企画物議
□二日目(後半)
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真夜中、静かすぎる部屋に冷蔵庫のモーター音だけがやけに大きく響く。どことなく緊張している臨也は睨む静雄に真正面から向き合えないままぎこちなく笑う。
ため息や躊躇うような素振りを何度か見せる様は、日頃の臨也の振る舞いからはとんでもなく考えきれない。似つかわしい様子に静雄も怪しむより心配さえしてしまう。
「……なんだ、まだ体調悪いのか」
「い、いや、そうじゃないんだけど、どう切り出していいかわかんなくてさ」
ナイフを突きつけられたり、知らない連中に喧嘩を売られた時のような緊張ではなく、少し前にあの女子に呼び出された時に似た緊迫。何故今そんな緊張しているのかと静雄自身が驚いて、相手は臨也であるし、病人だと言い聞かせようと当の臨也の様子は否定するための助けにならないほど、いつもと違っていた。
「……まぁ、うーんと、昨夜、何を話していたか細かくは忘れてんだけど、シズちゃんに今好きな人はいないかどうか聞いたよね」
「……あ、ああ」
答えようと口を開けたら、緊張で声が裏返りかけてしまう。何だかやっぱり言わなくてもいい、と言いたくなるほど気まずくて重苦しい緊迫だ。
「で、その流れで嫌いな人は誰か、とも聞いたよね」
「……ああ」
そこで臨也だと答えた。日頃から口癖のように繰り返して言っていたのに、今思い返せば、ここまできて嫌いだと言ってしまったことが、なんだか申し訳無く思えてしまう。しかし今更否定したところでどうにもならないし、だからと言ってそれが意味するのはただの誤魔化し。静雄は臨也が嫌いだという事実が覆るはずはない。
しかし。
「……いつもさ、嫌い嫌いと言ってるけど、何で俺はシズちゃんが嫌いなのかわかんないんだよ」
「……え?」
「うん、すぐキれたりこちらの思惑通りにならないとか、そんなところは気に喰わない。だけど、それだけだとただの苦手で、本当に嫌いだと思ってないんだ」
「……」
「……もっと違う角度から話したら、何か変わるのかなーと思って、その、昨夜、話してみたくなってさ」
「……」
「だ、から、まぁ、何だろう……気紛れというか…気になったというか。本当にどうしようもない話、だろ?改めて言うのもなんだかなと思って」
そこまで言って、臨也は自分の言動を振り返ったのかしまった、と言わんばかりに顔をしかめて背けてしまう。
「……酔っ払いの戯言だからさ、まぁ、聞き流してよ。なんでそんなこと考えたのか……わかんないんだけど、旅行に来てテンションが跳ね上がったからかな。忘れてよ」
その時、臨也も静雄も同じ言葉が頭に過る。
「……おい、はぐらかして、ないか?お前」
これは、逃げたと。
「え、なんで、はぐらかすとか、何」
見透かされてしまう、見抜いてしまう、それがお互いに目を反らし合う理由。
「……そう考えたなら何か、もっと、思う事があったんだろ。俺は、その、テメェが何かーーー」
「何も無い、って。ただ、本当に酔った勢いでふと思っただけで」
それ以上踏み込んだら、隠し通せなくなる。
「俺はテメェが訳わかんねぇ御託を並べて、本音を隠す真似をするのが嫌いだ。滅多に本音を言わない奴だと知っている。そんな事を考えるなら何か、………あるんだろ」
「……別に、なんで、食い下がるわけ?俺が隠したいと思ってる事が何なのか、シズちゃんはわかるっての?これ以上、何も言わないよ俺は」
「……俺は……」
そして静雄が抱えていた疑念を包む霧が、消える。
「俺は、テメェが本当に嫌いじゃないかも知れない」
「……は?」
「……ずっと、俺のこんな体質が珍しくてからかってくる奴だと思っていた。なのにしつこく関わってくるのに何の疑問もなかった……だがよ」
戸惑うような臨也の顔が強張って、そしてその目は静雄をようやく真正面から見据える。その視線から目を反らしきれずにじっと見返して言葉を吐き出す。答えがもう、そこにある。
「 怖がらずに絡んでくるなんて、普通はできやしねぇ。いくら変り者のテメェだって何度も痛い目見てきた。それに、この旅行にも同意してくれた。酒がどうとかじゃなくて、テメェは」
「ま、待っ、……わかった、わかった、から」
慌てて静雄の言葉を切り、ぐしゃぐしゃと黒髪を掻き乱して深く大きな溜息をつく。そして心の中で白旗が立ち上がる、やはりこの男は苦手だと。
「ああ、もう。……ヒント出しすぎたかな……変に鋭くてやっぱり苦手だ。俺のペースをこれでもかと掻き乱すし誤魔化しはきかない。なんなんだよ本当に、君は」
これまでどんな人間の前でも己のペースで装えてきたのに、静雄だけは通じない。強がりや虚勢、御託で見せかけようとも簡単に打ち崩す。見抜いてくる。
「……だからかな。俺は、シズちゃんから離れたくないんだよね」
もしかしたら、有りの侭でも受け入れてくれるかもしれない。弱くなってしまっても、持てるもの全てを失おうと、この先も。
「……テメェ」
「悪いけど、言えるのは本当にここまでだ。……いっぱいいっぱいで何も考えつかないんだよ……君にはいつもの調子すら崩される。言葉が止まる…勘弁してくれ」
顔がやけに熱くて、見られるのが嫌で慌ててベッドに潜り込んで布団を被る。後悔と緊張に胸が痛いぐらいに脈打ち、割れそうだ。
隣のベッドに腰掛けたままの静雄は動けず、とりあえず残った酒を一気に飲み下して空き缶をテーブルにそっと置いた。それから何か、詰まったような深呼吸をすると煙草を手にして立ち上がる。窓際ではなく、出入口へ。
「……臨也」
ドアに手をかけたまま、静かな声が名前を呼ぶ。呼ばれた人間は布団の中で身を硬くして返事すらできないほど、緊張している。
「テメェがからかうのは許せないが、目を離せないのは俺も同じだ。……嫌いじゃ、ない。だから偶には黙っていろ」
そうして静かに部屋を出て、休憩コーナーへと向かってしまう。残された臨也はひたすら早打ちする胸が苦しくて、何度かさするが、その奥が報われたように暖かくなっていく。
「……誤魔化してんのは、シズちゃんじゃないか……」
きっと今頃、顔を赤くして煙草をふかしている静雄を考えては、可笑しくて吹き出してしまう。戻って来たらまた何か違う言葉を言うだろうか、それとも言ってやろうか、と。
日常から離れないと自分すら見えないなんて、とんだ似た者同士だ。明日、あの街に戻ればまた己自身が見えなくなるのだろうけれど、それまで色々と話してみよう。
「……意外と俺ら、お似合いじゃね?」
高鳴る胸にやけに淡く響く言葉を、是非言ってやろう。キれられるかもしれないが、まだ旅行の最中、聞き流して照れるだろう。
眠気も飛んだ夜更け、静雄が戻って来たら乾杯だなと布団に包まった天邪鬼は笑う。
青春と程遠い二人だったが、少し歪んだ青春を謳歌していく。
終