狭間

□十一話
1ページ/1ページ


朝になったら顔の腫れは引いたけれど綺麗に青痣に変わっていた。
唇の右側に青く花が咲いているみたいだった。
今の自分の顔が嫌いじゃなかった。この顔なら仕事に出なくて済む。
あ、私仕事嫌いなんだ。今気がついた。
傷の痛みを感じながら顔を洗って洗面所を出た。
リヴァイさんは起きていてコーヒーを飲んでいた。

「ツラ、ひでぇことになってんな。」

「そうですか?なんか綺麗じゃないですかこの痣。」

「全く。痛々しい。」

あれれなんだか機嫌が悪いようだ。怒ってる?
なにかしたっけか、何もした気はないけれど。
もうリヴァイさんは視線をこっちには向けていなかったのでそろそろと部屋に戻って着替えた。
いつもは腕まくりをしているけれどまくると痣が目立ってしまうのでそのままにした。
寝室を出るとリヴァイさんと目が合った。
あ、ヤベなんか分かんないけど完璧に怒らせたかもしれない。

「行くのか、学校。」

「はい。平日ですから。」

「昨日の今日だ。担任が何してくるか分かんねえぞ。」

それもそうかもしれない。
昨日追い詰めちゃったから今日こんな顔した私が学校に行ったら自分の行いがばれるのを恐れて…
ってこともあるかもしれない。

「何されても私は大丈夫ですから。」

大丈夫。そう思って笑った。
次の瞬間なぜか目の前にはリヴァイさん越しの天井が見えた。
なんかデジャヴ。

「その傷痕から考えると、マウント取られたな。
で、どうされた。」

なんでそんなことを聞くんだろう。
まあいいか。

「そこから腕おさえこまれて殴られました。」

「そうか。思った通りだ。」

リヴァイさんの目は静かに怒っているようで怒りで目が輝いていた。
私はその拳を振り下ろされるのを黙って見つめていた。
鈍い音がした。拳が畳に思いっきり振り下ろされた。痛そうだった。

「…なぁ悠。どうして避けようとしねえんだ。」

「なんとなく、ですかね。」

「恐怖はねえのか。」

私は自分の感情が把握できない。
だから正確かは分からないけど恐怖するのは一つだけ。
リヴァイさんが居なくなること。
けれどそんなこと言ったら優しいリヴァイさんは戻りにくくなってしまうから言わない。
…それにリヴァイさんは私を本気で殴るなんてないと確信していたから。
恐怖はなかった。

「ありませんよ。」

そう言って笑った。
リヴァイさんはなぜだか苦しそうな顔になってしまった。
返答がまずかったのだろうか、でもどうやって答えればいいのだろう。

「あのリヴァイさん、手大丈夫ですか。すごい音しましたけど。」

自分の横にあったリヴァイさんの拳を私の手で包み込んだ。
第二関節辺りが少し赤くなっている。けれど折れてはなさそうだ。よかった。

「大丈夫みたいですね。痛くないですか?」

もう一度見上げたリヴァイさんはさっきよりも苦しそうだった。
どうしたんだろう、痛いのかな。なんでだろう。
この時初めて私は人の心を理解したくなった。
リヴァイさんは私が撫でていた手を開き私に向かって伸ばした。
少しびっくりしたけれどその手は私の頭に行きついて頭を撫でられた。
前髪が乱れて前が見えない。

「悠もっと自分を大事にしろ。他人なんてどうでもいいだろう。まず自分のことを考えろ。」

それって人間としてどうなんだろうと思ったけれど、私は今かなり自己中心的だった。
どうしてこんなに私は私のことを大切にしてるのにそんなことを言うんだろう。

「そんな風に自分をガラクタみたいに扱うな。」

声が微かに震えていた。
昨日の担任の姿が浮かんだ。
けれど昨日のように傷付けてやろう、とは思わなかった。
ただただ申し訳なかった。自分は十分自分の事を大切にしているのに。
リヴァイさんの苦しさが理解できなかった。それが少し辛い。

「…どうしてそんなこと言うんですか?私大切にしてますよ自分のこと。」

「してねえだろ。さっきだってお前震えてたぞ。行きたくなかったんだろう。どうしてその感情を無視するんだ。
仕事の時もそうだ。なにも感じないような顔してずっと拳を握っていやがって。だから手にマメができている。」

手を開かされ見ると確かに固くなっていた。知らなかった。

「気がつきませんでした。」

「少し見ていたら誰でも気がつく。」

「それが誰も気がつかなかったんですよ。」

少し自分で笑ってしまった。嘲笑って奴かな。
それを見てリヴァイさんはまた苦しそうになってしまった。
分からない。何が苦しめているんだろう。
原因を探ろうとリヴァイさんを見つめる程苦しそうになっていく。
私はただ微笑みを浮かべていた。それ以外にどんか顔をすればいいのか分からなかった。

「…お前には生きる気がないんだな。」

どうなんだろうか。生きるには障害が多いことを知っていたし
消されるつまり殺されることも分かっている。
そしてそれに抵抗するつもりもない。…生きる気がないってことかな。

「そうかもしれないですね。」

私は笑った。
リヴァイさんはなにも言わなかった。
しばらく視線が交差した後リヴァイさんは立ち上がった。

「なぁ悠。…どこか行きたい所はあるか。」

リヴァイさんを見上げると怒りは消えていたようで安心した。
それと同時に無意識に言葉が出ていた。

「海に行きたいです。」

私は実は海に行ったことがなかった。私は行きたがっていたようだ。
なんでか微かにリヴァイさんの雰囲気がやわらかくなり嬉しくなった。

「そうか。行くぞ。」

「へ?今からですか?」

「あぁそうだ。来い。」

リヴァイさんの手には車の鍵が握られていた。

「…いつ車なんて買ったんですか。」

「買ってねえ。…もらった。」

そう言った目は何も聞くなという威圧感に満ちていた。
これは脅し盗ったのかしら…。
少し楽しくなって笑った。


風が強かった。腐ったようなでも嗅ぎたく潮の匂いがした。
色の薄くなった秋の空と波の白さが目に焼きついた。
季節外れの海に人はいなかった。
さらに場違いなことに学生服とスーツという姿で海を見ていた。

「大きいですね。」

「そうだな広ぇな。」

「変な匂いしますね。」

「そうだな。」

砂浜の端のコンクリートの階段に座りながら海を見ていた。
そのため、少し海が遠かった。

「せっかくだからちょっと海触ってきます。」

靴下と靴を脱いで私は海に歩いていった。
砂は冷たかったけれど気持ちが良かった。
海水が足元に少し届く。海水はとても冷たかった。
まっすぐと前を向くと水平線が見えた。青というよりは灰色に近いような海と空だった。

「それ以上いくと危ねえぞ馬鹿。」

リヴァイさんの声がして思わず振り返った。リヴァイさんは波打ち際にいた。
海水は膝ほどまでになっていた。知らないうちに前へ進んでいたようだ。

「てっきり、階段で待ってるのかと思ってました。」

「そんなに俺は薄情じゃねえ。」

「…待ってても薄情だなんて思いませんよ?」

「お前そういう男は薄情だ。間違いねえ。絶対そういう男と付き合うなよ。」

「付き合いませんよ。」

軽く笑ってもう一度海の方を振り返った。
地球の7割は海というのが分かるくらい広い。どこまでも果てが見えない。
なにもないどこか酷薄な感じに落ち着いた。

「悠。」

ひどくリヴァイさんの真剣な声がした。
振り向くと声以上に真剣な顔をしていた。

「こっちに戻ってこい。」

まっすぐな目だった。ピントが合うように私もまっすぐに見つめあった。
私はゆっくりと笑ってリヴァイさんのいる波打ち際に戻った。



世界は広いというのは本当らしい。
灰色の水がどこまでも広がっている。
先が見えない。ひどく自由で、死に近い。それが俺が見た海だ。

海を見たいと笑った悠は死に惹かれているのだと今悟った。
ゆっくりと海に吸い込まれるように悠の背は小さくなっていった。
俺が親だったならあいつを無理やり止めて構わないのだろう。
一生側にあり続けるのだから。
俺は親ではない。…ただのいつか出て行く同居人だ。
悠はこれから一人で生きていく。俺は側に居ない。
だから自分で止まるしかない。

「それ以上いくと危ねえぞ馬鹿。」

振り向いた悠はどこを見ているか分からない幼い表情をしていた。
その顔についた痣が痛々しく腹立たしい。
一言二言話したが変わらずぼーっとしている。
そしてまた海の方へ向き直った。
ゆっくりと確実に悠の身長は小さいなっていく。
このまま死んでしまう方があいつは楽なのかもしれねぇな。
俺はあいつをどうしてやればいいのか朝分からなくなった。
ここで死ねば、もうあいつの父親が弟と仲良く暮らしてる光景を見なくてすむだろう。
ここで死ねば、実の母親が心底自分を恨んでいると知らずにすむだろう。
ここで死ねば、使えない年になった頃殺されることもないだろう。
だから自分で止まるまで俺は何もしない。
一歩でも止まればすぐに捕まえに行く。一歩でも。
ギリッという音がした。
自分の歯ぎしりの音だった。
悠の姿はさらに小さくなっている。
頼む止まってくれ。

…っち。

「悠」

振り返った顔とゆっくりと目があった。
表情が現われた。

「こっちに戻ってこい。」

そう言われて初めて気がついたように自分の居る場所に驚き、そして笑った。
ゆっくりと悠は近づいてきた。

俺は悠のためになにが最善なのかはもう分からねえ。
だから俺は俺の願望を叶えることに決めた。



「なあ、お前の未来を邪魔する奴ら全員殺してやるよ。」

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ