戯言短編

□パニックアタック
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「おもしろいのが見れるから、今すぐうちに来て」


なんて呼び出されて、池袋に居る事を見透かしてるんじゃないのかってタイミングで新羅の電話に、少々嫌な予感を感じ取りながらも臨也は足を向けた。チャイムを鳴らせば、嫌に静かに玄関を開けた白衣姿の旧友は、なんだかとてつもなく嬉しそうな笑みを向けてくる。

「さ、さ、上がって、上がって、あ、静かにね」

「……何だよ、そんなに嬉しそうにして……って、お、い、ちょ、背中、押すなっ!」

「いいからいいから」

靴を脱いで上がり込めば、背中を押してぐいぐい長い廊下を急かすように歩かせられる。自分のペースを乱されて歩いた先、広々としたリビングは見なれたものだ。だが、ふと目を泳がせたその先、ソファーには。

「……は?」

5、6人は座れそうなゆったりとしたソファーに、この家では似つかわしい、だが臨也には見なれすぎる姿が横たわっていた。

「……これ、シズちゃんだよね?」

「いかにも、静雄だね」

日頃は肩を怒らせ、鬼の形相で向かって来る仇敵が、ソファーに無防備なまま横たわり、あまつさえ目を閉ざしていることから眠っているのだろう。顔の上に置かれた腕が、ずり落ちそうな微妙なバランスで力無く目元を隠している。規則正しい寝息が聞こえ、臨也からすればこんなにも覇気なく伸びている様に違和感すら感じる。

「……確かに珍しいけど、なんでわざわざ呼び出すの。この隙にトドメ刺してもいいってこと?」

「まぁまぁ、もうすぐしたら起きると思うよ。本題は静雄が目をさましてから……っと、起きるかな」

横たわる静雄が短く唸り声を上げ、腕を顔から離し、伏せられたままの目が震える。思わず身構えて一歩引いた臨也を、新羅は肩をつかんで逃さない。臨也の影に隠れつつ静雄に近付く新羅を、肩越しにやじりながら慌てて逃げようとするも、慌てた拍子にテーブルを蹴り飛ばしてしまった。
がつり、と大きな音を立てて足に激痛が走り、テーブルの足は盛大に床を叩く。その音に、驚いて目を開けた静雄と、足を抑えかけた臨也がはたと目と目がかち合わさってしまう。

「……」
「……や、やぁ……シズちゃん、おはよ」

じんじんと痺れるように痛む足を引き摺って、どうにか逃げようとしても、様子を伺う新羅がまだ臨也を押さえている。いい加減にしろと、無理矢理に振り払ってさて逃げようとしたその背中に、静雄が声を上げた。

「……臨也?」

呼ばれた瞬間にぞくりと背中が震えた。これまで長いこと静雄と面向かってきたが、名前で呼ばれることも少いし、人のことをノミ蟲扱いだったりもした。かの声音は殺意がこもりすぎて関係ない人間すら震え上がらせるほど迫力があったというのに。今の声は、そんな記憶のどれとも合わない。
寝起きだから意識が覚醒しきれてなくて、力が抜けた声だったのか、それにしては憎々しい名前を呼ぶにははっきりと音をとっている。真っ直ぐに見つめてくる見開いた目も、なんだか直視できないほど物言いたげだ。

これまで、感じた事がない違和感。


「……えー、あの、すみません、シズちゃん、いつもみたく、ゴルァとかクソ蟲とか、殺すとか、言わないの?言ってもらわないと酷く君が別人に見えて仕方ないんだ」

「言う訳ねぇだろ、そんな事」

ソファーから起き上がった勢いに、ずいと臨也に近寄ると明かに動揺する臨也のその肩をつかんでしまう。喧嘩の時すらそんなに近付いた事はないと言うのに。
間近に迫るその顔は真剣そのもので、あの臨也すら詭弁を口にできないほどの迫力。離れて見守る新羅はそんな2人の様子に目を見張るだけ。

「なぁ臨也……俺は、今ならテメェが俺にやらかしたあらゆる事を全て許せてやる。謝罪の言葉も言い訳もいらねぇ、俺が言う事に頷くだけで過去の悪行を全て水に流してやる」

「……は、はぁ?!っていうか、近いっ!どうしたんだよちょっ……だ、誰だよ、シズちゃんはこんな奴じゃないだろ?!」

「いいか臨也、よく聞け。黙って俺について来い、いや………違うな」

たじろぐ臨也の目を覗き込み、肩をつかんで逃すまいとする静雄がやっと目を反らす。だが、その顔は少しばかり赤くなり、何だか照れているようにも見えてしまう。

「……なん、」

ばくばくと胸が早鳴り、次にくる言葉が雰囲気から安易に考え付いてしまい、足が震えてしまう。まさか、そんな、と絶望感にも似ている緊張。

「臨也、俺と付き合え」


臨也を取り巻く時の流れが、止まった。
いや、臨也だけが瞬間的に凍ったかのように思考が完全に停止させられたのだ。真摯な表情の静雄に、真剣に告げられた言葉を理解することを本能が拒絶していた。




「わぁ、おめでとー、静雄に臨也!2人の友人としてここは祝福してあげるよ!いやぁよかったよかったー」


離れた位置からぱちぱちと弱い拍手を送る新羅の声で我に帰った。拍手を受けた静雄はまんざらでも無い顔をしているが、血の気が引いた顔を真っ赤にして顰める臨也は体をよじって静雄からやっと離れた。だが頭はまだ動いてない。

「なっ、なっ、なっ、何をっ!待て、ちょ、何、新羅?!お前何か仕組んだのか?!」

いつだって冷静に状況を見定める臨也がひたすら挙動不審に慌ててしまう。顔が熱くて仕方ないのに、背筋や腹の中は冷え切ってしまっている。昨日まで散々憎み合っていた静雄が、一晩でこんなになってしまうのは自然ではあり得ない。ましてや、許すとか言い出す上に、付き合えなんて、それは。

「あはは、だって君達の喧嘩がいい加減飽きてきたし、街も迷惑してるからさー、ちょっとお手伝いしてみようかなーと、一服」

そう言って新羅は指で何かを摘むような形を作ると、傾けて垂らすような仕草をしてみせる。それが意味するのは、静雄が飲んでいただろうコップに潜んでいる。

「な、なにをっ、何を手伝うとか……!嫌がらせか、仕返しか?!」

「いやいや、仲違いにも程がある君達を、丸くくっつけてしまおうかなって、惚れ薬を少々、がばっと静雄に」

「どっちだ?!」

そんなツッコミしている場合じゃない。新羅に気を取られてすっかり静雄をおざなりにしてしまった所為で、再び肩をつかまれてしまっていた。

「おい、テメェ、返事はどうした………聴かなくても一つしかねぇけどよ」

「え、いや、待て!!シズちゃんしっかりしろ、俺が誰だかわかるだろ?!大っ嫌いな奴に何で真剣になってんだよ、目を覚ませ!」

「わかってる。それに、俺はやっと目が覚めた…今まで下らねぇことでテメェにキれて憎んでいたのが馬鹿だったと」

「いやいやいや!今のこの状態が馬鹿だから!目が覚めるどころか眩んでいるだろ?!おい、新羅、早く薬を無効にしろ!!」

「テメェには、散々追い駆けて暴力的になっちまって申し訳無かったと思ってる。せめてもの詫びにこれからは幸せにしてやるから黙って俺と付き合え」

「申し訳無くも思わなくていいから!!何を恐ろしい事言い出してんだよ!!詫びでもなんでもないよ、俺を精神的に追い詰める最良の方法じゃないか!君と関わらないことが俺の幸せだからほっといてください!」

「……何だと?」

必死で思いつくまま口走り、逃げようとばたついていれば、突然に肩をつかんでいた力が消えた。突如掴まれていた力がなくなり、全力で逃げようとした身体はバランスを失ってよろけてしまう。なんとか体勢を整えた時には、離れている新羅と、難しい顔をした静雄の間で立ち竦んでしまっていた。
恐る恐る窺う静雄の表情は、何だかどこか傷付いたような、物悲しさすら漂う見た事のない顔を臨也に向けていた。何だか悪い事をしてしまったのかと、ついたじろいでしまうほど。

「……テメェは、俺が嫌いか?」

「え?な、何を今更、だって、嫌いってシズちゃんだってずっと言い張ってきただろ?そんな奴を嫌いじゃないなんてどうして言えるんだよ」

「俺がテメェを嫌いだと言い続けたから嫌いなのか」

「そういう単純明解な理屈なんかじゃ…」

「それなら、俺がテメェをずっと好きだと言い張っていたらテメェは俺を好きになるのか……わかった」

ぐらり

目眩がした。ここまでジャイアニズムな奴だったか、いやちがう、クスリを飲まされたとか言っていたからか。それでも普段からこう、話が噛み合わなかったからこれでいいんだ。いやいやいや、違う違うちが

「ま、待、………え?」

目眩が目の前を暗くしたとばかりに思っていたら、目の前にバーテン服のベストがあって。つまり。

「それなら何度でも言ってやるよ、俺はお前に惚れている、だから、黙って頷いて付き合え」

真正面からの接近を許してしまっただけでも、己の油断が恨めしいというのに、たじろいでしまった臨也はどうしていいか一瞬迷ったその寸時。
強張る臨也のその体躯が、やんわりと静雄に抱きしめられていた。

顔に押し付けられるバーテン服の煙草の匂いや、少しだけ甘い整髪料の匂いに、腰に回された腕の感覚。自分の肩に押し付けられる胸も腕も全部、確かに温かい。
小さく新羅が感嘆の声をあげたが、それを窘めるなんてできやしない。
こんなに近くまで寄られた事があったろうか。いくら毎度命がけの喧嘩をしていても、間合いだけはとにかく気をつけてあけるようにしてきた。
それなのに、こんなにも踏み込まれてしまったことや、いくら動揺していたとはいえ接触を許したこと、さらには、抱きとめる力加減や腕の感覚に先程までの静雄の言葉がまやかしやでまかせではないとわかってしまって。

「………」

「臨也…」

すぐ近く、耳元で自分の名を呼ぶ低い静雄の声がばくばくと脈打つ熱い血流とは違って、頭や胸の中に響いて掻き乱している。顔が熱い、息が止まる、地面がひっくり返るような錯覚。

動けなくなった臨也を抱き締める静雄は、無言こそ賛同の意義だと捉えて壊れ物を扱うように、さらに引き寄せ、抱きこもうとする。だが、その胸に腕を突っ張り、無理矢理に体を離した臨也は顔を伏せ、日頃とは違う物々しく重たい雰囲気を醸し出していた。静雄はそんな様子に抱き寄せていた腕の力をやんわりと抜き、身体を離した臨也を黙って見下ろしていた。

「……こんな……こんなの、違うだろう…」

ぼそぼそとやっと吐き出された言葉は、日頃自論を楽しそうに並べ立てる口調じゃなく、弱りきってまさにどうしていいかわからないと困窮した様が伝わる。

「あのシズちゃんが、俺に、いくら薬でラリってるとしてもそんな事を本気でいうはずない……ずっとこの先も憎んで憎んで殺しにかかってくるんだ。ただの、喧嘩人形じゃないか」

あまりにもこの状況がショックだったのか、呟かれる言葉は必死で自分自身に言い聞かせているようだ。痛々しさすら見て取れるその様子は、さすがに新羅すら顔を曇らせてしまう。

「……シズちゃんが、そんな、愛だとか、好きとか、わかっているわけないんだ。これは悪い夢だ、俺は信じない……」

真っ青になって否定し続けるも、よくよく聞けば随分と失礼極まりない事を並べている。いつもならここで静雄が憤慨し、新羅のソファーかテーブルが空を舞うだろう。だが、今は。

「そうだ、俺は……そんな感情がどんなのか知らなかった。だけどよ、それは気付いてないだけで、見て見ぬフリをしていただけだった。ずっとテメェに対して胸に燻っていたのは、恐らくそんな感情が入り混じっていたもんだと気が付いたんだ……酷く気になる、思い出すと落ち着かない、殴るついでに顔をみたい…なんか、そんなのがよ」

「……それって、何か違う……いや、君たちならそれもアリなのか…」

ツッコミのような新羅の言葉はすでに二人には届いていない。静雄の言葉に、端々に共感できてしまうのがあったのか、びくりと体を震わせて狼狽えてしまう臨也。それらの言葉に意味を見出してしまったのか、真っ直ぐな静雄の態度に慄いたのか、臨也は首を横に振って否定し続け、よろけるように後ずさってしまう。

「……ちがう、違うってシズちゃん、俺らが互いにこの数年間培って来た感情は、そんなんじゃない。違うんだよ…」

「…臨也」

「違うって言ってるだろ!」

後ずさる臨也に半歩近付いてきた静雄に、激しく激昂した臨也は、持ち前の俊敏さでリビングを駆け抜け、あっという間に玄関から出て行ってしまう。素早い逃げ足に、呆気にとられたのか一瞬固まった静雄は出遅れたがその後を追おうと慌てて駆け出した。

「待ちやがれノミ蟲がっ!!」

そうして壊れたんじゃないかと思う程けたたましいドアの閉開音のあとは、ひたすら静寂だけが新羅だけに残された。

「……うーん、失敗したかな。臨也にも飲ませないとだめだったかな……にしても」

新羅はやけに臨也の態度と言葉に引っかかるのがあるのか、難しい顔をして考え込んでしまう。

「……静雄に好意を寄せられてついムキになったんだろうけど…あそこまで否定するなんて……まさか、なぁ」

もっとライトに、そしてからかうように静雄と向き合うだろうと踏んでいたのだが、思わぬ反応が臨也に見られてしまった。もしかしたら、なんて予測がじわじわと現実味帯びていく。

「……臨也のやつ、もしかして」

長年、見て見ぬフリをしていたのは、まさかとは思うがーーーー



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