捏造長編

□エピローグ
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「やあシズちゃん、もうすっかり怪我なんてどうもないみたいだね、憎憎しい」

「・・・よおノミ蟲、まだ顔色悪ぃが大丈夫か?今すぐトドメ刺して楽にしてやろうか」

 双方踏み込めばすぐ殴れるほどの間合いを挟んでにらみ合い、賑わいを見せていた通りは違うざわめきをはらんで二人を取り巻く。観衆の目も気にせず、お互いにむき出しの殺意を突きつけながら片や冷笑を、片や怒りに攣った笑みを浮かべて向かい合っている。それまでの平穏な空気が一転、凍りついていく。

 懐かしい緊迫感に目を細めた臨也は、数日前に極限で向かい合っていたあの夜を思い出す。あの時に仕留めきれていたなら、こうしていることもなかったのに、と残念に思えている一方で。
 こうして街中でも命の危機をひたと感じ取れるこの緊迫感こそが懐かしい、まさに日常に戻ってきたと思わざるを得ない。

「怪我人に素晴らしい見舞いの言葉をありがとう。快気祝いにさっさと息の根止めてあげよう」

「そいつは残念だったな、テメエの息の根止めたら今日は街を挙げてお祭りだろうよ」

 憎憎しそうに吐き捨てる静雄も、どこかで似たような事を考えてはいた。こうして向かい合うことで悔しいが日常が成立していく感覚。良くも悪くも、臨也を憎んで命を狙う事もいつの間にか、日常の一部に入っていた。それが無くなっていくなんて、考えられないほど非日常すぎていた。

「本当に君とは分かり合えないようだね、うれしいよ」

「こっちもテメエとは気が合わないのは喜ばしいぜ、臨也くんよお?」

 そして二人の殺気が徐々に高まり、まさに一触即発、どちらか動いたらぶつかる―――そんな緊張がぴしりと走り抜けたのだが。

 ふ、と臨也が僅かにその殺気を諌めて引いてしまう。実際には、睨みあっていたのをやめ、僅かに身を後ろによじって呆れたように笑っただけだったのだが、張り詰めていた空気がすっと温度を下げてしまった。

「・・・とまあ、いつもなら君のその首を狙うんだけども、君には少なくとも借りがあるからねえ。うちの妹どもも世話になったし、知らない間に命の恩人らしいし?・・・人生で最高の汚点だね」

 そう言って臨也は握りこぶしを作ると、軽く心臓の上を叩くフリをして見せ、笑って見せる。それを見て一瞬激昂しかけた静雄が、舌打ちを鳴らすと残念そうに溜息をついた。

「まさかあれで息吹き返すなんざ誰も思っちゃねえ。テメエはもっとクルリとマイルに殴られるべきだろ。テメエになんざ何か返してもらおうなんか考えてもなかったぜ」

 ごきり、と首を傾けて鳴らすと、変わらずまた殺意を向けていくが、臨也はそれを受け流すかのように笑ってポケットからナイフではない小さいものを取り出して掌に握り、ソレを空中に投げては掴むと繰り返していく。

「あいつらからはこっぴどく怒られたし、充分痛い目も遭った。それより、こいつを結局どこにも渡さなかったのは意外だったよ」

 そういって何度か空中を舞っていた小さなものを掴み、ちらりと顔の前で揺らして見せる。遠目からはよく見えないが、時折日光を浴びて銀色に鈍く光る何かが臨也の手先からちらちらと揺れている。

「・・・?なんだ、それ」

「覚えてないの?いつだったか、これを携帯番号と一緒に渡したじゃないか」

「・・・あー。どっかの鍵だったか、それ」

「そうそう、何だ、忘れてただけだったのか」

「すっかり忘れてたけどよ。何だ、それをどっかに渡せば今頃お前の破滅でも眺めていられたってのか?」

 ゴタゴタしすぎて失念していたのだが、臨也から渡されたものの一つ、ロッカーなり何かの鍵を渋々預かっていたことを思い出した。怪我したときに汚れたシャツのポケットに入れたままだったのだが、それを臨也が見つけたのだろうか。

「まあ、そうだったけどね。君なら忘れてずっと持っててくれるだろうと期待していたけど、本当にそうだったから面白くない。どこの鍵だとでも付け加えていれば開けてくれたかな」

「さあな。少しも興味がなかった。警察にでも持っていけばよかったぜ」

「そうすればどうなっていたのか、俺も気になるけど、また俺の手に戻ってきたのはこれは運命だとしか思えないね。俺は偶然にも愛されているとひしひし感じている。いやあ実に素晴らしい」

 うれしそうに笑う臨也に苛々を募らせつつ、静雄はとりあえず一本煙草を取り出して火をつけると、荒く煙を吸い込んで鍵を握り締める臨也を睨みつけてみた。

「・・・そいつはどこの鍵だってんだ?」

「しがないレンタルトランクルームの鍵だよ。これで本格的に仕事を再開できそうだ」

「んだと?ってことは、それ、情報か何か詰め込んでいたってわけか?」

「そういうこと。ごめんねえ嘘言ってて」

「・・・・てんめえ、もっと早くそれを・・・」

「言ったらシズちゃん真っ先に警察か粟楠会に渡しただろ?今回の君の働きは実に予測通りで助かった。いくら憎い俺でも、妹らが絡めば人情出してくるっていうことも予測通り、鍵も最後まで持っているのもまさにそう」

 臨也は浪々と楽しそうに語る。それにあわせて静雄の眉間の皺は増え、こめかみの青筋はまたびきりびきりと浮き上がっていく。

「だからそういうことの借りひっくるめて、今回は大人しく新宿に帰ってあげよう。ま、それだけじゃアレだから、さっき言っていたマフィアどもには君の事は無視するように伝えておいたから。これでイーブン」

 野球の審判がセーフ、というように、両手で空中を水平に切って見せる。あくまでも飄々とした態度の臨也に、とうとう静雄が一歩踏み出すと、手近にあった道路標識を握り締めて引き抜こうとしていく。

「俺なりに感謝はしてるんだから、今日は喧嘩なしでいこうよ。次会う時は遠慮なくその首、獲ってみせるさ」

 めきょり、と変な音を立てて鉄製の標識が静雄の力で引っ張られるまま歪む。しかし、引き抜くことはない。煙草の煙と共に大きく息を吸い込むと、時間をかけてゆっくり、ゆっくりと息を吐き出していく。

「・・・今日はこのまま見逃してやるけどよ。5秒以内で消えないとぶっ殺す。次こそ必ず殺す」

「見逃されるのはシズちゃんだというのに。・・・まあいいや、お大事に」

 そういってくるりと素直に踵を返し、ひらひらと手を振って群集の輪に消えようとした臨也に、静雄が振り向きざまに声をかけるも、聞こえているかどうかはわからない。

「傷がいてえならムリして池袋来るんじゃねえよ、大人しく寝込めクソ野郎」

 その声を聞いていたのかわからないが、申し訳なさそうに笑う臨也と、仕方のない奴だと憮然とするも、少しだけいつもの調子でいられたことへ笑えている静雄がそれぞれ背を向けていく。静かに終わった対立に、驚かされた群衆と、二人の変わった様子に唖然としている門田と遊間崎、そして目を輝かせていた狩沢。

 それでも何も変わることはなく、また昔からの日常を彼らは送る。少しだけ寄り道をしたけども、結局は何も変わることはないいつもの顔ぶれ。知らず押し付けがましい一方通行だと思っていた愛を叫ぶ青年は、それに応えるよう集まってくれた面々を思い浮かべて微笑む。きっと内情は酷く複雑であったろうが、満足だ。
 これまでも、これからもきっと良い事をしてやることはできないだろうが、人並みに心配してくれることには純粋にうれしくて、こそばゆい気持ちになれた。臨也にしては珍しいほど素直に感謝の念を向けるが、それを真っ直ぐ彼らに伝える術をしらない。
 それを知って、伝えてしまったならこれまでと変わってしまうとわかっている。まだ変化を望む時ではないと今回でほとほと気づいてしまった。
 いつか、いつか皆にお礼ができるなら、鍋の一つ二つご馳走してやろうじゃないか。

 怪我の痛みも気にならないのか、浮き足で帰路を辿る彼は、池袋の街並みを振り向いて、微笑んだ。
真っ直ぐに、それはそれはとても清清しく、うれしそうな笑顔でそっと呟いてみせる。
 誰からも愛されている街へ少しだけ嫉妬を抱きながらも、その街が守る人々へと向けたように。


「ただいま」



 そして、変化を一番望んでいた男は、変わらなかった事へ安堵して日常へと戻っていく。






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