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□笑顔に託した想い
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今すぐ行かなくてはいけない。楓君の所へ。そうはわかっているものの、嬉しさやら驚きやらでいっぱいいっぱいで。
楓君とはご近所さんで、中学の頃までは同じ学校に通っていた。だから楓君のバスケの巧さは知っていたし、高校に入ってからは衰えるどころか益々上達していると聞いて喜んだものだ。
この日が来るのを直感的に気づいていた。ついに楓君は夏の大会の後全日本選抜に選ばれたのだ。楓君がバスケ選手として認められているのは、自分のことのように思えてくるくらい幸せで。
合宿所は神奈川にあるとは聞いているが、少しの間自宅には戻らないらしい。あたりまえのことながら楓君が戻ってこないように思えて。だから私は彼の元へ走った。




「合宿、頑張ってきてね」
「…ん」
「無理しないようにね。あと、人が話してる時は寝ちゃだめだよ!」
「…努力する」




いつものように楓君は私に応える。その横顔が急に大人びて見えた。きっとこの数ヶ月、いやバスケに捧げてきた何年もの時が楓君をこんなふうに変えてしまったんだ。
今では見上げるほどに背が高くなってしまって、目を合わせようとしてもなかなかそれが難しくなってしまった。楓君の靴がじゃり、と地面を踏みつける音が聞こえる。




「楓君、また身長伸びた?」
「変わってない」




声を出すと言う単純な行為だけで、胸の奥が熱くなってくる。じわじわといろんな感情がごっちゃになってこみ上げてくる。長めの前髪から覗く切れ長の目は、誰よりも凛々しく見えた。
成長して変わっていくこと。それは嬉しいのに。どんどん楓君は先へ先へといってしまうのが、悔しいようなにくらしいようなそんな気持ちも確かにあった。楓君に置いて行かれてしまうのが、かなしかったのだ。
隣に居たことすべてが、無かったことのようになってしまいそうで。けれどその気持ちを無視して、私は楓君を笑顔で送り出さなければいけない。幼馴染だからこそ、楓君がどれだけ本気かがわかるから。




「…いってらっしゃい」
「…そんな改まって言うことじゃねーだろ」
「私が言いたいだけ!」
「あっそ」




横目で楓くんの表情を伺うと、心なしか笑っているように見えて。こんな素敵な幼馴染を持ててよかったと、誇らしくなって口元が緩む。
気持ち悪い、と楓君はぼそっと呟いて。そして私の頭をぐいっと押す。思わず痛いと言ったら、煩いと返された。




「なまえ」
「何ー?」
「…サンキュ」




いつにもまして聞こえづらい一言だったけど、私にはちゃんと届いた。合宿から帰って来たら、きっともっと成長した楓君が見れるだろう。
それを誰よりも近くで見ることが出来るのは、ご近所さんそして幼馴染一番の特権なんじゃないかと思う。
さっきまでの寂しさが嘘のように無くなってまるで世界そのものが変わってしまったんじゃないかってくらい、澄んだ空の青が美しく見えた。







笑顔に託した想い

(だから、今はこの思いをしまっておこう)

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