戯言短編

□江戸デュラ!
1ページ/1ページ



江戸デュラ!!


色と夢の夜の街、吉原ーーー

郭や宿場、そして賑やかな座敷が建ち並ぶその一角。ここらでは指折りに入る大きな郭。
しっとりと灯りに包まれた、香の煙が漂う部屋に、うなじから下、細い肩や背中を大きく開け、真紅の襦袢を纏う遊女と、白地と黒地の布を半身ずつ合わせた浴衣を着流す男がゆっくり杯を交わしていた。
妖艶な色香を纏う遊女は細い手を優雅に動かし、男が黙々と飲み干す酒を継ぎ足しては飽きることなくその動作を見つめる。濡れた瞳は商売柄男を誘う目付きだが、この部屋に男が来てもその瞳を見返されてはない。
焦れる気持ちを持て余しつつ、酒に濡れた男の形のいい唇を、じっと見据えたまま静かに笑う。

「お兄さん、雇われの用心棒なんだってねぇ。あんなにおっかない獲物を振り回してるんだ、余程腕が立つんだねぇ」

遊女の白く華奢な指が、入り口に立てかけている刀を示した。普段侍らが持つものよりも随分と刃身が長く、納めている黒塗りの鞘も随分と傷付いている。
ゆったりと甘い声で男の耳をくすぐるが、それでも男は黙って酒を煽る。長身で肉付きは薄く、しかし杯を握る手や投げ出された長い脚には無駄のない筋肉が身を引き締めて見せる。浴衣の合わせ目から見える引き締まった胸板には、歴戦の痕か刀傷が大きく浮いていた。
そこに指を這わせようかと遊女が迷うが、結われた黒髪から零れた髪を、ふわりと背中に流すだけに留めた。
窓の外は似たような宿場が華やいでおり、男らは遊女と戯れ朝になれば露となる夢を抱いているだろう。
だが、この郭で人気を一、ニと争う遊女を前に、この浪人風情な色男は、肴もそこそこにただ黙って高い酒を煽り続ける。
女に慣れた様子もないが、臆しているわけでもない。

変なお人、それでもその横顔の涼しさから目を離せない。冷淡な人殺しの面影を感じさせない、どこか淋しげに見えた横顔。

一献空けてしまうと、次の冷酒を漆塗の水桶に浸された徳利をつまみ上げ、無言で差し出される杯に並々と注ぐ。そして、男がちびりと口をつけると、遊女の手が空いている男のもう片手に触れる。冷たいしっとりとした絹のような女の手に、僅かに手を強張らせたが横目で女の顔を見やるだけ。その視線を受けて真っ赤な唇を艶やかな笑みに変え、男の無骨だが細い指に掌を滑らせる。

「お兄さん、今まで何人斬ってこられたのか…覚えてます?お兄さんほど腕が立つならばわからないでしょうなぁ」

まだ若い男でも、胸の大きな傷を始め、日焼けで薄れている細かな傷が腕や足に見える。きっと着物の下、まだ戦い抜いた傷はあるだろう。誘い文句にも何も言わず、指一つ動かさず、ふっ、と短い息を吐き出したのは笑った所為とわかる。杯を傾け、手酌でまた酒を告ぐと、その杯を遊女に差し出した。

「……あんたは今までどれだけの男に抱かれたか数えているかい?依頼主のために阻む奴を斬り捨てるーーー唯それだけだ。数えるどころか顔すら覚えてねぇ」

低く、腹の底に響き胸をくすぐる声。男前ってこんな声をしているもんだ、と遊女は杯を受け取りゆっくり飲み干す。こんなにもいい男と寝たことは数えるしかなかったが……そう覚えていない。

「あはは、そうだよねぇ。これが生業だからかそんな憶えがないよ。常連さんやちぃとばかり厄介な客はそれなりに覚えているんだがねぇ」

だがこの男なら覚え抜ける。ぎこちないが嫌ではない空気を醸し出す男、一見さんにしては惜しくなる。赤い襦袢の胸元を指でなぞり、見せつけるように襟を広げてみせるが、男はそれを手で制す。

「悪いな…あんたを抱く気はないんでな。酒に付き合ってくれればいい。金は払ってある、ゆっくりしてくれ」

ここはどこだかわかっての発言か、と遊女は言われた瞬間身を硬くして男を睨みあげてしまった。不快そのものの目付きを感じた男は、無表情から一転、申し訳なさそうに僅かに笑む。

「……気を悪くさせたな。すまん。魅力がないとかその気にならんとかじゃなくてなーーー」

ふっ、と照れたように笑い、手酌でゆっくりと飲み進める。どこかからお三味の座敷歌が、宴の賑やかさが遠くに聞こえる。

「時々、誰かと酒を酌み交わしたくなるものでな。俺みたいに人殺しとなればあんたらみたいに手練の遊女ぐらいしかもう相手にされねぇ。どんなに鬼と呼ばれても人恋しくなる。ーーーおかしいだろう?」

自棄のような、でも杯の底に何かを憂い見ているような淋しい笑顔。ふらりと訪れ、高い金を置き、一見では相手にできない人気の遊女を伴う。ーーーこの宿の主がこの男をどんな奴か知ってての処置、若い駆け出しの遊女ならば怖がって神経を逆撫ですることになれば最悪、なんてことにもなりかねない。

「そんな事ないさ、常に男と過ごす遊女だって人恋しくなるもんだ。この生き方に後悔はしちゃないが、虚しくなる時だってあるもんよ」

やっと強張った顔を元の笑顔に戻し、男の言葉に素の表情を入り混じる。似通った物を感じているんだ、とぎゅうと女の胸が締め付けられる。
やがて、いつの間にか徳利すら空けてしまった男は遊女の手をとり、襦袢から覗く白い足の上に押し戻すと、ふらりと立ち上がる。入り口に立てかけた相棒の刀と脇差を手にすると慣れた様子で腰に差す。
もう帰ってしまうのかと慌てた遊女が立ち上がると、縋り付きたい腕を、その浴衣の袂を握るだけに押さえた。

「……もう一本付き合ってくれないかい?私が出すよ、だからーーー」

「いや、十分美酒に酔った。あまりここに居たら理性が持ちそうにもないからな」

顔は見えないが笑っているだろう、遊女よりも頭三つは違う男だ。男の言葉に袂を握る力がより強くなる。

「……それなら、それでもーーー」

「いや、ダメだ。悪いな…」

しゅ、と軽い音を立てて男は遊女の手を振り払う。白い指の上を男の浴衣がするりと抜けて離れていく。

「あんたを抱くには俺の手は、血で汚れすぎだ。綺麗なあんたまで穢しちまう。ーーーじゃあな」

男の言葉に、白粉に塗られた顔が赤く染まる。今までの何遍と言われてきた言葉、なのに、こんな一度きりの男に。綺麗だと言われて胸が苦しいなんてーーー
ここは吉原、男に夢を抱かせる街。だからこそ遊女も一夜だけ夢を見れる街。



やけに謙る郭の当主に短い礼を告げ、華やぐ街を後にする。高い酒と場の空気が心地良かったためか、気持ち良い酔いが回る。人気もなく、屋形船もない暗い川辺に辿り着くと、煙草入れから煙管を取り出し、慣れた手付きで火をつける。葉煙草の燃える香りが鼻から、口から肺を満たし、余韻をより味つけた。
後味の悪い仕事の後は誰でもいいから酒を酌み交わしたくなる、腕っ節と刀の腕しか取り柄のない自分が用心棒として人を斬るしか生きる術を知らない。生温い平凡などとうに諦めた。
煙管の煙を目で追い、柳が風に凪ぐ中、じり、と人の気配がする。途端に余韻が消え、そちらに警戒していると暗闇から見忘れぬ人陰が浮かび上がる。


「今晩はシズちゃん、今宵もいい夜だねぇ」


暗闇でもはっきりわかる、生白い肌と風に流れる黒髪、独特の赤い瞳に端整な顔立ち。闇に沈むような暗い色の浴衣に、この時期でも羽織を纏う男。声を聞き、姿を見たならすぐさま感情が逆上していく。ぶつぶつと沸き上がる怒り。憎しみーーー殺意。

「折角美酒にありつけたってのによぉ…酔いがあっという間に抜けちまった。テメェなんざ会いたくなかったぜ折原屋の臨也よぉ」

この折原屋とは、表向きは商人であれ、問屋ではない。仲介人という表向きで裏ではあらゆる情報を握り、悪どい輩の肩入れをし、何かしら事件の一端に関わっている口利き屋だ。しかもこの卑怯臭い男は、直接自分では手を下さないが、あらゆる人脈や金を使って他人を貶めることに生き甲斐すら感じている。面と向かうシズちゃんこと平和島静雄は何度もその被害を被っている。

「酷いなぁ、また人殺して手に入れた金で飲んだんでしょ?美酒もへったくれもないじゃないか。言い掛かりはやめてくれよ」

「どうせ昨夜の越前屋だってテメェが一枚噛んでたんだろうが…どこまで貴様、人を馬鹿にしてやがる…」

がちりと静雄が握る長刀の鍔が鳴った。今にも抜いて斬りかかろうという気迫にも、臨也は臆せず頭をふり、腕を羽織の袂に互い違いに入れて組んで見せる。

「馬鹿にする?人を?……語弊だね。いいかいシズちゃん、俺はこの世に存在している君以外の人全てを愛している。善人悪人問わず罪も善行も全て等しく。そして見聞に踊らされて視野が狭い奴に色んな可能性を教えてあげるだけさ。その可能性のどれを選び、実行し、どうなろうなんて俺の知る由もない。それらは全て人間を敬いその尊厳を重んじているからなんだよ。君には死んでも理解できないだろうがね」

闇しかない辺りに響く涼しげな声は凛とし、何かを朗読しているかのように澱みない言葉を紡いでいく。もっともらしい言葉を聞く静雄の顔がますます顰められ、不快感を強めていく。力で渡り歩いてきた静雄が最も嫌悪するは口八丁で詭弁を垂れ流す卑怯者。悪事を働く輩は都合のいいことを捲し立てて逃れようとする、そんな輩に幾度も面しては反吐を吐いてきた。刀も奮った。
そのどんな汚い輩のあらゆる嫌な面を掻き集めて固めたならこの臨也という男が成り立つ。じり、と煙管を咥えたままに間合いを計りつつ抜刀しようとすれば、臨也は腕をまだ袂に入れたままおっかない、とため息混じりに呟いた。

「まさか帯刀もしていない一町民を斬ろうというのかい?君が斬るのは賄賂を横行し、街の物流を乱すような悪人らとその下っ端だろう?こんなにも良い夜だ、生臭い事は控えてくれないかい」

「……テメェ一人いなくなりゃあこの街も随分と良くなるだろうがよ…」

そしてすらりと長刀が静かに抜かれていく。切っ先を向けられても臨也は笑みを崩さない。

「相変わらず血気早いね。いつになれば君の刀は俺の言葉で諌められるのかな」

「テメェの血を吸えば大人しくなるだろうよ」

「……見逃してくれ、と言っても無駄かな?」


臨也の言葉が切れて一寸、銀の一筋を握る影が地面を踏み締めて跳ねる。真っ直ぐ臨也に向けて孤を描き、勢いに任せて振り下ろす。静雄のその動きを不適に笑むまま見上げていた臨也は、足に力を込めて横に跳ね、体躯に合わない羽織をはためかせその太刀筋に空を斬らせた。
その長く重たい刀身を、さながら木の枝のように軽やかに操り、すぐに横の影めがけて薙ぎ払う。空気の塊が大きな音を立てて刀に煽られ、近くにあった柳の枝が大きく揺れる。そんな瞬時の剣技にも臨也は身体を翻し、間合いを開けるようまた後ろに跳ねた。

「洒落臭ぇ…!またちょこまかと!」

何度となく渡り合ってきたのだが、この臨也は町人風情で華奢な優男のくせに竣敏で、静雄の刀を軽い身のこなしで避けてしまう。そしてーーー

大きく振られる刀の間合い寸分の位置で避けていた臨也が静雄のがら空きになった脇にその身を滑り込ませた瞬間。静雄の背筋と首がぞくりと危機を感じ、不穏なその影に咥えたままの煙管を掴み、影に振りかぶる。
かん、という軽い音を立てて煙管は臨也と静雄の間で止められ、金属の管は細い銀色の一筋を受け止めていた。

「……お見事」

そう笑う臨也の手には、細長く尖った錐が握られ、静雄の脇に突き立てようとされていた。しかもこの男のことだ、河豚の毒でも塗っているだろう。僅かでも身体に刺さったならいくら静雄でも敵わない。

「相変わらず卑怯くせぇ…今宵こそはその顔たたっ斬ってやらぁ」

「簡単にはいどうぞ、なんて言わないよ。ちょっとばかりシズちゃんは色々煩いから現世から引退してもらうよ」

静雄の力と拮抗してみせた臨也は、刀が握り直されたのを見て後ろに引く。錐を逆手に構え、真っ直ぐ刀を向けている静雄と面向かう。



そして影が数度ぶつかり合うと、見回りの同心らに見つかり、散り散りに闇に逃げていった。仕留め損なったとそれぞれが舌打ちながらに、そして次こそはと殺意を滾らせて夜を越す。



ここは江戸、そんな修羅場すら日常となる歪んだ街




<<某様の江戸デュラと静雄さんの津軽海峡を崇める話(自称>>

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ