるずる深みへと引きずりこんでいく。




「それなら、さ」




その先は言わずに、すっと衣擦れの音を鳴らして藤真は私との距離を縮める。私は動けないし、抵抗しようとも思わなかった。体と体が触れそうで触れない、そんな微妙な近さ。
何故か藤真は怯えたような目をしていた。何を今更迷っているのだろう。触れたって構わない、私は藤真には絶対に逆らえない。同時にこんなにも、男女の友情は脆く儚いものなんだと思った。
こんな一言で積み上げてきた関係全部がひっくり返って真逆の方向に行ってしまうのが怖くなって、私は小さく息をついた。




「……何すんの」
「わかんねぇの?」
「……まだ、わかりたくない」
「あっそ」




そうして藤真は私にキスをした。唇がやけに熱い。目を閉じる間もないくらい、あっという間の出来事だった。
好きな人とするそれは心地が良いものだと信じていたのに、実際は酷く重くて苦しくて悲しいもので。私の心臓は早鐘を打つどころか失速していくようで。
藤真が与えてくれた熱は、まだ確かにここに残っているのに。それなのに、心はちっとも暖かくならない。むしろ寂しくなるばかりで。
おかしな喪失感に駆られて、私の視界は涙でゆらゆらと揺れた。お陰で手を伸ばせば抱きしめられる距離にいるはずの、大好きな人の顔も見えなかった。すると、藤真の瞳が戸惑いで満ちていく。
心なしか、藤真まで泣きそうな様子に見えるのは私の目の錯覚だろうか。わからない。その腕に触れてみるとわずかに震えていた。




「……泣いてんじゃねぇよ。こんなんで」
「藤真だって、怖がってたでしょ」
「……うるさい」




ようやく最愛の人と結ばれたのに寂しさで胸が一杯になるのは、もしかしたらあの頃の私達には二度と戻れないと直感的に理解してしまったからかもしれない。
そうして今度は私から一方的に唇を重ねて。藤真の途方に暮れたような顔を一瞥して、これでかつての私達の関係は完全に終わってしまったのだと気がついた。
窓から差し込む赤い夕陽が、目に痛い。藤真は私を抱きしめたまま放そうとしなかったし、私はそれから空に星が浮かび上がるまで藤真の傍から離れられなかった。









大好きな君が消えた日

(暗くて深い)

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