狭間

□十四話
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ピンポーン、という間抜けな音が扉の向こうから響く。
どこにでもありふれた家族向けのマンションの一室に、神木とその息子は住んでいるらしい。
自分に娘が居ること、自分に姉がいるなど忘れた顔で。

「…やあリヴァイ。その顔はばれちゃったかな〜?」

なんのためらいもなく開けられた扉の向こうには馴れた顔があった。
神木というこの男は黒服、俺は運転手としてよく顔を合わせていた。
時々こいつの送迎もしたことがあるが、全く悠と似ていると思ったことは無かった。
悠から資料を渡され顔と住所を見た時に信じられなかった。

「いつになく喋んないね〜、なに怒ってんの?俺が神木悠ちゃんのこと放っておいてるから?
…父親、なのに?」

そいつの口から出た「父親」という単語と蔑む目に鳥肌が立った。

「いや、そんなことは知っていた。
だがお前が俺にばれたことは確かに一つあるな。お前が…」

口の動きだけで「潜入捜査官」と伝えると神木の表情から余裕が消え、俺を中へ引き込んで扉を閉めた。

「脅迫しに来たのか。」

「物分かりがいいじゃねえか。」

「何が欲しい。何でもする。だから組織にはばらさないでくれ、頼む。」

黙ったままで見上げていると、また口を開いた。

「やっと手に入れた幸せなんだ。もう組織も抜けるし、組織に損害も与えない。だから頼む…!」

頭を下げたつむじを見ていた。親の顔をしていた。
その欠片でもいいから悠に与えたのならあいつは救われたのだろう。
心中に感傷的な思いが渦巻いたが封をした。

「じゃあ取引だ。」

机につき、取引は始まった。
俺の要求した銃器の横流しと、組織のトップ達の予定を事前にこちらへ渡すことを神木はすぐに受け入れた。

「銃はそれだと分からないようにあの金髪の悠のお客さんの家に届けておくから取りに行ってよ。」

「…どうしてあそこに。」

「え?君とあの人友達でしょ?同時期に悠の所に現れたし、昔馴染みかと思ってた。
ふーんバレちゃヤバいことなの?」

「その推察が間違っているからばれるもクソもねえよ。」

「そういうことにしておくよ。」

それから細々としたことを確認した。
休憩のために自分で入れたコーヒーを神木は飲みながら、窓の外を見ていた。

「…あいつも変わったんだ。」

不意に独り言のように呟いた。
その目は、自分でも感情を持て余すような鬱屈した目だった。

「だれの話だ。」

「神木悠…まあ都合のいい話だけど俺らの事売らないと思ってたんだよね。
よく考えれば、弟をあの女から引き離して俺にくれたのも俺の弱味を握るためなのか。」

ゆっくりと目がこちらを向く。
苛立ちと悲しみが見てとれた。

「完璧だねえ。本当に怖い怖い。」

笑ってはいたが、顔がこわばっていた。

「誤解のないように言っておくが、悠がお前が警察だと俺に言ったことは一度も無い。
お前が警察の犬だと組織にばらされたくなければ、お前の資料を出せと悠に要求したに過ぎない。」

俺はこいつの悠への妙な信頼。この裏切りを受けたかのような悲しみを家族の情と解釈した。
家族の情が残っていることに、安堵した。

「いいか最後の要求だ。神木悠を保護しろ。何があっても。」

神木の顔はひきつっていた。だが俺は家族の情を信じることした。
…俺には居ねえから分からねえが、相当これは強いということを知っている。
部下の終末の時の言葉、死んだ部下の遺品を受け取った親の表情が何人も頭に浮かんだ。

「お前に、選択肢はない。」

その時扉が開いて一人のガキが入って来た。

「ただいま!…ぁ、こんにちは。」

「あ、ああおかえり!ちょっとあっち行ってろ!」

父親の顔をした神木はそのガキを抱き上げた。
抱きあげられたガキの顔が焼きついた。その顔は悠に似ていて決して悠はしない表情をしていた。
甘くぬるい空気がこの部屋にそのガキが居るだけで満ちることを知った。

「それには及ばねえよ。俺はもう帰る。」

「ああ、そう!うんバイバイ!」

ハッキリと分かるほど嬉しそうに神木は手を振った。
玄関に向かうと神木もついてきた。お見送りしてくれるらしい。
靴を履いて向き直ると目が合った。

「なぁリヴァイ。リヴァイって何歳?」

「24だ。」

「そっか。…若いなあ。うん、若いねえ。…じゃあね、ばいばい。」

苦しそうな顔をする。その顔はどこか悠に似ていた。



ぬるい空気など悠の居る家には漂っていなかった。
抜け落ちた空間だ。色々なものが足りていない。寂しさだけが満ちている。
抜け落ちた顔で悠は笑う。

「おかえりなさい。」

つい抱き上げてしまった。
耐えきれなくなった。このまま孤独を見せつけられるのは。
俺が満たせるのなら満たしたい。孤独を埋めたい。
残り少ない時間でもたとえニ度と会う事はない関係だとしても。
こいつの父親と会い、弟に会い孤独を深く思い知った時の衝動が尾を引いていた。
本当はもっと前から、俺が悠の寂しさを消してやりたかったのだ。
中途半端に言い訳をして入り込み過ぎないようにしていたのは、俺がこいつと離れがたくなると知っていたから。
だがもう抱き上げてしまった。…さっき海で引きとめた時点で覚悟すべきだった。
俺の持てる全てをこいつに。
自分の目線よりも上にある悠の少し戸惑った目を見つめた。


腐ったような鼻につく匂いが風と共に吹きつけている。
べたつくようなその風が身体にまとわりつきひどく不快だった。
一体ここはどこだ。目を開けてみても何も見えない。
ただただ腐った臭いだけがする。ザザァと孤独な音がした。…ああ、ここは海か。
そう思うと真っ暗な空と黒くうねる海が目の前に現れた。
既に俺の足首は海水に浸かっていた。やけに水が重い。
視線を足から正面に戻すとずっと先に白いシャツを着た姿が見えた。
何を考える間もなく走り出した。どうして走り出したのか、何をしたいのかなど自分でも分からなかった。
俺は何かを呼びかけ叫んだが俺の耳には自分の声が聞こえない。

「ああああああ!!」

聞こえるのは少女の絶望した叫び声だけだった。
水が重く前に進めない。ひどく焦り苛立ちが募った。
俺はまた何かを叫んだ。それも全く聞こえないようだった。
ただ必死で進み、少女の腕をつかんだ。腕は濡れていた。そのまま抱き寄せると酒の匂いがした。
その少女の顔は血に濡れていた。
絶望したその目は黒く、何も映っていなかった。


跳ね起き自分の状況を確認した。
べったりするほど冷や汗をかいていた。
…夢か。夢とは思えないほど嫌な感覚と匂いだった。
横を見ると悠の姿は無かった。ゾワリと鳥肌が立った。
いつもならもう起きたのかと思うだけだが変な夢を見たせいか嫌な感じがした。
寝室を開け居間を確認するが姿は無い。台所にも居ない。

「ッチ…。」

無意識に舌打ちし周りを見渡すと洗面所の扉が不自然に開いていた。
そこに悠は居た。倒れていた。
頭を最悪なことがよぎったが肩が大きく上下していたため違うと分かった。
熱を出したか。昨日の冷たい海が悪かったのだろうか。
身体を反転し抱き上げようとすると悠が目を開けた。

「意識はあるな。」

「…リヴァイ、さん?」

その目は一体何を見ているのか、俺が見えているのか分からないほど焦点が定まっていなかった。

「ああ。…動かすぞ。」

そう言った時にはもう目は閉じていた。
抱き上げた身体は想像よりも熱が高く震えていた。
布団へ寝かせると少しだけ目を開けた。

「…さ、む」

「…寒いか。」

生憎この家には布団が二枚しかない。
どうすればいい。視界には小さい悠の姿が見えていた。

「大丈夫、です、寒くないです。」

苦しそうに笑って悠は言った。
こいつは頼ることを知らねえなぁ。
…俺も知らないか。

「こうすりゃ寒くねえだろ。」

同じ布団に入り暖めることにした。
悠は驚いた顔をしていたがすぐにクスクスと笑いだした。
人の腕を掴んで、それから目を閉じた。
掴んでくる手は小さくひどく熱かった。こんなに柔らかで脆い感じのするものだと初めて気がついた。
早く元気になってくれ。俺はこんなに脆いもの扱えやしない。
悠を撫でる自分の手はぎこちない。俺は戦うための手しか持っていない。


悠が完全に眠ったことを確認し、布団を出た。
携帯電話に入っている医師の電話にかけた。

「はい。」

「俺だ。うちのガキが熱を出した。薬持って今すぐ来い。」

「はあ?リヴァイか!あのさぁ俺は医者だけど、刺し傷とかラリちゃった人用なの。
そういう係じゃないの。近所の病院行きなよ。」

「うるせえ。お前のとこの奴に、こないだ出張って言って行った場所ばらすぞ。」

「勘弁してよぉ!!あーもう運転なんて頼むんじゃなかったよ!!はいはい、分かりました。行きますよ。」

すぐに電話は切れた。
たちまち周囲から音が消えた。
呼吸音までも聞こえなくなり襖をあけ、悠の胸が上下しているのを確認した。
そのまま柱に身体をあずけズルズルと床に座り込んだ。
こんな風に寝顔を見ていた時があったな。
あれは初めて会った時のことか。どうして俺はこいつの寝顔から目を離せなかったんだろうな。
俺にあまりに警戒心を持っていないから不安になったからだろうか。
いや違ぇな。あの時俺は面白いと思ったはずだ。
信仰に近い信頼ではない、見返りを求めない信頼が心地よかったのだ。
もうあの瞬間からか。
頬が自然に上がった。自然な笑い方を久しぶりにした。


「…ヤバい客に当たって、ヤバい薬でも飲まされたの?」

やってきた医者は悠の顔の痣を見て思いっきり顔を引きつらせた。

「効く薬あるか分かんないよー、最近のはマジヤバいんだから。」

「痣は学校のセンセイにやられたやつだ。客じゃねえ。」

「はー先生が。世も末だねぇ。…うん、薬は飲まされてないみたい。」

匂いを嗅いだそいつはそう判断した。

「匂いで分かるのか。」

「大体はね。今流行のやつは独特の匂いがするし
…これ妙に流行してるんだよね。多分神木さん所が意図的に流してるね。
マジであれはヤバいから絶対手出すんじゃないよ、リヴァイ。」

「使う方には興味無ぇよ。…流してる奴には興味あるがな。」

「あぁ悠ちゃんのお父様だから?知らないだろうけど前からあの人時々こういうことするんだよねー
あいつも危ないから手出しちゃダメだよ。バックが大きいから。」

「そりゃ忠告どうも。」

「…本気だよ、リヴァイ。俺お前のこと気に入ってるんだ。
お前いい奴だから。だから消されたりしたら嫌なんだ。」

返事を求めているようではなかったので黙っていた。
そいつも黙々と悠を診察している。…悠は眠り全く目を覚まさなかった。

「んー多分風邪。疲れてるみたいだからよく寝たら治るでしょ。」

「そうか。」

布団をかける仕草を見るとそいつも医者らしく見えた。

「悠ちゃん、よく大きくなったね。」

「これでか?」

「うん、これで。
…じゃあこれ薬。大体これで治るはずだから。」

「呼びつけて悪かったな。」

「悪かったなんて思ってないでしょ。」

笑いながら立ちあがった。その医者は俺より10は上だろうか。30半ばくらいに見えた。
せめて玄関までは見送ろうと玄関まで付いて行った。
玄関には見覚えのない紙袋があった。
俺の視線に気がついたのか、そいつはそれを掴んだ。

「あ、ついでに風邪に効く料理の作り方と材料もあげようと思ってたんだった!
はいこれどーぞ。最後のおまじない絶対やらなきゃだめだからね。」

やけにいい顔をして紙袋を押し付けてきた。

「あぁ…助かる。」

「どういたしまして。じゃあね〜。」

バタンと扉が閉まった。
直感だがもう二度と会わないような気がした。


紙袋には米や野菜、水まで入ってあった。
そして作り方と小さなメモが入っていた。

『やあ、いつこれを君が読むんだろうか。まあいつでもいいんだけど。
几帳面な君だからきっと僕が居なくなって1時間以内には読んでいるだろうね。
正直さっき君から電話があって肝が冷えたよ。もしかしてバレたのかってね。
俺たちは消える準備をしていたんだ。そして今準備は整った。ニ度と君の前には姿を現さない。
最近は組織がきな臭い。近いうちに大きな改変、抹殺が起こるはずだ。
それに巻き込まれてやる気は欠片もないから俺たちは逃げる。
リヴァイ、君も逃げろ。神木悠は可哀想だけど置いて逃げろ。
その存在を助けることは不可能だ。多方面の機密を知りすぎている。
…一番近い所にいる君はそれくらい分かるだろう?どうか自分を大切にしてくれ。』

読んだ瞬間に紙に火をつけて燃やした。
誰も悠に近づかないから、誰も知らないことがある。
柱にもたれかかりながら悠の寝顔を覗いた。
ただのガキなんだ。愛され方も生き方も知らない子供。
誰も近寄らない故に誰もそのことに気がつかない。
神木悠という邪魔な存在にしか誰の目にも写らない。
誰もその存在を作り上げたのは誰なのか知ろうともしない。
どうしてこうなってしまったのかさえも、知ろうとしない。
側の大人がこうなるように悠に要求したからだ。
敵の情報を得るため、効率よく金を稼ぐため、こうなるよう要求したからだ。
要求に答えた悠が求めたものはたった一つ。
「自分を愛してくれ」それだけなのに、どうしてこうも上手くいかねぇ。

「生きるのがヘタだなお前は。」

悠の乱れた前髪を直した。
悠が軽く微笑んだように思えた。

熱が下がるのと同じようにして顔の痣は薄れていった。
そして4日後の朝、悠は目を覚ました。
焦ったような顔をして飛び起きてきた悠を見てひどく安心した。
軽く飯を作ってやると爆笑しやがったが、そのコロコロ変わる表情の変化が落ち着いた。
もう大丈夫だろう。

「少し出てくる。」

「はーい。気をつけてくださいね。」

「おう。」

玄関の外に出て、軽く息を吐く。
最後のあいつのためにしてやれること。
銃を受け取るため、金髪野郎の寝床へ向かった。

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