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□心に降る甘雨
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花形先輩は素敵な人だ。私にはもったいないくらいに。
苦手な数学は私が理解できるまで、時間の許す限り教えてくれるし。
私が好きなお店や食べ物…。好みをしっかり覚えていてくれているし。

じゃあ、逆に私は先輩に何が出来るんだろう?



「傘、持ってきてないのか」
「今日は雨になるって、どのチャンネルでも言ってたぞ」



ほら、今だって。私は先輩に頼りっきりだ。ギブアンドテイクの文字なんてどこにもありはしない。
そうは思いつつ差し出された傘の中に入る私。これは最早、不可抗力みたいなものなんじゃないだろうか。


「…」


そのまま何を話すでもなく、二人で下校する。傘にぶつかる雨だけがしとしとと煩く音を立てていた。

こんなのは、私達の間ではよくあることだけど。でも、最近はこの沈黙が何だか物寂しく感じてしまう。
先輩から貰うばかりじゃなくて、私も先輩に何がしたい。その思いは日に日に強くなっていく。

このもどかしい感情をどうにかしたいのに。私はいつも、いつも自分から一歩踏み出せずにいる。



「花形先輩」



聞こえるか聞こえないかくらいの声で、呼んでみる。
素直になれないのは私の悪い癖。自分でもよくわかってる。



「どうした?」
「その…」



優しそうな瞳がまっすぐに私を見つめる。この視線に耐えられるほど、私は丈夫にはできていない。
でも今日こそ。今日こそは。



「先輩は」
「どうすれば、もっと笑ってくれますか…?」



それが精一杯の言葉だった。今の私にはこれくらいしか言えなくて。
雨音は強くなる。心臓の音も。どんどん頬に熱が帯びていくのを感じた。勿論先輩の顔なんて、恥ずかしくて見れるはずがない。



「…!」



少しの沈黙の後、そっと頭を撫でられる。

片手に傘を持ってるのに、器用だなぁ。なんて考えてしまうくらいには頭が真っ白になっている。



「俺はこれで十分だ」
「な…!」
「…なまえは嫌か?」



そんなことはない。すぐに首を横に振る。
むしろ、この程度のことでいいのかと心配になってくる。



「…ただ、これじゃいつもと変わらないなって思ったんです」



私は先輩の一番近くにいられる、特別な権利を持ってるのにその使い方がわからなくて。
いつも先輩は、私の数歩先を歩いている。私ばかりが焦ってる、そんな気がしてた。

年下だから。それもあるだろうけど。でもたまには背伸びして先輩に「自分から」何かしたかった。



「オレは、なまえといられるならなんだっていい」
「だから、その『いつも』を大切にしてくれ」



ふわりと眼鏡越しに見える黒い瞳は、今まで見た誰のそれよりもまっすぐで。

嗚呼、やっぱり私はこの人には敵わない。しばらくはこの距離感で、先輩を頼っていたい。
背伸びなんてしなくてもいいのかな。そんな風に思ってしまうのだった。







心に降る甘雨


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