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□愛しと想ふは君ゆへに
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聞こえる音は一つだけだった。
雨に打たれながら、風が木々を揺らしながら。
その中心に立ち尽くしながら、それでも聞こえる音は一つだけ。


この心臓の鼓動の音だけだった。
何かを守るために使いたいと願った、命の音だった。





立ち尽くし待つことはすなわち死を意味するというのが決して過言ではない時代があった。
各地で腕立ちが名を上げ、本土を食い尽くす勢いで暴れる者は数知れず。


これは、そんな時代の和泉を舞台とした物語である。





見上げれば憎らしくなるほどの快晴で、飛んでいる鳥は雲と重なってしまっていてよく分からない。
あまりに遠すぎて全くその姿が掴めないのだ。
ただ分かるのは、鳥ということだけ。
そのくらい朧気な鳥の姿を頬杖をついて眺めながら、普段着の和服に身を纏った男はため息をついた。
それが何に対してのものかははてさて定かには分からないが、なんとなく察しがつく。
だからそれを横で見つめていた白石は、その男の頭を軽く小突いた。


「いてっ…何すんねん、白石」


小突かれたほうはというと、不機嫌そうに顔を顰めて隣に座って小突いてきた白石を睨んだ。


「怖いなぁ謙也、眉めっちゃ寄ってんで?」


「うっさいわ、向こう行っとれや」


話すことなんざ何もない、今はただ一人でいたい。
そう言わんばかりに視線を再び空に戻す謙也に対し、今度は白石がため息をつく番だった。


「なんやねん、忍びとしての仕事頼もうて思うたんに」


「へぇー、そりゃお疲れさん」


忍び。
その言葉を聞いてまた謙也の眉間に皺が僅かに刻まれた。
謙也は幼い時から忍びとして育てられた。
別に望んで忍びになりたかったワケじゃない。
そんな物騒なものより、薬売りとか漢方医とか、人を救える者になりたかった。
だが家の血筋はそれを許さず、血の滲むような無理難題な特訓を押し付けられ、今に至る。


「そないな冷たいこと言わんといてや、速星の異名持っとる奇跡の忍びさん」


「黙ってくれへんかなぁ、才色兼備で農民からの信頼も厚い完璧な主様」


売り言葉に買い言葉、謙也が忍びと呼ばれるならこの白石という男は謙也にとって仕える主だ。
齢十五でこの地域一帯を治める身になってからもう数年。
ここまで長く土地を治めることは難しく、これは白石が農民や役人に信頼されてこそのものだった。


「完璧やないよ、そういうふうに取り繕っとるだけや」


くすくすと可笑しそうに笑いながらも、彼が目指しているのは本物の完璧だ。
完璧を求め、一つ得るたびにそれに近づく。
究極限までそれに近づくことが、白石の人生における目標だ。
だから彼も、この戦国時代において揺るぎない強さを誇る者の一人だった。
理由は至って単純明快、誰よりも完璧であるべく。


「……で、依頼って何?」


いい加減このどうでもいいやり取りが面倒になったのか、諦めたのは謙也のほうだった。
いつまで経っても物事が進まない、それじゃ話にならない。
この謙也という忍びは、遅いということが大の苦手だった。
それを承知の上で白石もあの会話を続けていたと知ったら、おそらく隠し持っていたくないが白石の眼前に突き出されただろう。


「ちょお隣国に行って情報収集してきてほしいねん」


「隣国……?あぁ、敵さんがこっちに進撃しようとしとるて言うてたとこか?」


「なんや、今朝の話ちゃんと聞いとったんやな。
 ずーっと空ばっか見とるさかい、聞いてへんのかと思うたわ」


「余計なお世話じゃボケ」


機嫌の悪さと口の悪さが見事に比例している謙也に対して笑う白石だが、もちろん悪気があるワケではないのだ。


「ほな、今から行けばええんやな…期間はどのくらい?」


「敵さんが進撃してくるて情報が手に入るまで、や」


「ずいぶん長いなぁ……ほな、行ってくるで」


渋々といった感じに立ち上がり、白石が一つ瞬きをした次にはもう謙也の姿はなかった。
相変わらず速いなぁ、と小さく一人ごちで微笑した後、白石は自室に戻るべく長い廊下を歩き始めた。
ふと視線を頭上の空へ向けると、鳥は一羽もいなかった。





ただ転がるように、毎日を過ごすんだ。
昨日は稽古に明け暮れ、今日は任務へと立ち、明日はどうなるだろう。
何も予想なんてしない、する必要はない。


俺には何もない。






うろつくための服装になって、隣国を歩く。
到着して思ったことは、意外にも隣国の城下町は豊かに賑わっているということだ。
進撃してくる必要など無いのでは、そう思うほとの豊かさだった。
自国と同じくらいに富んだ道を歩く。
漁業、農業、産業に文化……すれ違う人は皆笑顔だ。
幸せそうに笑っている。


……隣国が進撃してきて、もし俺らの国が勝てば。
この笑顔は一瞬で消え去る。
そう考えると心に影が差したが、軽く首を振って考えを払拭する。
余計なこと考えたらあかん、情報収集に専念せな……。


自分のモチベーションを仕事に切り替えた謙也が向かったのは、団子屋だった。
団子屋に入る人というのは誰彼問わず、誰でもだ。
つまりこの国のことを手っ取り早く知ることができる。
自国が他国に進撃するという噂が流れ着かないはずがない。
だから謙也は情報収集の拠点はたいていこういった憩いの場だった。


「すみませーん、団子一つ」


さっきまで鎮痛な面持ちだったのを笑顔に変えて、謙也は若干声を張って団子屋にそう言った。
だが、


「……ちょお待っとってください」


返ってきたのは団子屋を営む者としては有り得ないくらいの暗くて物々しい、低い声だった。
この団子屋にせんかったらよかった、なんてのが早くも謙也の脳内を巡る。
今から他の店に変えようか……けどもうすでに注文してしまったのを取り消すのも失礼な気がした。
結果、謙也は諦めて腰を下ろして目の前を行く人を眺め、そしていつものように空へ視線を浮かせた。


憎らしいくらいの快晴、晴天、鳥が空を行く。
俺もあんなふうに空を飛んでみたいと、幼い頃は何度思ったことだろう。
知らない所へ、誰も知らない、自分ひとりだけの場所。
そこはきっと緑が溢れて小川が流れ、鳥も変わらず自由に舞っている。
……けれど、そんな空想は見事に打ち砕かれた。
忍びになって、戦国時代という今の乱世を知って。


幻想はただのまやかしにしか過ぎないことを知って、泣きたくなった。


「……すんません、団子どうぞ」


その声が俺にかけられたものであることに気付いて、そしてその声が先ほどの声であると気付いて振り返る。
そこに立っていたのは、自分より幼く見える黒髪の少年だった。
その姿を見たとき、謙也はなによりも真っ先に、鴉のようだと思った。
黒の髪、黒の瞳、闇に溶け入りそうなその容姿でありながらも凜をある存在。
それはまさしく、鴉に他ならなかった。


「あっ、えっと、おおきに」


一瞬臆しながらも団子を受け取って、口に放り込む。
情報収集のためだから団子を食べずにここにずっと座っていることもできるのだが、それはいくらなんでも失礼だ。
その一心で注文したものだったが、口に入れて咀嚼した瞬間、謙也は鴉と形容した少年のほうを振り返り見た。
いきなり謙也が動いたから驚いたのだろう、肩をびくっと跳ねさせる少年をよそに謙也は団子を皿に置いて少年の手を掴んだ。
またしてもいきなりな謙也の行動に驚いてか小さく目を見開いてから抵抗した鴉少年だったが、謙也は強く掴んで離さなかった。


「な、何する、」


「この団子めっちゃ美味いやん!」


そして謙也が率直に放った感想に、今度は瞬きを繰り返す番だった。
呆然とする少年に対し、謙也はひたすらに美味い美味いと繰り返しながら笑顔で鴉少年に語る。


「なぁなぁ、この団子鴉クンが作っとるん!?」


「か、鴉クン……?」


「あぁ堪忍な、自分のこと言うたんやけど……えっと、名前なんて言うん?」


「えとっ……光いいます」


「光か、了解やで!で、この団子光が作っとるん?」


「は、はぁ……そうですけど」


「めっちゃ美味いでこれ!俺団子ぎょうさん食うてきたけど、こないに美味いん初めてや!」


まぁ、なぜ比べられるかと言うと他の国の情報収集のたびに団子屋に入っているからだなんて口が裂けても言えやしないが。
いや、そもそも実際に口が裂けたら何も言えやしないが。


「えっと、おおきにです……褒められたん、初めてや……」


「えっ、嘘やろ!?めっちゃ美味いんに!?」


「うーん……ここに住んどる人、ほとんど永住者ばっかなんですよね。
 せやから比べる団子があらへんやないんですかね……アンタ見ない顔っすけど、どこの人なん?」


「あー、えっと……」


マズイ、喋り過ぎた。
調子に乗ってべらべら喋るとすぐにこれだ、今は仮にも忍びとしても仕事中だというのに。
不思議だ、この鴉少年――光という子。
すぐに言葉が滑り落ちていく、だが隣国の者であると告げることはできない。


「俺は行商人で、つい先日ここに来たばっかなんや」


「そうなんですか……何売ってはるんです?」


「せやなぁ…えっと……漢方薬とか」


「……俺、あれ嫌いっすわ。めっちゃ苦いやないですか……」


「良薬口苦し、ていうやろ?」


「良薬なら民の口にも優しい薬がええですわ」


「ははっ、そら一理あるな!」


何とか話を逸らすことができたのにホッとしたが、光のほうは何か不満があるのか視線を謙也から外さない。
鴉と形容したその瞳に見つめられ、少しだけ後ずさりしたくなる謙也だったが、「な、何や?」と小さく聞いた。
すると光から返ってきた言葉は、


「いや、アンタの名前は何ていうんです?」


至極当然ともいえる当たり前の問いだった。
夕方でもないのに鴉の鳴き声がよく澄んだ空に響いた。





出会いと別れが繰り返す連鎖は果てがない。
それと同じように、俺には何もないんだ。
全てこの手から滑り落ちていくんだ。
夜空をかける星に手が届かないように。


落ちていったそれらは、もう拾うことができない。





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