企画物議

□いつか隣に居させて
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「今年で幾つになりましたかね、折原さん」


 スモッグに覆われて霞む大都心を臨む、広い部屋にはめ込まれた窓に立つ男は、窓に映るパソコンに向かうその細い後姿に声をかけた。鏡のように鮮明じゃなく、明るいネオンがあればその姿は窓から消える。それでも細い首がふっと短い笑い声で震えたのは見えた。黒いシャツに覆われた細い腕が忙しくキーボードを往来するのを、やめた。

「お忘れですか?去年は23でした」

「・・・今年で、という質問はないがしろですか。相変わらず面倒な人だ」

「お年頃なんですよ、自分の年齢を素直に言えない気持ちを悟ってくれないかなあ」

 疲れたのか、大きく腕を伸ばして背伸びをし、背後に立ち尽くす白いスーツの男を横目に見やる。通常は有能な秘書と二人きり、池袋をはじめとする闇の情報をここで取り仕切り、動かし、弄ぶ。なのに秘書もいない時間に、見るからに堅気とは離れた風体の男を喜んで背後に迎えている。
 互いにそれなりに緊張を持ちながらも、日頃他人を寄せ付けない距離にその存在を許すことに何ら違和感はなかった。長いこと、何年と気を許すことなく向かい合ってもきた。

「そうなれば、貴方ともう8年も付き合いがあるわけですか。・・・気づけば長い年月ですね」

「その間、四木さんは随分粟楠会では偉くなりましたよね。有能な情報屋でも捕まえたお陰でしょう」

「信用したにしても、信頼をしたことはありませんけれどね」

「酷いですね、僕は命を預けているというのに」

 煙草を取り出した男に、引き出しからガラスの灰皿を取り出して言葉なく差し出す。椅子を反転させて顔を向けた青年は昔から変わらず綺麗な顔を爽やかな笑みに象っている。その笑みで、何人が騙され、貶められてきたのだろうか。その柔らかく笑む口から出る声が、人の内面を踏みにじる言葉を軽やかに紡いできただろう。見目と中身どおり子供相手ならば幾らでも騙せるものだとしても、ずっとどす黒い半端じゃない世界で生きてきたスーツの男には、子供臭くて反吐すら覚える。なのに、ただ子供だと切り捨てて放っておくのは恐ろしいと思えているのも事実。

 こういうガキこそが、いざとなれば闇に押し潰されていつの間にか消えるとわかっては、いた。
四木と呼ばれた男が、この8年間死に物狂いで生きてきたとしても、このガキはのうのうと人様を弄んで生きていたのだろう。その世渡りの上手さを羨ましいのと、それを身近で見てきていたことへの微かな苛立ちを感じてしまう。

「貴方はこの8年で随分と腹黒くなりましたね。私でもわからないところで何をしているのか・・・聞いたところで言うことはないでしょうけど」

「酷いですね。僕はニーズに応えて自分の責務を全うしているだけですよ。腹黒いなんて褒め言葉にしては酷すぎる」

  そうして綺麗に笑う顔は、あくまで闇の世界を知らないままに無邪気ささえ感じさせてくる。貪欲に人の、街の闇を踏みつけて歩いてきた穢れをどこに隠しているのか。知らず手を伸ばして触れたなら、垣間見れるだろうかと腕が動く。しかし、触れてやることは、できない。

「・・・貴方が女性でなくて本当によかったとつくづく思いますよ。不幸な男が数え切れないほどこの街に溢れていたでしょうからね」

「そうですか?僕は残念だと思いますよ?」

 そうして無防備に微笑み、こちらを見上げてくれるその瞳は淫靡ささえ香らせる。いつの間にそんな目を覚えたのかという虫唾と、知らぬ間に自分が教え込んだものだということに遅れて気づく。昔、まだこの世界に駆け込んだばかりの高校生に生き抜くためならあらゆることを覚えていろと教えた他愛もない戯事。戸惑い、必死に覚えようとする様が無様でおもしろくて、夢中に自分についてきた。だが、夢中になっていたのはもしかしたら自分だったのかもしれない。穢れを知らない子供が、この闇に押し潰されてもいいとその崩れる様を見てみたくて狂乱じみた戯事。なのに、見目の細さと子供っぽさはその闇にもどうにか対応し、こうしてまだ、闇を踊ってみせている。

 そして昔から今も、その腹の中で考えることは何一つわからないまま。

「いつか私にも子供ができようと、貴方みたいな息子だけは持ちたくはありません」

 こいつが息子であれば、いつ寝首を掻いてくるのかわからない。親すら取って食い、我が思いのまま生きていくのだろう。こいつの両親の幸運は、こいつが見ている世界で生きてはいないことだろう。もしも闇の世界で生きていたのなら、その存在はぞんざいにされ消されていたのかもしれない。いや、もしかしたらこいつを闇に飛び込むことを止めてくれたのかもしれない。

「へえ、四木さんでも結婚願望あったんですね。いい人でも見つけましたか?」

 意外だと大げさに手振りを加えて驚いてみせようとも、道化じみた芝居にしか見えない。それでも、そんな大げさな振りになれている自分がいる。

「まさか。身を収めようとは思ってもその妥当な相手なんてまだ見つけていませんよ。余程の器量を持った女性でなら考えますけれど」

「四木さんの選ぶ女性ですか・・・従順で、理知的な人なんでしょうねえ、さぞかし」

 鋭ささえある目をゆっくり細め、じっと思考の奥を見透かそうとしてくる。聡いこの男は、随分と年上の自分でも手玉に取ろうと隙を窺ってくる。これまで何年も、できるわけもないのに。

「少なくとも、貴方とは似ても近くもない女性であることは間違いないでしょうね」

「やあ、これは嫌われたものですね。僕は残念だと思いますよ?女性であれば貴方に気に入られたかもと」

 首をかしげてその首元、そしてシャツから除く細い鎖骨のラインが浮き上がる。悪戯にその肌を幾度貪ったか覚えてはない、しかしその感触や喘ぐ声は忘れてはいない。ぐっと体の奥から何かが湧き上がる気がして、煙草の煙で無理やり押し込めていく。

「女性であれば尚更ご遠慮したいものです。まさに取って食われそうでね」

「このままのほうがお好みですか?あれから僕なりに努力してきたつもりですけれど」

 足を組み、頬杖を付く様は堂々としていてあれから随分と場数を踏んだ闇の人間の顔になっていた。それなのに何故こいつは、まだ幼稚臭い未熟な匂いが・・・穢れていない感じがするのだろう。

「・・・とんでもない。貴方は変わらず子供のままだ。子供は好きじゃないんですよ」

「それは残念だ。ずいぶんと僕は大人になっていると思いますが?」

「それが子供臭いと言えるんですよ」

 そうして誘われたように手触りのいい黒髪に指を絡ませる。さらりと指から滑り落ちる冷たい感覚。僅かに触れられてしたり顔で笑う。自分がこの存在に触れたいと思うのがさも当然だと言う様に。だが、そんな思惑を言葉で否定し続け、時に受け入れては陳腐な駆け引きを繰り返して。そんな感情を甘い言葉で彩る必要はとうにない、食うか食われるか、弄ぶだけの関係。
 髪を梳く手を何を思ったか、握り締めてその掌に頬を寄せて妖艶に笑む。弱弱しく笑うも強く誘う目を教え込んだのは確かに、自分。見下すように冷たい目を向けてその誘いを避けようと足掻いてるなど、とっくに気づいているだろう。そしてそんな意地をどうしてまだ張ろうとしているのかわからない。

「・・・貴方の隣にいられるにはどうしたらいいんでしょうね」

 これまであくどい事を繰り返してきた掌に躊躇いもせず頬を寄せ、そして握り締めてくる臨也。その少し曇らせた表情から、自分へただならない感情を持ち合わせているのかと期待すらちらりと過ぎる。だが、そんな期待など無意味だしこいつならばそれすら計算に入れているだろう。振り払うように強く手を引くと、大げさに残念そうな顔をこちらに向けてくる。

「さあ。きっと私は生涯独身でしょうから」

「それは僕にもチャンスがあるってことですか?」

「どんなチャンスを狙うかわかりませんが・・・・狙うだけ無駄ですよ」

「酷いなあ、少しぐらい希望を持たせてくれてもいいのに」

 大げさに笑うその内心は本気でそう思っているのか、ただの与太話にしようとしているのかもわからない。こいつはまた違う意味で孤独を感じて生きていくのだろうといつからか思っていた。他人が好きだとほざきつつも深く関わることを恐れている。滑稽な、子供。

「希望は裏切るものですからね」

 おざなりにしていたパソコンに向おうとした臨也の肩を掴み、こちらに強く引き向かせる。食らいつくよう口付けようとも僅かに身を硬くしただけであっさりと受け入れていた。どんな手荒に引き寄せようと抱こうと、拒絶することは一切なかった。なのに、いつまでもその心はどこを向いているのかわからないまま。

「・・・・っ、は。ずい、ぶんと情熱的ですね・・」

「そうされたいという顔をしていましたからね」

 細い臨也の腕が背中に回されて引き寄せようとする。再度口付けようかと頬に手を這わすと臨也がスーツ越しの背中を撫ぜてふと笑う。

「・・・・また四木さん痩せました?苦労多いんですね」

「その苦労を誰のお陰でしているとお思いですか」

 皮肉を込めて囁けば、もっともだ、と観念する声がすぐ間近で聞こえる。全てを統べる椅子に座した臨也をそのままに組み敷こうとも、自分よりずっと細い体に触れていようとも、どこか遠い。自分の知らない孤高に独り立つこの存在。孤独こそ似合う臨也のその姿を思えば、何故だかその身体を抱く手に力が篭る。

「・・・貴方はこの先、誰の隣で笑うのでしょうね」

「・・・、さ、あ・・・・貴方、じゃ、ないでしょうね」

 乱れだした吐息が紡ぐ予想通りの言葉。そうですね、と心にもない言葉で返せば満足そうな笑みが向く。もっと違う立場であれば、世界が少しでも違ったなら、この身体を抱くことが誤魔化しにならずにすんだだろうと。

「貴方は苦手だ。調子が狂う」

 負け惜しみのような言葉を呟いて、短い時間だけの勘違いに没頭する。お互いの温もりを貪って勘違うのだ。お互いに近くに居られると。
 そして終わって気づかされる、それはまやかしで幻であったと。この長い時間、支配するかされるかという駆け引きの戯事はその意義を失って捻じ曲げられていた。気づいたことは、間違いだったろう。

縋るようにしがみついてくる臨也の虚ろな目は、天井を透かして誰を、何処を見ているのだろうか。
 いつかその目がこちらだけを見てくれる時を望んでしまう瞬間こそあれ、それを口にすることはない。
 



来ることのない『いつか』に、夢を見る程子供じゃないと、ただしな垂れる身体を抱いて苦しむだけ。








四木臨企画「25時」様への提出作品
臨也さんと四木さんは大人の駆け引きをしているという夢想でしたが全くあらわせていない。
も、申し訳ありません・・・・うわああ

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