企画物議

□キセキ 〜フーガ その後〜
1ページ/7ページ




  過去は変えられないけれど、これから二人の在り方なんていくらでも変えられる。

何となく聞いた言葉、言われた言葉、実感しだした言葉。
人生の黒歴史だった青春を経て、絶対にあり得ないなんて考えていたのに、絶対、という言葉はこの世に存在しないんだと気がついた。そして様々なわだかまりやすれ違いがあったけども、向かい合って笑えている。
 それは、少しだけ大人になれたということ。



キセキ 〜フーガ その後〜



 ようやく後腐れなく仕事を辞めれそうな自由業な主婦、イザヤ。よく男に間違われる名前だが、今はとても気にいっていた。親の名付けセンスを恨んだ年頃もあったが、今はその名前を温かく呼んでくれる人がいる。大好きな人に名前を呼ばれる事がこんなに嬉しいものか、と何度思っただろう。残念ながら憎々しく呼ばれたりしていた時期もあったけれど、優しく自分を呼ぶ声を聞けば、彼の声がその音を取り、耳に向けられる自分の名前が酷く尊いものに思えてしまう。

あー、こういう恥ずかしい事を平気で考えることが幸せなんだろうな。

なんて顔を赤らめながら、過去の情報や資料を黙々とシュレッダーにかけていく。長らくお世話になった事務所も引き払うことが決まったし、別の情報屋が一部後継してくれることで丸く堅気に戻れそうだ。
一生伴侶と食べていけれそうなぐらいは稼ぎ持っていたが、頭が硬い伴侶なので、それはいつかのマイホーム資金だとか、子供のためとかで使わせてくれない。

「俺がお前一人ぐらい養ってみせるから、お前は俺の帰りを待って大人しく嫁さんしてろ」

そんな事言われたら惚れ直さないバカはどこにいるのだ。
思い出しながら顔をにやけさせ、シュレッダーに紙を詰まらせてしまい、慌てて紅茶をひっくり返す。
冷めた液体を机の書類にぶちまけながら、慌てて拾い上げたのはもう3年も前になる挙式の時の写真。
全然濡れる心配はない場所に飾られていたが、ガラスボードの写真立てを大事そうに持ち上げじっと見る。
お得意様も参加してくれたし、この街の大体名前が言える人も来てくれた。…嫌な思いをさせた高校生たちも。
ちくりと後悔に胸が痛むけれど、それでも祝ってくれたし、許してくれた。その分二人は幸せになってくれ、なんて言ってくれて。
たとえ本音じゃなくても嬉しかった。

濡れた書類はまた明日処分しようと避けて、詰まったシュレッダーの復旧にとりかかる。
だが、その集合写真を見ていると、花婿の胸がスッキリしている事に目がとまる。
小さなブーケを挿していて、それを披露宴で誰かに渡すとか何とかだったはず。なのに、チャペルの式が終わった時には無くなっていて、どうしたのか聞いたら、笑って。

「ちょっと前の俺に渡した」

なんて電波な事を真面目に言えば、真っ先に頭の心配をするところだが、彼女は即座に理解した。
ああ、来てくれたのか。と。
じゃああの人混みの向こうに見た幻は本人だったのか。一瞬だけバーテン姿が見えて、思わず手を振ってみた人影。その時着たドレスを褒めたもう一人の伴侶…の分身?となるのか?を思い出す。
SFめいた現実だったけど、あちらは今、どうしてるだろうか。

伴侶の静雄が言うには、まるで少し前の自分らを見ているようだった、とか。

「お前が変わったと気付いたら俺は変わった。ソレを見てお前もまた変わって在り方が変わった。俺たちはずっと追いかけっこしてるみたいだな、転調しながら、追い駆ける。音楽みたいだ」

そう言って例えに歌いだしたのがかえるの合唱だったのだけど、言いたい事は伝わった。歌のセンスは置いといて、やはりこの人は的確な何かを見抜けるんだなぁと惚れ直……いや感心した。私達が長年かかってこうなれたのは、本当に色々あって、考えてきた。

 そのきっかけが高校卒業した後、…大嫌いな無実の男に罪をなすりつけて警察沙汰に陥れた後。ざまぁみろと笑うはずなのに、その時イザヤは泣いていた。
嫌われた、二度と会わなくてすむと思ったら激しく後悔して、泣けて、申し訳なくなって。
その時にもしかしたらこれが好きの裏返しだったのかと気がつかされたのだ。
 諦めて振り切ろうとしたのに、馬鹿だからかそいつは、またイザヤの名前を呼んで、追い駆けてきた。
 殴りたいだけだったのかもしれないけれど、完全に縁が切れたと諦めていたのに実は嬉しくて。なのにこちらから追いかけたら逃げていって、本当に待たされた。
 それが後々、結婚までしてからわかったのだが、すでに彼はこちらが好きだったとか。
 わかりにくすぎて、全然そんなことはなかったとも思える程。寧ろそんなに酷い事をされながらも好きってどういう感性なのか。本人すら好きだと自覚するまで時間を要したとも言っていたが。
 だがイザヤ自身が歪み切った性格であるからに、普通の感性じゃついて来れないよなぁ、とは理解している。
 シュレッダーの電源を切って、紙詰まりに奮闘していると、事務所の扉を叩く音が響いた。

「よぉ、まだかかりそうか?」

そこから顔を出したのは、思考と心のど真ん中にいる伴侶、静雄だった。驚くのと照れくさいのではにかんで見せて、シュレッダーを指差した。

「いつでも切り上げられるけど、これが詰まっちゃって…シズちゃんは?終わり?」

「ああ、丁度この辺に営業回りしていてな。直帰していいってんで寄ってみた。夕飯食って帰ろうか?」

グレーのスーツに身を固め、かっちりとネクタイまで絞め、眼鏡をかけた姿は真面目なサラリーマンだ。トレードマークだった金髪も今じゃ真面目に地毛そのものの色をしている。

「そうだね、じゃああと少し待って、帰る用意する」

邪魔にならないよう纏めるだけのシュシュを外し、長い黒髪を背中に流しながらいそいそと支度を始める。
静雄はシュレッダーの紙詰まりを直しつつも、その背中に声をかけた。

「急がなくていいぞ、慌てて転ばれても困る」

 力を入れすぎないよう精密機械に対する静雄に、まるで子供みたいな返事の声が戻ってくる。
 竣敏なイザヤにそんな心配は不要なはずだが、歩いているだけでも心配するわけは、彼女のお腹にあった。
 静雄が真面目にサラリーマンになったのも、イザヤが情報屋を辞めるのも、そのお腹の中ですくすくと一つの命が育っていたからだ。
 細い彼女の体はあまり変化が見られなかったが、安定期に入った妊娠6ヶ月、ふっくらとお腹が丸くなってきた。妊娠がわかった頃はつわりや精神的に不安定になり静雄も周りも心苦しかったが、やっと彼女は笑って子供の未来を語り出した。
 何せ新婚の頃に、イザヤは子供はいらないと豪語していたからだ。
 無論静雄は子供とイザヤありきの生活を夢見ていたのだが、イザヤは頑なに子供を作らないと言い張り続けていた。

「確かに、シズちゃんとの子供は欲しい、と思う。だけどそれだけじゃ子供は育たないよ。自分一人の責任も自信ないのに、子供を産んで育てるなんて………自信ないんだ。産むだけで母親になんかなれないんだよ?だから、時間が欲しい……ごめん」

 今まで散々好き勝手してきたから結婚した先の責任というものを感じ取ったのだろう。そんなに成長するものか、と驚く反面、確かに静雄も彼女が言いたい事はわかる気がした。周囲は産んでから成長するのが親だと言い、授かりものを避けることはないと諭してくれた。
それも一理あるのだが、一番イザヤが気にしていたのは育て方だ。
 歳の離れた妹らを、仕事でいない両親に変わって面倒を見ていた結果、修正の余地すら歪みきった痛い姉妹が育ってしまった。確かに純粋さがあった頃がイザヤの思春期真っただ中で、面白半分に教えられた事もあったろう。だが、無垢な質問…例えば、お伽噺一つでも、どこに王子様はいるのか?魔法の国はどこか?そんな可愛らしい質問に、現実の冷たい風をはらんで教え込み、早々と幼い夢を摘み取ってしまった。さらに護身術や人を騙すいらん技術に知識、そんな姉の姿を見て育った以上女子大生となった今も頭痛の種だ。
義兄弟になった幽とどっちかが結婚する、と決め込んでいて、幽と交際中である聖辺ルリの暗殺を企てているから手に負えない。…今度婚約すると知ったなら本当にルリは殺されてしまうかもしれない。

 そんな過去の所業から、子育てに対して壊滅的に自信のないイザヤを無理させる気にもならず、彼女に合わせた家族計画を立てることにした。
 また、中々店じまいするタイミングを逃してきたイザヤだが、いつも通りヤクザとの取引から自宅に戻る途中、うっかり攫われかけるという事が起きた。
 静雄絡みだったのかイザヤ狙いだったのかわからないまま居合わせた静雄がボコボコにしてしまったのだが、この事がイザヤにとって酷く不安にさせられた。
 この先、こんな仕事を続けていたなら、どんなに気をつけていようと家族に危険が及んでしまう、それが静雄であれ、生まれてくる子供であれ。それだけは、避けなければと。



次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ