道化の限界

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「ただいまー。」

違う仮面につけ直して私は家に入った。
夕食の支度、母の諸々の介護を済ませ父が帰って来たので部屋に戻った。
そこでやっと息をついた。今は誰に気に入られる必要は無い。
何もしていないとどうしようもないことを考えてしまうので勉強をすることにした。
しばらくすると集中が切れたようで微かに母と父の会話が聞こえてくる。
聞きたくない。
そう思った時、携帯が鳴った。メールが届いたようだ。
ジャンからだった。

「明日雨が降るってよ。朝合羽忘れんなよ。」

全く想像しない内容で驚いた。

「わざわざありがと!…ジャン親切〜」

ポチっと返信を送る。なかなか返ってこない。
勉強に戻って10分くらいした頃返信が届いた。

「メールしないとお前忘れそうだから」

私の作り上げた少し抜けているキャラはしっかりと機能しているようだ。
…あぁメールが疲れてきた。
苦手だ。この顔が見えないものは。相手が見えなくてひどく不安になる。

「確かに忘れてたかも(笑)じゃあまた明日」

そう切り上げて携帯を放り投げた。
しばらくして返信がきた。

「おやすみ」

その時煩わしいメールに何か違うものを感じた。胸が高鳴った。
久しぶりにみたその言葉がどうしようもなく懐かしい。
メールから目が離せなかった。



ジャンに言われた通り合羽を持って家を出た。
空はどんよりとしている。まだ雨は降っていない。
自転車に乗って学校に向かった。
駐輪場には同じクラスの女の子が居た。
おはよう、と言おうと口を開くと少し困ったように顔を背けられた。
傷付かない自分の心が本当に嫌いだ。
オートの道化が発動した。

「おはよう。暑いね。」

「う、うん。おはよ。」

「なになに?なになに冷たいじゃない〜あらやだわぁ〜。」

「口調!もう空は朝から…。」

その子は困ったようにまた笑った。

「えへへ。オカマ口調好きになっちゃって。じゃあ後で〜。」

一緒にクラスに行くとその子まで睨まれかねないので一人で教室に向かう事にした。
階段を上っていく途中で後ろから声をかけられた。

「よう。」

振り返るとジャンが居た。背が高いな、なんて今更なことを思った。

「あ、ジャン。おはよー。ちゃんと合羽持ってきたよ。」

「あぁ昨日メールしたなー。」

「うん。…私ってそんなに抜けてる?」

「なんつーか時々変に心配になる。」

その言葉は心の深いところを探しあてられたような気がした。
変に心臓が跳ねた。

「そうなんだ。…ジャンは頼りたくなる人だよね。」

「そうか?」

「判断力がすごいって部活の時よく思うし、今横に立ってるとそう思う。」

目を見つめて笑った。
ジャンの耳が少し赤くなる。対応はこれでよかったようだ。

「…おう。じゃあまた後でな空。」

ジャンは自分の教室へ向かっていった。
名前を呼んでさらに赤くなったジャン。
その誰かをまっすぐ思う気持ちが愛しい。
なんでよりによって対象が私なんだ。私はきっとうまく返せないし…
きっとジャンを愛せない。

「柊木早く教室入れ。遅刻にするぞ。」

後ろから予期しない声が聞こえて死ぬほどびっくりした。

「先生…おはようございます。」

目を合わせないように会釈して教室に入った。
スーツと白いシャツが整った顔立ちをさらに美しくみせていた。
なによりその目が魅力的で、同時に怖ろしい。
今私の心を見透かされてしまったら…付き合っているのに愛せないと知られてしまったら
こんな欠落を見られたら生きていけない。

席につくといつも通りの日々が始まった。
だがもう授業はなくテスト返却と大掃除だけだ。
満点の答案用紙を10程返却され、掃除になった。
いつもは点数を聞かれ反応に困るのだが聞いてくる人がいなくて安心した。
…また実感した。私は信用という概念が無いらしい。

掃除の分担がされている。
露骨に仲間外れにはされたくない。これ以上醜い心を見たくない。
まあ無理か。

「柊木…お前は俺の雑用だ。」

と思っていたら一人先生直々の雑用になった。
クラスの雰囲気を察したらしい。…よく見ている。感覚の鋭い人だ。
だが先生と一緒に行動するのと仲間外れにされるのでは恐怖が先生の方が勝る。
道化を見破られている私はどうすればいいか分からなくなる。

「開始だ。とっとと始めろ。」

その言葉でみんな机をがたがたと運び始めた。
あの口調でみんなに好かれているのだからすごいといつも思う。
机を運び先生のいる教卓へ向かった。
一歩先生に近づくたびに耳鳴りがひどくなる。
怖い。見ないで。見ないで。怖い。
けれど道化が動き出す。

「先生なにすればいいですか?」

筋肉がこわばっている気がする。けれど無理やり笑った。

「…掃除用具を職員室まで取りに行く。付いて来い。」

「はーい。」

「てめーら掃除終わったら各自帰っていいぞ。だが塵一つ残すんじゃねえぞ。」

「先生無理です!」

クラスの男子がみんなの心を代弁した。

「うるせえやれ。」

「…はい。」

ああ哀れ。
そんなことを思いながら私は先生の二歩後ろをついて行った。

職員室につくと先生は奥の小部屋に向かっていく。
ちょ、ちょい、ちょい、面談とか二人っきりとか本当に無理です。ホントマジ無理。
無理もたない。無理だよー!!
なんて思いは届かずに奥の小部屋についてしまった。

「入れ。」

「し、失礼します…。」

机と古いソファ、新聞。なんとなく紙の匂いがする。
バタンと扉が閉まる。痛いほどの静寂が満ちた。二人っきりである。

「そこに座れ。」

「あ、はい。失礼します。」

先生は私の正面に座った。視線の置き場に困り机を見ていた。

「面談の理由に心当たりはあるか。」

「…クラスの人間関係、ですか?」

「そうだ。」

おそるおそる前を見ると先生は私をまっすぐ見ていた。
見透かすようではなく心配をするように。
意外で視線が外せなくなった。

「なぜあんな状況になってんだ?柊木はそんなことされる嫌な奴じゃねえだろ」

その言葉があまりにも強い衝撃だった。表情全てを失ってしまいそうになるほど。
…道化が見破られていないのか?
それは喜ばしいことのはずで、だが喜びはなくただ衝撃だった。
自分の心が分からない。

「…私は嫌な奴ですよ。」

あ、しまった。道化が剥がれた。
急いで道化をつけなおす。

「あんなことしてくる某女の子の方が嫌な奴だと思いますけど!!
聞いてくださいよ、超くだらない嫉妬ですよ。私に好きな男とられたからって…」

事のあらましを話した。
道化を張り付けて踊った。見破られていないのなら問題ない。

「どう思います先生!」

「そりゃあ大変だな。」

「…適当ですね、随分と〜。」

拗ねたようにそう答えた。
先生の反応は予想通りだ。順調である。

「柊木にそれだけ元気があんなら乗り越えられるだろう。」

予想通りだ。
…でもなぜか胸がざわつく。道化の内側の本心が少しずつ温度を失っていく。
理由は分からない。

「ありがとうございます。話してすこしスッキリしました。」

今度はしっかりと笑えた。
完璧だ。なのになぜか苦しい。

「そうか。…掃除に戻るぞ。」

「はーい、道具持って先教室戻ってます。」

私は席を立った。
なぜか苦しくて辛い。ここに居てはいけない気がした。
道化がもう剥がれてしまいそうだった。

「しつれいしましたー。」

先生の視線を避けて私は職員室を出た。

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