長編小説

□画竜点睛
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出会い
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――時は少し戻り、徳川の納める江戸時代。

「…参ったねぇ。」


一人の旅芸人が呟いた。薄蒼く、鱗の様な柄の着物を身にまとい、上には濃い蒼の長い羽織を羽織っている。背には琵琶、帯には艶やかな扇子と竹で出来た横笛を差している。

普通に見れば他の旅芸人と何という変わりはないのだが、一つおかしな事と言えば、旅をしているにも関わらず着物や羽織が全く汚れていないという事だ。

男は「龍吟」と名乗っている。だが、その他に男の事を知るものは誰もいない。

…否、本人でさえも分からないのだ。

何故自分は生まれたのか、何故旅をしているのか…知りたい事は山ほどあった。

「…いやぁ、参った。」

また呟く。

「全く、不便なもんだ。」

さくさくと土を踏みながら山道を歩いていく。辺りは暗く、しんと静まり返っている。…しかし、龍吟にとって夜ほど五月蝿いものも無かった。
人影のない山道。その道の奥から妖怪達のギィギィ、ザワザワといった声が聞こえてくる。

宿がなければ野宿をすればいいと思っていた龍吟にとっては妖怪達の騒ぎ声は大きな誤算であった。ため息をつき、足を早めようとしたが、ふと何かに気がつき足を止めた。

――遠くで、水の音がする。

その音はゴオゴオと音を立てて、龍吟の耳に入ってきた。ふと足を止め、音のする方を向く。

「…水返しか。」

水返し、というのは沼や湖、川の守り神である龍神が行う儀式だ。人間どもに汚され、清さを失った水を流し清める儀式であり、その一方で人間どもに罰を与えて間違いを正すという意味もある。

―しかし、この近くで行われている儀式は、それを越えた激しさだ。

「直しようがないくらい汚したか、はたまた水路を変えたのかな?」

濁流の激しい音は留まる気配が無く、更にさらに激しくなっているように思えた。


ふと、濁流の原因である湖に足を向けた。激しく流れる水の上、白く長い衣を着、髪を逆立てた龍神がいた。端から見れば怒っているようにしか見えない顔も、龍吟には哀しく、泣きそうな顔に見えた。

そう、本当は龍神だって人を殺したくはない。しかし、これは自然の掟。水返しをしなければここの自然が壊れてしまう。それに、水返しをする事で人間達に自然を汚すとどうなるかを思い知らせねばならない。
…最も、この勢いならば、生き残る人間などはいないだろうが。


少し経ち、やっと水が引いた頃を見計らって龍吟は「元」村があった場所を訪れた。
そこら中に散らばる家であった木材。人は全て水に飲み込まれ、跡形もなかった。龍吟は木材を足でかき分けながら歩いた。

「おにぃちゃん」

ふわり、と風に乗って後ろからやわらかく幼い声が聞こえてきた。びくり、と体を固まらせて龍吟が後ろを向くと、齢五歳位の女の子が立っていた。赤い振袖、綺麗に結われた髪には淡い青の簪。

――生き残りか?龍吟はちらりと嫌な顔をした。そう、龍吟にとってヒトの生き残りというほど面倒くさいモノはない。特に子供だからややこしい。泣くと五月蠅いし、世話する事になっては堪らないからだ。

気づかないフリをし、さっさと歩きだす。後ろからはついてくる足音。眉間に皺を寄せ、足を早めた…その瞬間。

「おにいちゃん!」
と声が飛んできたと思ったら、自分の体が前にぐらりと揺れ、倒れる。思わず
「いでぇっ!」
と叫ぶと笑い声と共に「ごめんね」という声が背中から聞こえた。
眉間に皺を寄せながら、龍吟は自分の背に乗っている少女に目をやった。
「おにぃちゃんは、旅の人なの?」
「…あぁ。」
「やっぱりね、この辺りでは見かけない顔だと思った!」
龍吟は怪訝な顔をする。子供だとて、自分にこんなに親しく話しかけてきた奴は居なかったからだ。
「おにぃちゃんは、何で旅をしているの?」
「えっ……す、住む場所がないから。」
「ふぅん?」
少女は尚もニコニコとしながら話している。龍吟は首を傾げた。
「お前は、この辺りの村の者かい?」
「え?うん。…というより、ここが私の村だよ?全部流されちゃったけど…。」
話せば話すほど、龍吟には訳が分からなくなってきた。全て流された、と言うならば、何故此奴はこんなに笑ってられる?ぐるぐると疑問が頭を駆けめぐっている時、少女がまた口を開いた。
「村が無くなっちゃったから、私には住む場所がないの。おにぃちゃんと一緒なんだ。」
だが、その言葉は龍吟には聞こえていなかった。
「だからね?」少女が龍吟の長い髪を引っ張った。その衝動で、龍吟はやっと我に返った。
「いっ!何…」
何だって?と言おうとした龍吟の言葉を遮り、少女は笑顔で言った。
「私も一緒に、旅に連れてって!」
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